「かあさま、かあさま、かあさまはサラのこと、すき――?」
 そう訊ねた。夕焼け空の満ちた世界で、雪の上をふたりで歩いた。
 その日は珍しく晴れていて、夕焼けを見るのも何日ぶりだったか分からない。
 久しぶりに歩いた散歩道。ただ無限に広がる白い雪の上。道なんていうものはなかったけれど、ふたりで歩くそこはどこであれ道だと思っていた。
「突然何を言う、サラ――?」
 サラと同じ、蒼いいろの髪と、翠の眼。とても綺麗な顔をしていた。優しい、母のジール。
 幼い娘の手をぎゅっと握って、ジールは足を止める。
「かあさまは……サラのことがすき?」
 もう一度、幼いサラは訊ねた。首をかしげて、母を見上げる。翡翠の眼が、合う。
「聞くまでも、なかろう……?」
 母親はしゃがみ込んで、娘と同じ目線で、彼女を見つめる。「お前はわらわの宝じゃよ……サラ」
 顔を綻ばせてちいさな王女は笑う。ジールも微笑む。そして、母親は娘を抱き寄せた。
「サラ、おまえは――」ちいさな娘の頭を、ぎゅ、と抱いて。「――わらわが、好きか?」
「サラはかあさまがだいすき」
 何の曇りもない、無垢な娘の眼が、ジールの顔を見つめて、笑う。
「そうか――」果たしてサラは気づいたかどうか。俯くジールの頬に涙が一筋、伝う。「有難うな、サラ」
 ジールは立ち上がる。何でもないように空を仰いで、涙を拭う。
「綺麗な空じゃな――こんな空は久方ぶりだ」
「ゆうやけおそら、きれいね」
 立ち上がった母親の手を、また握って、サラは呟いた。
「こんな日が続けばよいのだがな」
 空は、広い。
 果てしなく広く、また大地も果てしない。
 この雪原を歩いていると、自分が何者なのかすら忘れてしまうようだった。
 ジールは、此処が好きだ。
 大地を歩くのが好きだ。
 雪を踏みしめて、いとしい我が子を連れて。
 全てを忘れて此処に居たいけれど――
「はぁっ……ぁ、此処でしたか王妃様! 国王陛下がお呼びです」
 息を切らした男が、ジールの姿を見つけて声を上げる。
「そうか、今行く。伝令ご苦労じゃったな」
 ジールが微笑むと、男は一礼して走り去っていった。
「とうさまが、およびしているの?」
 サラが首を傾げる。ジールは小さく頷いて、娘を急かした。「早く行かねばならないようだな、サラ」
「もっといたかったな」悲しそうに言って。「いこう、かあさま」
「すまぬな、サラ。また来ような」
「うん」
 ふたりは歩き始める。夕焼けの空を惜しむように、ゆっくりと。
 ――ジールは王妃だ。国王の妻。高い魔力を持っているという、それ以外では何の取り柄もない普通の女であると、自分では思っているのに。それでも彼女は王族だ。
 ただのひとりの女であったならな――
 この頃は王の体調も思わしくない。様々な重責がジールに圧し掛かっていた。
 せめて愛しいこの娘と居る時くらいは、この娘以外には何も持たないただの母親でありたいというのに。
 栄華を極めたこの王国の第一王位継承権者たるジールには、国王の体調が気がかりだった。
 もしも今あの方が倒れられたなら、もしも今あの方にあってはならない災厄が降りかかったなら――?
 その時ジールは、ただの女では、ただの母親では無くなるだろう。それが怖かった。ただのあのひとの妻として、この子の母としてだけあればよかったのに。
「かあさま、どうしたの?」
 はっとして、娘に目をやる。「かあさま、ないてるわ」
 目元に手をやると、冷たいものが手に触れた。涙だ。
「どうしてなのじゃろうな――サラ。お前はずっとわらわのことを好いていてくれるか……? わらわの側に居てくれるか?」
 涙を拭いながら、ジールは訊ねる。サラはしばし首を傾げて、そしてにっこりと笑った。
「サラはずっとかあさまがすきで、ずっとかあさまのそばにいる」
「そうか、有難う、サラ――」娘のちいさな手をぎゅっと握る。「わらわの娘に生まれてきてくれて有難うな」
 ――自分は、この幼い娘を護っていかなければならないのだ。自分を愛してくれているこの優しいちいさな娘を。
 自分に何があろうとも。
 七つになるやならずのサラは、そんな母の想いを知ってか知らずか、「はやくとうさまのところにいこうね」と母を急かした。




 それは、まだ浮遊大陸も作られておらず、地の民と光の民が共に暮らしていたときのこと。