7 記憶

 遠い記憶。
 本当に微かで、おぼろげなもの。
 それが確かなものであるならば――
 今も、そこに――確かなものがある筈。
 不意に思い出されたその記憶。
 彼は腰を上げた。


 ――そう、それはまだ幼かった頃。
 ジールの繁栄の全盛期より、少し前のことだった。
 姉のサラが母親に連れられて、浮遊大陸の片隅に出向くのに無理矢理ついていった時のことだ。
 母親でありまた女王たるジールを先頭に、運び屋らしき男たちがぞろぞろ、それから最後に王位継承権者のサラとジャキが歩いていた。
「姉上、何をするの? 大陸のはしっこなんて……何にもないところに」
 姉は少し悲しそうに目を伏せて。瞼からおりる長い睫毛が綺麗だった。
「あの小さな広場と、お別れしなければいけないの。あそこに住む動物は、引き裂かれるのかしら――」
「無駄口を叩くな、早く参れ」
 ジールの叱責がとぶ。サラは唇を噛んで、目をうっすらと開いた。とても、悲しそうで――ジャキはこっそり母を睨み付けたのを覚えている。
「さ、行きましょうね、ジャキ。少し疲れた――?」
「ううん、大丈夫だよ、姉上」
 気遣う姉のほうが、よほど疲れているようではあった。肉体的というよりも、精神的に。
 それでも健気に、彼女は歩き始めていた。本当はきっと、これからすることを望んではいないのだろう。
「姉上、何をするの――? 今日は」
 気になって、もう一度聞いてみた。何をそんなに嫌がっているのだろう――?
「武器や防具をね、宮を造って其処に封印するんですって。それから、宮を大陸から切り離すの」
「武器を? だったら姉上は嬉しいんじゃ――ないの? 悪いことが減るかもしれないんだよ」
 首を傾げて問うジャキに、サラは微かに微笑んだ。
「そうね、ジャキ――でもね。さっきも言ったけれど――あの先端の何もない土地。何もないって言うけれどね、あそこで生きるいのちもあるわ。樹も、そこに生きる動物たちも。――それらを引き離してしまうかもしれないの。それはとても悲しいことよ」
 やはり悲しそうなそのままに、語る姉の弱々しい微笑みが、痛かった。
 ジャキは黙り込んで俯く。
 そしてそのまま、歩き続けた。


「――ジャキ、ついたわ。顔をあげて。そんなに下ばかり見ていたら何かにぶつかってしまうわ」 くす、と微かに笑ってサラ。
 ジャキは顔を上げて――そこには、何もないわけではなかった。簡素な台のようなものが造られていた。石造りの、綺麗なものだ。
「これが、宮?」ジャキの問いに、サラは頷いた。「此処に封印をして、宮が出来るの」
 簡素だが綺麗なその石の台座に、ごとごとと箱に収められた武器防具らしきものが運び込まれていき、そして暫くすると男たちはずっと後ろのほうに下がってしまった。
「サラ、封印をかけるのだ。その後、我らは黒鳥号に退避する。それから宮を切り離せ。その後に切り離した土地に黒鳥号をつけるゆえ乗るがいい」
「分かりました、母様」
 頷いて、サラは呪文の詠唱に入った。
 澄んだ声が呪を紡ぐ。その声にぼんやり聞き惚れながら――ジャキは、ふとあることを思いつく。封印が終わるのと同時に、駆け出していった。宮のすぐ側にしゃがみこんで、土に穴を掘り始める。ジールはそれを気にするようでもなく――むしろ、幼い息子の為すことに目もくれてはいなかった。
 やがてジールたちが黒鳥号に退避し始めたのを見て、ジャキはそこに、今は亡き父から貰った、箱に収められた獣の牙のピアスを放り込んだ。そして、また土をかけていく。
「何をしているの、ジャキ?」
 封印を終えて、少し疲れたようでもあるサラが、しゃがみこんで訊ねてくる。
「いつかのための約束だよ」
「約束――?」彼女は首を傾げる。「何の約束なの?」
「姉上は悲しそうだったよね」
 ジャキは姉の顔をじっと見て、言った。
「だから僕の大切なものを、埋めるんだ。またいつかこの宮が大陸とつながるように。僕がまた宝物を取り戻せるように――そしたらいつか、またここが大陸とつながるよ。僕が、また父様のピアスを取り戻すことが出来るように、頑張るから」
 彼は真剣そのものだ。
 サラはしばらく弟の顔を見つめて――緩んだように、笑い出した。
「ふふ……そうね。私も何か、埋めるわ。私も父様からもらったピアスを埋める。いつかふたりで、父様の形見のピアス、取りに来ましょう。ね」
 ジャキは満面の笑みで頷く。
 そしてふたりでピアスを埋めて、それから宮を切り離した。

 それから、北の宮の側にあるピアスはずっと埋まったまま。
 永い時を、その土の下で過ごすこととなった。
 ついに大陸と繋がることを許されなかったその場所で――





「――北の宮――」
 A.D.600年、かつてそのピアスを埋めた時より一万年以上もの歳月が流れたその時に。
 18歳になったジャキは、北の森の遺跡に辿り着いていた。周囲を森に囲まれて――誰も立ち入ることの出来ないその場所に。
 初めてこの遺跡を目にした時は、まさかと思った。だが――これは間違いなく、姉の封印したあの北の宮。懐かしい――またこの地に立つことが出来ようとは。
 封印を解くことは出来ない。魔神器によって力を得た姉のペンダントでのみ解除の出来るこの封印は、最早どう足掻いても解くことは出来ぬだろう。
「確か、台座の右端あたりに埋めた筈だ――」
 彼は、かつてそれを埋めたと思わしき場所にしゃがみ込む。そして、魔法を使わずに手で土を掘る。そうしなければいけない気がした。――何故だかは、分からない。
 暫く鳥の声を聴きながら、彼は掘り続けた。――そこでもない、此処でもない。記憶違いかとも訝ってみたが、それでも彼は掘り続けた。幼い頃に小さな手ですくった土。あの数倍もの土をすくえるようになったこの手。記憶の中の自らの手のひらと今のそれとは大きく違っていた。自分は確かに成長している。それが嬉しいような――そしてどこかになにかを置いてきてしまったような、なにか寂しい気もした。昔は自分よりも大きかった姉の手すら、今なら包み込むことが出来るだろう。その変化が、切なかった。普通の姉と弟のままではいられなかったのか――姉の年を越してしまった弟だなんて。
 どうでもいいようなことばかりが頭を巡る。
 そういえば――ここ数年、こんな事を考えている余裕がなかったような気もする。ぼんやりと過ごしている時間は許されなかったのだ。
 毎日が手探りだ。休んでいる暇などない。立ち止まればその時点で闇に飲み込まれる――王として君臨するべく、暗い闇の中を生きていたのだから。
 だが今はそれほどでもない。魔族はほぼ彼を認めてくれていた。やはりまだ未熟な面もあるのだが――それでも魔族たちの中に、彼に敵う者はそういない。幼かったジャキはそこまで上り詰めたのだ――よく、やったものだ。何となく、自分を褒めてやりたくもなる。が、此処まで上り詰めたからといって何になるのだという自嘲も同時に湧き上がるのも確かだ。 
 本当に、どうでもいいようなことばかりが頭を巡る。
 何を考えているのか。今自分が何をしようとしているのか。思わず脱線していってよくわからなくなって――
 ――こん。
 爪の先が、何かに触れる。石ではない。石ならもっと、痛い。
「――これか!」
 不意に我に返って、その手に触れたものを掘り返す。
 それは、深い藍色をした小さな箱だった。確かにずっと昔に、ジャキが埋めたものだ。ただ、それは驚くほどに古びていて――それはそうだ。一万年以上もの歳月が流れている。むしろ残っていること自体が奇跡的なのだ。
 恐る恐る、その箱を開く。懐かしいその感触、そして――
「父様のピアス――」
 中から出てきたのも、同じくらい懐かしいものだった。
 ジャキが物心ついて暫くしてすぐに死んでしまった、大好きだった父親の形見のピアス。獣の牙から作られたそれは、姉と自分とに与えられていた。
 そのピアスを、己の耳に付ける。牙が耳元でゆれた。
 遠い昔の約束の品。その約束は果たされずに、意外な形で再び彼の手に。
 ――こんなこと、望んじゃいなかったのに――
 彼は、サラも自分もちゃんとあの古代文明に生き、そして北の宮を浮遊大陸に再び繋げるようにとこのピアスを埋めたのに。それなのに――
 土の中にはサラの埋めた箱も見えていた。
 けれど、彼は再びそれに土をかける。
 今度は、無事に姉を助け出して、それから掘り返そう。
 これは、再び約束の品となる。
 これが再び姉の手に戻ることが出来るように、力を振るおう。
 かつて叶えられなかった約束の代わりに――


 
 それからもずっと、
 "魔王"ジャキはピアスを耳に付けていた。

 約束を、忘れぬために。
 約束を、今度こそ果たすために。


 遠い記憶の中で。
 そのピアスを大切に持っていた姉のために――