14.自分にとって番の…  - 15のお題 -             _
*アナスタシアとシュリが近付いたその日のこと
15のお題



 それは十七歳の誕生日の日のこと。
 その日は本当に寒い日で。ふわりと舞う白雪が、宿の一室の開け放した窓から舞い込み、少女の鈍い金のいろの髪にとけては消えてゆく。
 アナスタシアは雪が好きだった。
 どうしてかは分からない、もしかすると幼い頃よりずっと見て育った神殿の白亜の壁のいろを思い出すからなのかもしれない。ただ清らかなそのいろが、好きだった。
 静かに舞いおりる雪とは裏腹に、窓から見える通りは意外にも騒がしい。聖人の聖誕祭がどうのこうので、色々忙しいのだろう。
 しゃらん、しゃらんと鈴の音が行き交う。
 楽しげに行き交う人びとや賑わう通りの様子を眺めながら、それでも彼女の表情はどこか憂いを帯びていた。
 こんなに楽しそうな雰囲気なのに、どうして私は寂しいのかしら……?
 仲間たちともまだ馴染めない。皆が色々気を遣ってくれているのが分かるが、どうしてか馴染めない。ひとり浮いている、そんな感覚に耐えられなくて、よくひとりで部屋に篭っていた。
 弟のレナートはもうすっかり皆と打ち解けてるのに、どうして私は同じように話しかけられないのかしら。
 ひとり溜息をつく。
 皆のせいでないことはよく分かっている。ただ自分がうまく口をひらけない、それだけ。
 無性に寂しいのに、レナートもどこか遠いような気がして、結局はひとり引き篭る。
「……どうして私」
 どうして、どうして、どうして。ずっと自問している。答えの出ぬまま、ずっと。
 外から聞こえる喧騒も、階下の酒場の喧騒も、彼女の孤独感を引き立てるに過ぎず。彼女は窓を閉めた。
 まわりの全てから背を向けてしまいたい。そのくせ、孤独感は輪をかけて大きくなっていく。どうしたらいいのかわからない。
 彼女はベッドの上で膝を抱いて、顔を伏せた。
 最近、そうしてずっと時間が過ぎていく。
 今日が早く終わればいい。眠りに落ちることが出来るから。
 そしてまた朝が来て、同じように繰り返す。いつまで経っても変化がなく、そして彼女の孤独感も癒されはしない。
 ――こん、こん。
 不意に、ドアが叩かれる。どこかおずおずとした、控えめなノック。
「……誰、ですか?」
 彼女は顔を上げて、それだけ言う。訊ねながらも、相手が誰なのかは分かっていた気がした。こんなふうにおずおずと遠慮がちにノックをしてくる相手はひとりしかいなかったから。
「あの、なんつうか、その。お、俺です」
 ノックと同じくらい遠慮がちに発せられる声。
 "俺"ではさっぱり答えになってはいないが、彼女にはそれで十分だった。予想した通りの人物だ。
「……シュリ……さん」彼女は不思議そうな表情のまま、続ける。「……何の御用ですか?」
「いや、そのう……は、入ってもいいでしょうかあのアナスタシアさん」
「……どうぞ、開いてます」
 暫くして、またも遠慮がちにノブが回され、遠慮がちに戸が開く。まるで極力音を立てないようにしているようなそんな様子で、彼はおずおずと部屋に入ってきた。
 それはまだ年若い少年だった。銀髪の髪に、澄んだ蒼い瞳、子どもらしさを残した顔立ちをしている。体格はがっしりしているものの、妙に縮こまった様子で、彼女と距離を置いて立っていた。
「あの、げ、元気ですか?」その少年、シュリはやはり遠慮がちに問うた。「最近、ずっと部屋にいるから」
「私は……」
 別にアナスタシアは具合が悪くて引き篭っているわけではない。それを説明するのも何だか気が引けて、彼女はただ小さく首を振った。「……大丈夫、です」
「それならいいけど、……皆、心配してますよ。俺もだけど」
 彼は少し彼女に近づいて、そう言う。その表情は本当に心配げで、アナスタシアは目を逸らした。何故だか罪悪感のようなものを感じる。
「……ありがとう、でも、私……」
 言葉にならない。むしろ何が言いたかったのかもよく分からない。そっと顔を伏せて、彼女は口を噤んだ。
 どうして心配してくれるの? 本当に心配? うわべだけではないの? どうしてここに来てくれるの?
 人の心を疑ってしまうほどに後ろを向いてしまっている自分の心に、嫌気がさした。この真っ直ぐな目をした少年の前にいればいるほど、自己嫌悪は強くなる。彼はその真っ直ぐな目で、本当に自分を心配してくれているのに。
 ふたり口を開かぬままに、数十秒の時間が流れた。
 それは一分にも満たないのに、長く長く、ふたりの間を流れてゆく。
 外の喧騒だけが響く中で、ようやくシュリがおずおずと口を開いた。
「……えーと、その。俺、あなたに渡したいものがあって……」
 必死に場を明るくしようとしているらしい、ぎこちない明るい声。
 目を伏せたままのアナスタシアの耳に、ややあって、がさがさと何かを漁る音が聞えてくる。
「俺、金なんかねぇし、マトモなもんも買えなかったし、第一あなたの好きそうなもんも何も知らねぇけど……」
 必死なその声に、アナスタシアはそっと顔を上げた。ランプも付けていない部屋の、少しの光しか入ってこないような暗がりの中で、少年が真っ直ぐな目で自分を見つめている。手に握られた小さな袋は、今取り出したものだろうか。
「……私に……渡したいもの……?」
「あああああのその、そそ、そ、そうです。俺、今日があなたの誕生日だって聞いて、だから……」
 ――誕生日?
 アナスタシアは首を傾げた。……思い出した。今日は自分と双子の弟の誕生日だったのだ。
 自分でも忘れていたようなことを――
「覚えていて――くれたの? こんな、私の……誕生日なんて」
「当たり前じゃないですか、俺、あああなんていうかもう、その……」彼も何が言いたいのかよく分からなくなったらしく、頭を乱暴に掻いて、一度頭を振る。「と、とりあえず受け取って下さいっ!」
 差し出された小さな袋。
 彼女は、それと、それを差し出す少年の顔に交互に目をやった。
 暫くして、そっとそれに手を伸ばす。
「……ありがとう……シュリさん」ポケットに入れていたのか、それはとても温かくて。それを胸に抱いて、彼女はまた、言う。「……ありがとう……」
「シュ、シュリでいいですよ」
 彼女の瞳に浮かんだ涙を見たからなのか、それとも単に恥ずかしいだけなのか。彼は落ち着かないような様子で、笑う。
「それより、その、それ開けてみて下さい」
 彼の言葉に、彼女はその袋をとめたテープを剥がして中身を取り出す。それは本当に小さなもの。
「……これ……は?」
 黒い紐と、小さな指輪。
「う、うちの妹が、アナスタシアさん髪結んだらもっと可愛いだろうなあって言ってたから、紐は髪結ぶのに使ってくれたら俺嬉しいかななんて……」
 アナスタシアは、傍に置いてありながら消しっぱなしだったランプに火を入れる。
 火に照らされた彼の顔は、火のせいだけではなく真っ赤になっていて。
「髪?」――そういえば、彼女は髪型や服装に対して頓着したことはなかった。「今度、結んでみますね」
「そ、そしたら見せてくれると俺とっても嬉しくてギャーもうわけわかんねえっ」
 とりあえず顔を真っ赤にして暴れまわる彼が一番わけが分からないのは自分でも分かっているのだろう。そんな彼を見て、彼女は顔を緩ませた。
 初めて見たその笑顔に、シュリは動きを止めて暫し見惚れる。
「……指輪……綺麗ですね」
 彼女の言葉に、彼は我に返る。
「そ、そうそう指輪! アナスタシアさんに似合うかなーとか思って……き、気に入らなかったら捨ててもらってもいいんですけど!」
 細身でシンプルな、銀の指輪。決して高価なものではないだろうが、とても綺麗なものだった。
 指にはめると、サイズもぴったりで。一度も指のサイズなど訊いたこともないだろうに、よく合わせられたものだ。
 自分の指にはまった指輪を見て、そして彼の笑顔を見て、自然に涙が出てくる。
 どうしてか分からないのに、無性に泣けてきて、彼女は顔を伏せた。
「ど、どうしたんですかアナスタシアさん?」彼は傍目に見てもかなり焦った様子で、そう訊ねる。「き、気に入りませんでした?」
「……どうして……」
 彼の問いには答えぬままに、彼女は口をひらく。
「どうして……私を気にかけてくれるんですか……?」
 嗚咽が漏れてくるが、それすらも堪えようとしながら、それでも言う。
「私なんて、皆に話しかけることも、笑いかけることも出来なくて、いつもこうして、部屋に篭っていて……なのに、どうして……どうして、私を気にかけてくれるんですか……っ」
「アナスタシア……さん……?」
 まともにうろたえる彼に構わず、彼女は、どうして、どうして、と繰り返す。
 それがどういう種類の涙なのか、彼女は自分でもよくわかっていなかった。
 嬉しくて、申し訳なくて、今までの寂しさが堰を切って涙となって出ているかのように、止まらないそれに彼女自身で戸惑っていた。
 人前で泣いたことなんかなかったのに。
 泣いたとしても、誰かを困らせてしまうだけなのに。
 
 ずっと、そうだった。
 小さな頃からずっと、人前で泣いたことはなかった。
 彼女はずっと、"ちいさな子ども"でいることは許されなかったのだ。
 彼女と弟は神官であり、神託を受け人びとを導く神子であった。
 "彼女自身"の存在は、恐らく不要なものだったのだろう。神殿や人びとにとって必要なのは"神子"であり、"アナスタシア"ではなかった。
 孤児で肉親は弟しかいなかった彼女は、自分の居場所を失うのが怖くて、幼い頃から周囲から課せられる重責に応えるために"自分自身"を押し殺して生きてきた。
 そうして生きているうちに、"自分自身"は分からなくなってゆく。そして、この日十七歳になった。
 十七年間の"彼女自身"の苦しみを吐き出すかのように、涙は止めどなく流れて。
 彼を困らせているのも分かっていながら、どうしても止まらなかった。

 不意に、背中に温かさを感じて、彼女は顔を上げた。
 目の前にシュリの姿はなかった。見ると、シュリが彼女と背中合わせに腰を下ろしていた。
「シュリさん……?」
「シュリでいいですよ」
 彼は軽く指で頬を掻いて、負担をかけない程度に彼女にもたれかかった。
「……泣いていいんですよ。泣きたいときゃ、泣いていいんです」
 それだけ言って、ただ、座っている。それだけなのに、背中ごしに伝わる温かさが、無性に嬉しくて、ほっとして、離れるのが怖いような気がして――
 気がつくと彼女は嗚咽を漏らしていた。
 それは本当に、ちいさな声だったけれど。
 彼女は、泣いた。


 いつしか、雪は止んでいた。
 それでも彼女は、泣いていた。
「……いつも……何か辛そうだったのに」シュリはおずおずと口を開く。「泣きもしないから、心配で」
 彼女の肩の震えが背中ごしに伝わる。
 それ以上、何を言ったらいいのかわからなくなって、彼は口を噤んだ。
 出逢ったその時から、このひとが好きだと思った。どうしてかわからないのに、このひとが好きだ、と。
 そのくせ、何も知らないで。彼女が何に苦しんでいるのかも、全然分からないで。
 抱き締めてやりたくて、なのにそうすれば折れて傷ついてしまいそうな彼女をどうすることも出来ずに、ただ背中を貸していた。
 ずっと大人びて見えた彼女は、十七歳の少女でしかない。神官だなんだと祀り上げられてはいても、まだ若い女の子に過ぎないのに。
 ――不意に、彼女の肩の震えが止む。
「アナスタシアさん?」
 肩越しに振り返ると、彼女が袖で涙を拭っているのが見えた。
 そして振り返らぬまま、彼女は口をひらく。
「……どうして……心配して、くれるんですか……?」
 うまく声が出ていない。泣いたあとだからだろう。
「え、ど、どうしてって……」
 その問いに答えかねて、彼は口をもごもごさせた。まさか言えねえあなたが好きだから特に心配だったなんて言えねえぇっ!
「……ひ、ひとが辛そうにしてたらそりゃ心配ですよ」
「……やさしいんですね、……シュリ」何度も目をごしごししながら、彼女は言う。「こんな私の為に」
「さっきから思ってたんですが、どうして自分に"私なんて"とか"こんな私の為に"とか言うんですか?」
 シュリは不思議そうに、言う。
「だって、私は――あなたや皆に、何もしてあげられていないのに。話さないし、笑えないし、それなのに」
「そんなことは問題じゃないですよ、きっと。……皆、あなたのことを気にかけてる。どうやってあなたにそれを伝えりゃいいのかわからねえだけだと思いますよ」
「……皆……優しすぎます」アナスタシアは頭を振る。「私、どうしたら……皆に恩返しが出来るんでしょう……?」
「なに、そんなに難しいこっちゃないですよきっと」
「どうしたらいいんですか?」
 肩越しに振り向いて、彼の顔を見上げる。シュリの顔が、あった。
「あなたが笑ってくれさえすれば」彼は泣き腫らした顔のその少女に笑ってみせた。「――いや、傍にいてくれさえすれば、それだけで」
「それだけで……? でも、そんな」
 頼りなさげな声で、彼女は言う。
「でも、ほら、あの……」なぜか言いよどみながら、シュリは続ける。「俺はさっきあなたが笑ってくれたとき、嬉しかったなー、なんて……」
「……シュリ」
 呆気に取られたように、彼女はきょとんとする。
 彼は恥ずかしげに頭を掻いた。そして頬を指で掻きながら、言う。
「……仲間って、そういうもんじゃねえかなと思うんですよ。ひとりで抱え込まないでほしいとかさ。頼ってほしいっていうの、あるんですよきっと。頼って、頼られて、なんつうか……あぁもう何言ってるかわからなくなってきた……」
 情けないとでもいうかのように、天井を仰ぎながら、彼は言葉を切った。
 暫く、そうしていたが、やがて口をひらく。
「――まあ、何ですかね……要は、アナスタシアさんも仲間に気兼ねする必要ないんですよ。皆あなたに笑ってほしいって思ってるんですから。誰もあなたを悪くなんて思っちゃいません」
「本当――に?」
「あったりまえですよ! レナートの奴が血眼になって探して助けようとしてたあなたを、同じくらいクルクスもイリスも心配してた。メイアだって、あなたを心配してたんだ。そんなあなたが笑ってくれたら、皆喜びますよ」
 力説する彼に、再び流れる一筋の涙を拭いながら、彼女は笑う。
「……どうして、あなたに言われると……信じてしまえるんでしょうね」震える声で、言った。「……ふしぎ」
「……へへ」
 照れたように、シュリは笑う。
「……ありがとう……シュリ」
 涙に濡れた目をして、それでも彼女は笑っていた。


「さってと……行きましょうか、アナスタシアさん?」
「……どこ……へ?」
 突然のシュリの提案に、アナスタシアは首を傾げた。
 これから行くと言っても、どこへ行けるわけでもない。既に日はだいぶ傾いて、いや沈んでしまっている。どこへ行こうというのか、彼女には全く見当が付かなかった。
「ぬぁーに言ってるんですかアナスタシアさん。下に行くんですよ、しー、た」シュリは悪戯っぽく、にっ、と笑う。「実は準備してあるんですよ、誕生日会の」
「え……え? た、誕生日会……? え?」
 目を瞬かせる。
「アナスタシアさんとレナートの、十七歳のお祝いです。ていうかむしろ俺としては、アナスタシアさんの景気付けていうか」
「でも……あの……い、いいんですか? いきなり顔出して、誕生日だなんて……」
「言ったでしょう、皆あなたに笑ってほしいんだって。元気出してほしいんですよ」
 笑顔でそう言ってから、彼は少し考え込んで、そして言った。「今……髪、結んで行きませんか?」
「髪を結んで……?」彼女は手元の黒紐を見つめる。「……は、はい」
「じゃ、俺廊下居ますから! 準備終わったら来て下さいね! そろそろ時間だから皆待ってますしっ」
 もう一度笑ってみせて、彼は部屋を出て行った。
 ぱたん、と閉じられたドアを、アナスタシアは見つめる。
 ――ひとりで部屋に篭っていたのが馬鹿みたい。
 ずっとずっと、皆心配してくれていたのに。自分が寂しいだなんて言ってるときも、ずっと自分を心配してくれていたのに。
 彼女は髪を結び始めた。
 結びながら、彼女は静かに泣いた。
 皆に会ったら、笑ってみよう。ありがとうって、笑って言えるかしら。
 そんなことを考えながら、彼女は確かに微笑んで、いた。
 
+
 
 あの黒紐で、アナスタシアは今も髪を結い続けている。
 その紐は、どこにでもあるようでいて、どこにもないただひとつのものだから。

 そう、それは彼女にとって一番の、大切な思い出のあかし。



指輪はいわゆるマジックアイテムなんですよー
魔力増幅とか、そういう。