15 不可解な優しさ

 この子と過ごす時間は別に嫌いではない。
 
 その日もまた、彼と彼の姉のおやすみの間でその少年と机を挟んで対峙していた。
 ――若きジール王国第一王子ジャキは、兎にも角にもどこかひねくれた感があった。
 

「なんでお前にそんなにアルファドが懐くのかなぁ」
 深い翠の眼に蒼みのかかった銀髪を持ったその少年、ジャキが呟いた。至極不機嫌そうに。
 その、本当に不思議げかつ納得いかなげな表情が妙に可笑しくて、紺色のローブを纏った予言者は片手で顔を覆う。「また何を突然仰られますか」
「だって絶対おかしい。何で? アルファドは僕にしか懐かなかったじゃないか」
 俯いて頬を膨らせて投げやりに足をぶらぶらさせて。王子ジャキはやはり不機嫌そうにそう洩らした。彼の視界には予言者と自分の間を行き来するすみれいろの猫が映る。
「アルファド、こっちおいでよ。そんなやつのとこ行ったらダメだ」
 机の下の猫は、一声にゃーと鳴いたばかりでまたうろうろをはじめるばかりだ。ますます少年は不機嫌になる。
「まあ気にしないことですね。しかし人を呼んでおいて"そんな奴"はないでしょう」
「そんなやつはそんなやつだ。僕はずっと前から聞きたかったんだ」
 俯いていた顔をあげて、目の前の男を睨む。紺色のローブに包まれて、表情すらも伺うことはできない。口元が見えるくらいで、あとジャキの印象に残ってい るのは自分や姉と同じ色をした髪を彼が持っているというそれくらいだ。他には何も知らない。わけのわからないこの旅の予言者にどうして姉のサラも愛猫アル ファドも好意的なのかが彼には全然理解出来なかった。
「私はそんなに前からこの国に居ましたか」
 からかうようにその予言者が言う。口元がやや綻びていた。
「うるさい」ジャキはいじける。「いいから黙って聞いて」
 肩を竦めてそして話す気配のない予言者に、真っ直ぐに目をやり、ジャキは口をひらいた。
「お前は誰なんだ」
「……はい?」
 ――まあ、あまりといえばあまりに、唐突な問いではあった。


 彼の姉のサラが地の民の大陸の小さな洞窟で見つけてきた旅の予言者を、あまりジャキは快く思っていない。
 こんな流れ者で得体の知れない奴なんかにどうして皆がちやほやするのか理解出来なかったのだ。
「姉上に近づくな」――そう何度つついてやったかわからないが、彼はふっと笑ってみるだけで警告をきいたためしがない。まあジャキが本気を出して彼に対抗 しようとしても、ふたり全く同じ力を持ち――まあそれはジャキが知る由もないのだが――またジャキよりも制御に長けた予言者に敵うわけがないが。
 一度――いや、幾度もジャキは姉に訊ねたことがあった。
「姉上、なんであんなやつ側に置いたりしてるの? あいつからは不吉な気を感じるんだ」
 言うとたおやかでしとやかな姉のサラは少し悲しげな顔をして答えた。「あのひとはいいひとよ、ジャキ。そんなにひとのことを悪く言ってはだめ」
 ――姉の悲しげな顔を見るのがいやで、そんなに何度も何度も聞くことははばかられたのだが、それでもあの予言者からはいいことなど何も感じられないというのに。どのあたりがいいひとなのか教えて欲しいといつも思って。
 いつも予言者はサラと連れ立って行動していた。いや、用の際はやはり母親のジール女王のもとに居たが、いつも護るようにひっそりと彼女の側にいた。
 絶対絶対、なんか悪いこと企んでるに違いない。だってあんな素性のはっきりしないやつ――!
 ぷんすかしているのはジャキひとりだ。姉も光の民も挙句の果てに愛猫アルファドまでもが彼のそばに寄ってゆく。どういうわけなんだこれは。予言者を嫌っ ている人間といえばダルトンだがまかり間違ってもあんなのの側によって行きたくはないとジャキは常々思う。馬鹿に近づくということを彼の誇りだかなんだか は許さない。
 まあそんな不明な彼の正体を、ちょっとは解き明かしてやろうと――思っては、いたのだ。
 というわけで、今聞いてみたわけだったのだが――

「何を突然仰られますか」
 先ほどと全く同じ事を言う。どこか呆れているようでもあり、なんとなくジャキは苛立って、まくし立てる。
「だから答えてよ。お前は、何なの? どこから来たの? 名前は? お前は光の民でも地の民でもないというけど、じゃあ何?」
 究極の問いだ。
 だが予言者はさらりとかわして言ってのける。「私は次元の彼方からやってきた闇の民の予言者ですよ」
「ふざけないで答えろよっっ!」
 ばぁんっ、といつものように癇癪を起こして机に両の手のひらを叩きつける。やれやれ、またか――
「ふざけてなどいません」予言者はその紅の眼をちらりと覗かせ、ジャキの深い翠いろの目を見つめた。「では私の名前はジャキ=ジールと申します」
 しばし間があった。
「……は?」
 ジャキの言葉はそれだった。次第に彼の顔が赤くなっていく。
「そんなわけないだろ! ふざけるのもいい加減にしてよ!」
 ふざけてなど居ないんだけれどもな……
 まあ無理はない。予言者は苦笑してみる。
「いい、ジャキは僕だよ。お、ま、え、は、だ、れ、な、ん、だ!」
 癇癪持ちだ。さきほどから怒ってばかりの少年。それは予言者自身でもあるのだから、何とも言えないが。
「実のところ、私には名前など無いのですよ、ジャキ」
「はぁ?」訝しげにジャキが眉を潜める。そして、我に返って元の通すとんと椅子に座って、おずおずと訊ねてくる。「…………お前、親は……?」
「私の親。物心ついた頃にはそんなもの居りませんでしたね。私は魔族に育てられましたから」
 まあ、嘘ではないだろう。今の"魔王"は誕生してから立派に魔王となるまで魔族の流れの中にいたのだから。
「魔族――だからお前、そんなにひねくれてるんだ……」
 それだけ、小さく呟いて。それでも彼の中では何か同情の念みたいなものがわいているようではあった。ジャキも、親が無いに等しかったから。父は既に亡く、母は冷たくなり、ただサラがいたことだけが救いだったのだろう。
「貴方も言えたものではありませんがね――」
 幼い頃の自分にそんな同情心などあったのかと思いながら、微苦笑を洩らす予言者。
「ぼ、僕のどこが――!」
 言いかけて、口篭る。否定しきれないのは自分でも分かっているらしい。その様子に思わず笑みを洩らす目の前の男。悔しくて思わずジャキは唇を噛んだ。くそー……。
「で、結局お前の正体は何も話さないの?」
 少年はいじけたように上目遣いで予言者を睨みつける。
「正体――私の素性なんて貴方の見るままで十分ですよ」
「わけがわからない」
 顎をテーブルにつけて、ぷう、と頬を膨らます。やはり子供なのだなと何か微笑ましい。
「素性なんてどうでもいい」ふっと笑って、穏やかな口調で。「――むしろそういうものに縛られることこそ、貴方もサラも一番望まないことなのではないかと思いますよ」
「…………ぅ」ジャキは目を伏せた。「確かに素性とかどうでもいいんだろうけど――でもやっぱり」
 姉や母に近寄り、また彼女らを苦しめていくのはラヴォスともうひとり彼なのではないかと、ジャキは感じていた――確かに目の前の予言者が居なくともいずれ同じ方向に行くのだろう。だがそれを更に加速させているのは――
「何でお前は、母様の手助けをするんだ――?」
 もう、何で問い詰めているのかよく分からなくなってきていた。アルファドも彼の膝の上に飛び乗ったり机の上に飛び乗ったりしてうろちょろしている。普通 の人間には彼の愛猫は懐かないのに。それでもアルファドが彼に懐こうとしているのは、もしかすると思っているよりは善い存在なのじゃないかと思ったりしな がら。自分の考えとか全部が揺らいでいてもうどうでもよくなってきた。それでも、また彼を見上げて、口をひらいた。彼の応えを待つ。
「――私には――やらなければならないことがあるのですよ」
「やらなければならないこと?」ジャキは姿勢を正して、そして首を傾げた。「何、それは」
 暫く沈黙。
 やがて予言者はそっと人差し指を顔の前に持ってきて、口をひらいた。
「――秘密です」
 予言者がふっと笑う。ジャキの体から思いっきり力が抜けた。がくりと肩を落とす。
「秘密とかさぁ……なんかもういやだよお前と話してるの……」
「では話さなくともよろしい」
 にやりと口の端をあげて笑ってみせる予言者。もうジャキは力が入らない。
 ちょうどジャキの腹が、小さく悲鳴を上げた。空腹だ。
「もういいや。僕、姉上とご飯食べにいくから――」
 がたん、と立ち上がるとジャキは机の上でうろついているアルファドを抱き上げた。「行くよ、アルファド。ごはんだよ」
「それでは行ってらっしゃいませ」
 未だ正体の知れぬ謎の予言者は、穏やかな声で言う。
 ――全くわけのわからない。優しいみたいだけどなんかいつもおちょくってきて全部かわしてなんか腹の立つやつ!
 だけど何か相反するような感情がわきあがってきて。なんだろう、これ……。
 ――それを押し殺すようにジャキはとてとてと予言者の側を横切っていく。すれ違いざまに予言者ににゃあと鳴くアルファド。うう。そんなにこいつが好きなのかよう。
「ジャキ、ジャキ――? いる? そろそろお昼ごはんよ」
 扉の向こうから聞こえてくる微かで綺麗な声は、紛れもなく最愛の姉サラだった。ぱっと顔を輝かせて、嬉しそうに「今いくよ」とジャキが答える。
 おやすみの間の入り口付近まで来たころに、ジャキは足を止めた。
 ――言ったほうがいいのか言わないほうがいいのかむしろ何でこんなこと言おうと思っているんだろう……うううう。
 ジャキはひとり苦悩する。だがやがて、口をひらく。
「お……っ」何と切り出せばいいのか。簡単なことなのに、何でこんなにどもるんだろう。「お前も――」
 何かどきどきしているようなその少年の声に、予言者は首を傾げた。さてこの子はまた何を言い出すやら、と。
「いっ――いっしょに食べにいってもいいよ……あ、姉上も喜ぶだろうしっ」
 言い切って、しばし沈黙。背を向けたままのジャキの髪の間から覗く耳が真っ赤だ。
 しっかり姉をダシにして言い訳まで言ってみせる。全く、この子は――
 予言者は可笑しそうに、ふっと笑う。
「身に余る光栄で御座います、ジャキ」
 こんな些細なことで何か緊張しているジャキが何だかとても可笑しくて。笑いを堪えながら予言者は立ち上がり、一礼する。「私めでよろしければ、ご同行させていただきます」
 しばしジャキは何も言わなかった――あーとかえーとかうーとか以外は。
「じゃ……っ、じゃあ行くよ。い、い、一緒になんか行かないからついて来いよっ」
 ぎこちなく歩くジャキ。言ってることがめちゃくちゃだ。何をこんなに緊張しているのやら。
 扉を開けた先にはサラがいる。
「あら、予言者さま――?」首を傾げて、彼女は微笑む。「ジャキ、予言者さまともご同席するの?」
「ちちちちちちちち違うよ姉上っっっ!」
 顔が真っ赤だ。
「この度ジャキ様とご同席させていただく光栄を受けたのですよ、サラ」
 どこかジャキをからかうように。ジャキが真っ赤な顔のままで振り向いて予言者を睨みつける。
「う、うらんでやるからな……!」
「ご自分の言ったことには責任を持つべきですよ」
 予言者は何処吹く風、である。
「まあジャキ、貴方が予言者さまと仲良くなったなんて。嬉しいわ」
 心の底から嬉しそうな微笑を見せる。この顔を前にしてはジャキはもう何も言えない。
「い……いこ、姉上」急かすように足を速めるジャキに「はいはい」とサラは笑って返す。
 ――ある暖かい日の、お昼時のことだ。


 ――あいつと過ごす時間は嫌いじゃない。
 ジャキは近頃、たまーに思う。
 捻くれてていつも話をはぐらかしてなんだかつかみどころのない変な奴だけど。
 黒い風はあいつからも聞こえるけど。
 それでも僕は、あいつと過ごす時間が結構好きみたいだ。
 出来るなら、もう少しこのまま――姉上と僕とこいつとで。


 だけどもう少しジャキは素直になれない。