13 別離、再び

 サラ――サラ、あねうえ、姉上――……っ――
 静かに返す波は何も語ることはない。
 もう何もない。
 全てはもう海の底だ。彼に出来ることはもう何もない。
 目の前をよぎる銀糸の髪。
 何故再び彼女を救うことが出来なかった何故あれに手も足も出なかった――!
 脳裏に掠める崩れ落ちそうなその深海の神殿の光景、深い悔恨の念に囚われていたあの優しい儚い姉の姿――
 彼は己を呪った。


 ――それは、今にも崩れ落ちそうなその神殿の、魔神器の間。
「ペンダントの、最後の力を振り絞れば――皆さんを、地上に飛ばすくらいは――出来る、でしょう」
 崩れそうなほど儚い印象の娘が、ゆっくりと立ち上がった。銀糸の髪がゆれる。
 その儚げな美しい顔は、苦悩に満ちていて。必死に、堪えようもない感情を堪えていた。一言区切るごとに、彼女は唇を噛む。
「許される筈は、ないけれど……どうか母を――この国を――憎まないで……」
 その今にも倒れそうな心許なさ。サラは深い自責の念に囚われていた。
 すべてを壊してしまったのは自分のせいなのだと。自分がこの手で――母を止めることも出来ず言いなりになるしかなく。そのためにそのせいで全ては失われて全てのいのちが死にそして――
 心は悲鳴を上げていた。だけど、だが今はそんなことで倒れている場合ではないのだと、自身を奮い立たせて――「ゴメンなさい……!」
 そんなことで許される筈がないのに。行きずりの人までもを巻き込んで、そのうちのひとりは命を落として。体すら残さずに消滅して――目の前で泣きじゃくる、自分とは全く性質の異なる明るい金の髪をした少女。自分のしてしまったことはつまりそういうことなのだということ。そして、彼らだけは助けなければいけないという、そういう気持ち。
「さあ、地上へ……!」
 サラはペンダントを掲げて呪を紡ぐ。
「……! あ、ね……ッ!!」
 目の前の青年が、サラを助けようとしているかのように、手を差し出して――
 サラは弱々しく微笑んだ。次の瞬間、彼らの姿は消える。
 後に残ったのはサラただひとり。
 ――あの予言者さまは――もしかするとジャキだったのかもしれないわ――
 ぺたん、とサラは座り込んだ。
 タイムゲートに飲まれていった彼女の弟ジャキ。それを見なければ、信じることは出来なかったけれど。いつも護るように、そしてジャキを異端視するわけでもなく優しく包んでいてくれた、よくわからない冷たいようで温かい、不思議なひと。
 もう少し、彼と話していたかった――
 サラは頭を垂れた。ジャキが無事だったならそれでいい。あのかわいい弟が無事だったなら――もしも彼までも知らぬ時代で命を落としていたなら、彼女はもうどうしようもなかった。錯乱して、泣き叫んで――彼がジャキだと決まったわけでもないのに。でも、何か――感じてはいたけれど。
 いや、それよりも――
 彼女の脳裏に、行きずりの一行の中で、ひときわ元気よく皆を先導していた少年の姿がよぎった。
「…………。クロノ……」
 そう――そう、呼ばれていた。あの、何の罪もないこころの善い少年。
 私はなんということをしてしまったの――?
 光の民も地の民もきっと多くの者が命を落とす。目覚めたラヴォスは破壊の神に等しかった。恐らく、浮遊大陸は消えその余波で地の民も――
 そして行きずりのひとまでも。
 全部全部ぜんぶぜんぶ私のせいだったんだわ――
「――っ……い……いや――いやぁあぁあっ――!」
 彼女は顔を覆ってかぶりを振った。何百何千といういのちが。いのちが――
 ――彼女に意識があったのは、此処までだった。


 それから何日も後――北の岬。
「姉上……」
 呆然とそれだけを呟き続ける予言者――こと、魔王、ジャキ。
 別れる間際に、彼女が見せた弱々しい微笑が頭にこびりついて離れない。
 あの妙に優しい微笑みは何を意味していたのだろう――
 そしてまた彼女を救えなかった自分が、酷く苛立たしい。
 母の豹変――姉との別離――自分が生まれたところよりも遠く未来に出逢った魔族たち――招かれざる客だったあの少年たち――そしてまたあの時代で姉と出逢い――
 そうして、何度繰り返さねばならないと言うのだ――?
「く……そ――くそ、くそっ……!」
 固く握り締めた拳が、小刻みに震えた。自分は、ラヴォスを倒せなかったではないか。何のために今一度あの時代を破滅に導いたというのだ? 姉はどうしてあんなふうに自責の念に囚われたままあの地で果てねばならないというのだ? あの儚く崩れやすげな姉が?
 後悔と怒りと溢れそうな悲しみと。
 そればかりが彼を締め付けていた。
 ふと、あの魔族たちの姿が脳裏に浮かんだ。
 自分の一の部下だと公言していたビネガー、いつも寡黙にただ剣を振るっていたソイソー、おちゃらけてはいるが力は確かだったマヨネー。
 もう彼らは許してはくれまいか。結局奴らを踏み台にしただけだったのだ。力を得るために。しかし、それはお互い同じだった筈だ。どちらも力が欲しかった――それだけだった。と、いうのに。
 ただひとつラヴォスを討つというそれだけだったのに。今まで得た全てのものを失って。
 何と――いう、愚かな――
 魔王は――ジャキは、もう戻っては来ない全てを想う。そして力なく、膝をついた。



 ――何日か後に、北の岬に訪れた連中。
 人一倍正義感が強くて人一倍お人好しな連中。
 はじめは自分を憎みながらも、それでも仲間として受け入れてくれた奴ら。
 お人好しにも程がある――何故そんなふうに笑いかけてくる?
 他愛もないそんな話題に何故そうも笑みを絶やさないでいる?
 孤独に身を委ねていた己には理解出来ない、奴等。
 あるいは私も奴等に賭けてみたくなったのだろうか――
 ふっと、笑う。
 束の間の仲間ではあるが――今度こそ、失わないようにと。
「ねえ魔王! そんな遠くで歩いてないで一緒に行こうよ?」
「構わん、先に行け」
「マール、魔王じゃなくてジャキくんって呼んであげなきゃ駄目だろ。そう、相場は決まってるんだ」
「何の相場だ」
 限りなくボケているこの連中。かつて魔王として一度刃を合わせた彼らは、とてもお人好しで――そう、とても温かくて――
 魔王は彼等の後を離れて歩きながら、何か心に温かいものを感じた。