10 再会

「お目覚めになりましたね――お体の調子は、如何ですか?」
 目を覚ますなり飛び込んできた、その微笑む少女――
 蒼みのかかった銀髪に、深い翠の眼。とても華奢で美しくてそして儚い。
 誰が見紛うものか。
 それは確かに遠い昔に離れ離れになった姉の、サラ。
 しかし、何故――?
 彼は突然のことに、暫く目を瞬かせた。

 ――此処も、変わってはいない。
 ジャキは懐かしい地の民の住処を見回した。相変わらず薄汚くて――幼い頃はよくサラに連れられて此処に来たものだが、何故こんなに綺麗な姉がこんなに汚いところに来るのかというのが良く分からなかった記憶がある。
 ジャキはこの場所を最後に訪れてから十数年経った今、再びこの地の質素な寝床で眼を覚ました。
 気を失う前には、己の城でラヴォスの召喚を試みていた筈だが――三人の招かれざる客に邪魔をし、召喚を失敗したのだ。
 そうか、あの時の巨大な空間のゆがみで――
 幼い頃には、あれよりは小規模なものに吸い込まれ、中世に落ちた。もう一度あのゆがみに吸い込まれたいとは思ってはいなかったが――
「あの、どうぞ。大したものではないですけど……」
 ぼろきれのような服を纏った地の民の男が、盆に何かを載せてやってきた。
 自分の横でにこにこと微笑むサラが居る。まさか弟であると告げるわけにはいかないし恐らく気づいてもいないだろう。それに、まあ大して関係はないのだが、やはり地の民たちを愛していた彼女の手前苦い顔をするのも気が引けた。「すまない」と軽く礼をする。
 出された盆には飲み物と食べ物が載っていた。想像も出来ないくらいに粗末で、だが恐らくサラの客人だというのでこれでも上等のものを出したのだろう。
 地の民は、こんなものを食べて暮らしていたのか――?
 かつてジャキは、豪奢な宮殿に暮らしていたためか、地の民を思い切り見下していた。軽蔑していたと言ってもいい。下等な存在であると固く信じきっていた。
 ふ、とんだ王子だったわけだな――自分が高等な存在だとでも思っていたか――
 自嘲の意味を込めて、苦笑する。その日を必死に生き抜こうとする気力が、この者達にはあった。光の民にはなくて、彼らにはあるもの――
 生きる為に、目的を達する為に、必死で魔族の中這い上がってきた彼は、地の民に不思議な共感を覚えていた。あるいはサラが彼らを慈しんでいたのはもしかするとそういうところがあったからなのかもしれない。
 軽く目を伏せて、飲み物に手をかける。
 飲み物は、スープのようなものだ。味はななかなか悪くない。まあ、宮殿に居た頃ならどう思ったか知れぬが。
「あの、お口に合いますでしょうか――サラ様のお客人だというのに、このようなもので申し訳御座いません」
 やや心配げに訊ねてくる男に、ジャキは――魔王は口の端を微かに上げる。「美味しいな。有難う」
 ほっとしたように地の民がその場から去ってゆくと、サラが嬉しそうに口をひらいた。
「もうすっかり大丈夫みたいですね。でももう少し安静にしたほうがいいかしら――」
「心配はいらない。それより、貴女は一体何方だ? 私は一体どうしたのですか」
 とりあえず、訊ねてみる。彼女がサラであることはその姿、笑顔、立ち居振る舞いで分かりきっているのだが――確認は、しておきたかった。
「私はサラと申します」サラは再度微笑む。「貴方は、この集落――アルゲティの近くの洞窟の外に倒れておられました。それで、此処まで運んでまいりました」
「私を?」魔王は姉の華奢な体を見て問い返す。「私を運ぶのは大変でしたでしょうに――」
「気にしないで、下さい。貴方のことも話していただけますか?」
 サラは微笑み続ける。幼かった頃にはもっと大人びて見えた姉は、こうして見てみると年相応に少女らしい。
 魔王は口を開きかけて、だが唇を噛んだ。何と言え、と――
 サラが不思議そうに首を傾げる。
 やがて魔王は再び口をひらいた。
「私は、旅の予言者をしている者です」魔王は――いや予言者は続けた。「宮殿に仕官したい。どうか貴女から口添えをいただけませんか」
 サラは暫し、きょとんとしていた。
「え、でも、私にはそこまで発言権は――」
 口の中でもごもごとサラがなにやら呟いている。
「貴女は王女だ」驚いたように目を見開いて予言者を凝視する彼女に、彼は笑ってみせる。「これも私の能力のうちです」
「分かって――いたのですか?」
 言って、唇を噛むサラ。このようにしょげた姿を見るのは、かつて、いや今も彼女を慕い続けるジャキにとっては辛いことではあるが、まあ仕方あるまい。
「――まあそれを能力で視たというのは嘘ですが。このアルゲティにおいてとても上等な服を着ていて、そして貴女の中にある類稀なる魔力――これだけ見ても色々分かるものです」
「そう――ですか。でも、私の言葉は母には――」
 悲しそうで。どうにかしてやりたいがどうにもすることが出来ない。
「私が必要とされるに足る者であれば大丈夫でしょう。貴女の母ジールはことに実力のある者を好むようです」
 小さく頷くとサラは目の前の青年の顔をしげしげと眺めた。
「それでは私が宮殿にご案内させていただきます。――でも不思議。貴方といると、なんていうのか、こう――懐かしいというのか、そんな感じがします。眼のいろは違うけれど――髪のいろも同じ。父様みたい」
 にこり、と微笑む。遠い昔に別れた姉の年をとうに追い越してしまったことを、感じた。
 ジャキは父親を知らない。彼が物心つく前に、父親は病に倒れてそして命を落としたと聞いた。暫くは母親のジールも疲れたような顔をしながらそれでも優しかった記憶が残っている。ジャキが四歳になるやならずの時、発見されたラヴォスのエネルギーに彼女は取り付かれて、そして冷たくなってしまった。大好きだった母親のあまりにも酷い変貌には、最愛の夫の死も含まれていたのではないかと――ふっと、思ってみる。
「そうですか。父王さまに――」
 記憶にもない父の面影を、姉は確かに自分に見ている。それ故にか、姉の警戒心はすっかり解けたようでもあった。まあ、彼女はそれほど警戒心を強く持つ方ではないが。
「では私は顔を隠していかねばなりませんね。女王の機嫌を損ねてしまわぬように」
「けれど母様は父様を愛していたから、父様に似ている貴方なら――」
「けれど私は父様ではないからな」
 ――仮にも母親だ。予言者がジャキだと見抜く可能性も否定できはしない。
 傍らのマントを手に取る。そしてそれを頭から被ったかと思うと、口の中で小さく呪を唱え、ぱちん、と指を鳴らした。瞬く間にそのマントは長いローブになる。それを見てサラが驚いたように目を見開いていた。
「凄いわ、予言者さま、貴方は私なんかよりずっと強い魔力を持っているのですね――ジャキが本当に力を出したら貴方のようなことが出来るのかしら」
「さあ、それは――」微苦笑する。「それよりも宮殿に急ぎましょう」
「あ、すみません。それでは参りましょうか」
 サラが微笑む。昔と何も変わらないその穏やかで清楚な笑み。
 記憶の中の姉と目の前の姉の印象は、自分が変わってしまったために大きく違ってはいるが――
 この笑顔を、いつでも守ってやることが出来たら、な――
 ふとそう思いながら、彼はサラに導かれて歩み始めた。

 ――姉との、この王国との再会はこんなものだった。

 そして予言者は宮殿のジールの側近く仕えることとなる。