02.交錯する道の狭間に


 俺は反射的に立ち上がり、じりっと後ずさった。眼前に立ちはだかる声の主を睨みつける。見覚えがある、この街のごろつき連中だ――咄嗟にシュネを背に庇う。 
「……あ……」シュネは、ぽつりと呟いた。「さっき、パン屋さんに、居た……人?」
「……タチの悪いごろつき連中だ」俺は苦々しげに返す。「大方お前を殺せばお前の金が入るとでも思ってるんだろうよ。汚い連中だからな」
 背後で少女が息を呑む。――恐らく彼女ひとりでは、すぐに捕まってしまうだろう。どう贔屓目に見ても、彼女は弱い。
 それに、この街まで彼女自身の足でやってきたというからには、疲労も溜まっている筈だ。
 どうやって、彼女を護ったらいい――?
「……やっぱり……わたしは……」
 彼女は何かを口に出そうとする。そこには、なにか諦めの色のようなものが窺えて――俺は訝る。何を、考えているのだろう?
 そんな俺と彼女をよそに、街の連中は汚い笑みを浮かべる。
「――あいつを殺せば金が入るんだって?」
「俺ァ見たぜ、あの鞄には相当金が詰まってるな」
 人数にしてみれば、たったの四人だ。だが、少女を連れた俺に何が出来る?
 俺の胸中など露知らず、奴らは、ひゅう、と口笛を鳴らす。
「そりゃーいいな。格好から察するにどこぞの良家のお嬢様だろう。俺たち庶民が手に出来ねえくれえの金を持ってるだろうよ」
「いやぁ、しっかし、こんなちいさなお嬢ちゃんを殺すたぁ気が引けるねぇ」
「なあに、このお嬢ちゃんの眼を見てみろよ。"悪魔の申し子"だぜ? 俺たちのやってることは正等な悪魔退治さ。なあ?」
「違いねえ。ッはは!」
「ああ、そうするとアレだな。とっ捕まえるか殺すかしてどっかに申請すると金が出るんじゃなかったか? なんせ悪魔退治だからな」
「マジで!? なあーんだ、思わぬ儲けになりそうじゃねえか、なぁ!」
 連中の笑い合う声が、ぎりぎりと胸に食い込む。
 ――この、ゲス野郎が!
 俺は唇を噛む。他人に説教など言えた義理じゃあない、そんなことは分かっている。
 だからと言って、これ以上この少女を傷つけようというのか。己の私欲の為に!
「………………クロウさん、……わたし」
 男どもを睨みつける俺の背に、少女の声が微かに届く。
「シュネ、だっけな」俺は背後の少女を振り返った。「――今は、話してる場合じゃあ」
 少女は小さく首を横に振った。その表情は、俯いているために窺えない。
「……クロウさん……、わたし、もう……ここで――」
「なあ、お嬢ちゃん。俺たちと一緒に来いよ。生きてたって、仕方ねぇだろ? な?」
 ぽつり、と言う少女の声に、男の下卑た声が重なる。ちらりと見やると、少女の身が強張るのが見えた。僅かに震えている。
「――何、言ってやがるッ!」
 声を張り上げた俺の声も、男たちには響かない。下卑た笑い声を立てながら、なおも男たちは少女に言葉を連ねる。
「なあ、お嬢ちゃん。楽に、死ねるぜぇ? 生きてたって辛いだろォ」
「どうせ、何処に行ったって悪魔は悪魔なんだ。な、優しいだろ、俺たち。楽に死なせてやろうってんだからよ」
 少女が引きつったような声を洩らす。俺は少女を護るように、片手を伸ばした。
「お前らが欲しいのは金だけだろうが! そんなこと欠片も思ってねえくせに……ッ!」
「あれーぇ、嫌われ者の孤高のカラスさんが、今日はやけに喋るじゃん?」吠える俺の言葉に、絡み付くような男の声。「情でも湧いたのォ?」
「てめえらみたいな野郎に味方するのだけはまっぴら御免だっつってんだよッ!」
 笑い声が細い路地に反響する。俺は思わず唇を噛んだ。野郎――!
 しかし次に動いたのは、固まっていたシュネだった。一歩前に出る。そして彼女は、震えながらも男たちにおずおずと訊ねた。「……本当に……、楽に……死ねますか……?」
 俺は弾かれたように少女を見た。連中はひゅうっと口笛を鳴らす。
「きっと楽に死ねるぜぇ。カラス野郎、せっかく護ってやろうとしたのに、やっぱりお嬢ちゃんは死にたいんだねェ」
「ひとりで頑張っちゃって、カワイソー」
 げらげらと響く声。何を言ってるんだ、この娘は――!
「お前死ぬ気か!?」
「だ……、だって……ッ」
 怒鳴り声に狼狽する少女に、俺はなおも怒鳴りつける。
「楽に死なすだけの存在にそんなにでけえ報奨金かけると思ってんのか!? 何されんのかわかんねえぞッ!」
「……ッ!」
 シュネの顔に怯えが走る。おののくように震えた少女は、じりっと一歩下がった。男たちが舌打ちする。
「ったく、クロウの分際で女に肩入れしやがって……このクソ野郎が……」
 開き直ったように吐き捨てた男たちは、苛立ちの表情を浮かべていた顔ににやにやとした笑みを張り付けて、じりじりとこちらに歩を進める。
「いいよ、もうこいつ捕まえようぜ。眠らせてでも何でも連れてきゃ俺たちゃ大金持ちだ」
「山分けだからな、山分け。そんでも結構な額になるんだよな?」
「働くよりマシだろ。――さあて、お嬢ちゃん……」
 じりじりと近付く男たち。少女が俯く。
「……クロウさん……やっぱり、わたし……」
「――とっ捕まえろッ!」
 連中の雄叫びに近い声が、シュネの言葉を遮る。
 聞いている、ヒマはない――ッ!
「ッ、クロウさんっ!?」
 腕を掴まれた少女が、か細く悲鳴のような声をあげる。
 しかし、俺は止まらない。
 もう無我夢中だった。石床を蹴る。
 彼女の細くたよりない手を引いて、俺は駆け出していた。

  †

 夜も明けて間もない灰色の街に反響する、乱れた足音。
 不揃いな残響を残しながら、俺たちはただ走る他なかった。
 俺に腕を引かれて走るシュネが、振り絞るように叫ぶ。
「クロウさんっ、わ、わたし……い、いいんです、わたしを置いていってくださいッ!」
「あ!? このままとっ捕まっちまったらお前殺されちまうぜ!?」
 彼女の不服そうな声に、イラつきながら返す。少女の顔を見ている余裕はない。
「わたしなんて、行きずりの……だから、クロウさんには関係ないでしょう!? どうせ生きてたって、迷惑かけるくらいなら、わたし――ッ!」
「ざけんな! 俺はまだパンの礼してねえんだよ、勝手に死のうとしてんじゃねえッ!」怒鳴りつけた言葉に、何の説得力もないことは自分でも分かっていた。だが、そんなことは問題ではない。俺は彼女の腕を強く握り、勢い任せに怒鳴りつける。「いいから黙ってろ! 無駄に体力使うだろうが!」
「そん、な――……っ!?」
 俺は有無を言わさず速度を上げた。不服そうだった少女が足をもつれさせて言葉を失う。ついてくるのもやっとだろう、半ば引き摺られているようなものだ。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
 細い道では追手も一列にならざるを得ず、囲まれることもない。ならば走り抜けてみせる、身体能力は俺のほうが上だ。
 十字路に至り、俺は壁の角を引っ掴み勢い任せに遠心力で左の路地に滑り込む。引き連れた少女の小さな悲鳴が聞こえたが、壁に衝突したわけでもなさそうだった。俺はそのまま足を進める。
 とにかく奴らから、逃げ切らなけりゃ――!
「――くそッ! クロウの野郎、何だって庇い立てしやがるんだ!?」
「逃がすんじゃねェぞッ! ――畜生、あの野郎ッ! どれだけ俺たちの邪魔をすりゃあ気が済むンだよッ!」
 連中の毒づく声が背後から聞こえる。
「――おいカラス野郎ッ、その女を引き渡せよ! 分け前だってやるさ、悪い話じゃねェだろ! なあ!?」
「さっさと女を寄越しやがれッ!」
 そんな誘惑の言葉を並べ立てるのも、連中の声。俺は無視した。誰が渡してやるものか!
 応答はせずに走り続ける俺と連中の間に、徐々に距離が生まれる。俺はそのまま再び角を曲がる。
「左だ、左に曲がったぞッ!」
「――畜生、聞く気はねェみたいだな、向こうは女ひとり連れてんだ、いずれバテちまうだろうよォ!」
「此処で一ヶ月や二ヶ月遊んで暮らせるだけの金が入るかもしれねェんだろ、誰がそんなおいしい話を逃すかってンだ!」
 距離をあけたとは言え、確かに少女ひとりを引き摺って走る俺の速度には限界があった。連中の声が再び近くなる。ああ、くそ! 近付いている――!
 俺は慌てて抜け道を探した。そうだ、連中も同じ街に暮らしていたといえども、この街は、細い路地は、すべて俺の領域だ。地の利はこちらにある!
 だがしかし、頭は正常には働いてはくれなかった。この近くに、抜け道があった記憶はあるのだ。しかし、頭が真っ白で、冷静に考えられない。
 この状況で冷静になれるほど精神制御に長けているわけではないのだ、俺は。しかし、足音は着実に迫っていた。――直感に任せて、幾重にも連なる細い路地のひとつに滑り込む。
 その路地を進んで、右へ、右へ、そして左へ。少し開けた空間に出る。人の姿はおらず、ただ朽ちかけた木材だけが転がっている。
「ビンゴ、だ……!」俺はにやりとする。「俺の直感も捨てたもんじゃねえな」
 この空間には見覚えがある。かつては建物も建っていたようだが、取り壊されて資材置き場となり、やがて捨て置かれた空間だ。朽ちかけた木材たちは、ただ所在なげに一所に寄せ集められて沈黙していた。水避けの為か申し訳程度に掛けられた布も、木材を覆い隠すには少々大きさも足りない。
 俺はその布ごと木材を蹴り飛ばす。長く沈黙を保っていた木材ががらがらと崩れ落ち、そこに小さな窪みが現れた。地下通路への、扉だ。
「ここ――」
「俺が昔見つけた抜け道だよ。ちょうど資材に隠れてたからそのまま隠しといたんだ。――こんな時の為に、な!」
 窪みに手をかけて、その石蓋を持ち上げる。
「ここを抜ければ別の路地に出る! 先行け、シュネ、……?」
 ――彼女は、言葉も出せない状態にあった。相当無理をさせたのだろう、肩でひどく不規則な息をする。立ち止まった反動で、一気に疲労がまわってしまったらしい。時折、咳き込む。――流石に、心配になる。
「おい……シュネ、大丈夫か。おいってば……追手が来る、いいから飛び込め」
「……けほっ、……わたし、なんて……、置いていって、くださ……げほッ」
「駄目だ。そんなこた許さねえ。俺に会っちまったのが運の尽きだと思って諦めろ。ほら、早く。――早くッ!」
 俺は石蓋を押さえたまま、無理やり彼女の腕を引く。少女は、よろめきつつもなんとかたたらを踏み持ちこたえた。じっと、俺のほうを見て黙り込む。数瞬間を置いて、ようやくおずおずとちいさく頷いた。地下への仄暗い通路に飛び込んだ彼女の、階段を下りる音が反響する。
 ある程度少女が進んだのを見届け、俺は傍に散らばる木材を適当に足で扉の周りに寄せ集め、先ほどの布を上にかけて、自らも扉の中に飛び込んだ。再びこの通路を隠す為だ。無い力を振り絞り、大きな音を立てないように、ゆっくりと石蓋ごと身を沈めた。
 入り口を塞がれた通路を、真の闇が支配する。俺はそのまま息を潜めた。――暫くして、足音が聞こえる。地上からだ。
「いない?」
「ンな、まさかッ」
「あいつは神出鬼没だ、大方抜け道でも――」
「くそ、そんなモンどこにあるってンだよ!?」
「あーッもう! だからさっさと捕まえときゃよかったんだよ。お前だろ、パン屋であいつ見たの!?」
「俺だって、悪魔の申し子にむざむざ殺されんのはイヤだっての! んなこと言ってる場合じゃねえだろ、とりあえず探そうぜ!」
 ――そんな会話が聞こえ、そして、足音と共にすべて去っていった。
 俺は嘆息する。
 とりあえずは、一安心のようだった。安堵する俺の目の前に、突如やわらかな光が生まれる。――階段の下で、白い少女が蹲りながら手を掲げていた。光は、その掌の上にふわりと浮かんでいる。
「――すげえな。それが、魔法ってヤツか? 火じゃあねえ、みたいだな」
 俺は出来るだけ足音を立てないようにしながら階段を下り、彼女の掌に浮かぶもの珍しい白い光を覗き込んだ。
「……数ヶ月間、村では何も、できなかったから」彼女は俯く。「……魔法の練習なんて、ちょっとした暇つぶしのつもりだったのに、こんなところで役に立つだなんて思いませんでした」
「何にせよ、ありがたいよ。助かる」
 俺は少女の隣に座り込んだ。とりあえずは、彼女にも休息が必要だと感じた。少女は未だ落ち着かない息を押し殺すように、浅い呼吸を繰り返している。
 暫くそのような状態を続けた後、彼女は大きく息を吸った。きゅっと目を瞑って、息を吐き切る。
 目を開いた彼女が、遠慮がちに俺の顔を見上げた。
「……ここ、どこなんです、か?」
「さあな。ただの抜け道だよ」肩を竦める。「ただの移動路かもしれねえ。もしかしたら昔々のお偉いさんの脱出経路だったのかもな。――どうせ俺にはわかんねえからな、考えるのはやめたよ」
「そう、ですか……」
 彼女は再び俯いた。いつもいつも、下を向いている。その紅の双眸も、こう下を向かれていてはさほど目に付かない。
「……さて、行こうぜ。ここに腰を落ち着けるのも悪かないが、万が一挟まれでもしたら――あんまり考えたくない結末が待ってるだろうからな」
 俺は立ち上がって促した。少女は俺のほうを見上げもせずに、呟くように問いかける。
「……これから、どうするん、ですか……?」
「わかんねえよ。――とりあえず、生き延びることを考えろ」
 言う俺に、彼女は一瞬ちらりと俺のほうを見上げ、そしてまた俯いた。
「……ここまで、助けてくださって……ありがとうございます。でも、わたしのこと、気にしないでください。
 ……わたしに近寄ると、クロウさんにも、迷惑がかかってしまいます。……どうぞ、置いていってください」
 その言葉はあまりにも淡々としていて、感情が読めない。俺は嘆息した。「誰が迷惑になるって言ったよ。……行くぞ」
「……クロウさんは、知らないだけです。災厄の化身がどんなに忌み嫌われているか。たとえ一緒に行動しても……いずれ、クロウさんも面倒に思う日が来ます……きっと」彼女は感情を感じさせない声で、しかし震える声で、囁くように言った。「……話を聞いてくださって、わたしを助けてくださって、嬉しかったです。だけどわたし……もう、……」
 そこまで聞いて、俺は彼女の傍にしゃがみ込んだ。
「死なさねえよ」俺は、彼女の両肩を乱暴に掴んだ。「――いいか、俺がお前を護ってやる」
 彼女ははっとして俺を見、息を呑んで黙り込んだ。その双眸が、揺れる。
 俺は立ち上がり、何も言わない彼女の腕を引いて強引に立ち上がらせる。それでも動こうとしない。強引に進行方向に向けて「ほら」と背を押すと、暫くは動かずに居た彼女も、ようやく歩き始めた。――何も、言わないまま。
 歩き出したシュネのまわりを、彼女の生み出した魔法の光が漂う。その光も、延々と続くその細く長い道の果てまでは届かず、先には闇が広がっていた。
 照らし出されている通路は、俺の頭三つ分高い程度の高さで、幅は人が四人並べるかどうか、というところか。多少狭い感はあるが、意外にもきちんと舗装されており、足元も左右の壁も、煉瓦が敷き詰められていた。照明設備のようなものは見当たらない。ここまで舗装されているならあってもおかしくなさそうなものだ。
 以前ここを発見した時に調査した限りでは、この道は一本道になっていて迷うことはなさそうだ。しかし、距離だけは恐ろしく長い。
「……代わり映えのしねえ風景だな」
「……はい」
 何の気はなしに呟いた言葉に、力のない言葉が返る。
 時たま覗き見える少女の目は虚ろだった。疲労のせいもあるだろうし、傷ついた精神のせいもあるだろう。
「疲れたろ」俺は頭を掻きながら言った。「ここを抜けたら適当に廃屋でも見つけて休憩させてやるからな」
「……わたしはいいんです。クロウさんこそ、お疲れですよね。……ごめんなさい、わたしのせいで」
 俺はこっそりと肩を竦めた。随分とまあ、謝ってばかりいる。
「俺は別に何とも言ってないだろ。謝る必要はねえよ」
「……わたし、迷惑をかけてばかりだから」顔は上げずに、ふるふる、と首を横に振る。「ごめんなさい……」
 俺は嘆息する。少女の頭がまた、少し下がった。

  †

 "坊は俺の、生きる意味だからな"――そう言って笑った男の顔が、脳裏に浮かぶ。
 血の繋がりもなく、ただ護ったからと言って得るものがあるわけでもない孤児の幼子を、よくもまあ兄貴は護り抜いたものだ。
 ――長い通路を歩いて、もうどれくらいになっただろうか。
 あまりに代わり映えのしない視界のおかげで、俺は退屈しのぎに数少ない過去の思い出を思い返す羽目になった。
 シュネは依然自分からは口を開こうとはしない。

 どうも、彼女に会ってから不思議なもので、ずっと考えずにいた兄貴のことを思い出してしまう。
 ――いや、考えずにいたのは兄貴のことだけじゃ、ねえかな。
 俺はふっと自嘲気味に口の端を歪ませた。
 ずっと、何も考えようとはしていなかったような、そんな気がする。考える暇もなかったし、考えると優しい記憶を呼び覚ましてしまうから、なるべく避けていた。現実には、そんな懐かしい記憶とはかけ離れたものしかなかったからだ。考えないことで、自分の現実を忘れていることが出来た。人間とは都合よく出来た生き物だ。
 それなのに、今思い出してしまっているというのはどういうことだ?
 久しぶりに、まともに話したからなのかもしれない。――他人と。
 物心ついてから今までずっと、街の連中には疎まれてきた。それは俺が路上生活者であるということ、そして窃盗の常習犯であるということから考えれば明白な事象ではある。しかし、窃盗に手を染める前までは、俺は物乞いをしていた。飯を買う金もないんだと、雇ってくれる所もないんだと。少しでいいから、分け与えてほしいんだ、と。それでも邪魔だと疎まれ頬を張り飛ばされてきた。だからだ、俺が他人に心を閉ざしたのは。兄貴が死んでからこっち、兄貴のように俺に優しくしてくれる人間は、ただ一人もいなかったからだ。――だからこそ、他人とまともに話すことなど、ずっと無かったのだ。
 俺はちらりと、隣を一歩遅れて歩く少女を見やる。
 間違いなく、珍しい事態だ。俺を疎まずに、避けないでいる人間と、今俺は一緒に歩いている。
 だからかな、兄貴のことを思い出すのは――
「……シュネ、お前、兄弟とかいるのか」兄貴を思い出したついでに、俺は何の気はなしに訊く。それから、はたと思い出した。「って、"一人娘"――だったな」
 まさか俺からそんな質問が来るとは思わなかったのだろう、少女は久しぶりにこちらの顔を見上げた。
「兄弟――は、いません。けど、」少女はまた通路の先に向き直った。「わたしを妹のように可愛がってくれた、やさしい幼馴染のお姉さんがいました」
「へえ、……俺にもいたよ、血の繋がらない兄貴分が、な。……その姉貴は、どうした? まさかそいつもお前を――」
 と訊いてから、俺は、しまった、と思った。無神経にも程がある。
「あのどさくさでは、お別れを言うこともできなかったし、それに、姿を見ることも出来なかったです……」彼女は曖昧に笑う。「……ねえさまなら、きっとわたしを護ってくれたと思う、けど……それも、希望的観測かもしれません」
「そう、か」
 何と言っていいかも分からずに、俺も曖昧な笑みを返した。会話はそれきり途絶えてしまった。

  †

 ――少女が今も死を望んでいるのかどうか、俺には分からない。
 あの後、ようやく通路から這い出した俺達は、廃屋に転がり込んで仮眠を取ることにした。
 廃屋のその一室には、椅子が数脚と、寝台が埃被ったまま放置されており、シュネに寝台を譲った俺は見張りに徹することにした。
 窓辺に置いた椅子に横向きに座り、椅子の上で胡坐をかいた。背もたれに肘をつき頬杖をつく。
 窓の外はいつの間にか、闇だ。下品なネオンの色も今は光を消している。
 俺は部屋の隅の寝台で蹲って眠る少女に目をやった。
 シュネ。
 やわらかな白雪のようなその少女は、ひどく憔悴しているようだった。
 独りでは、彼女は何も出来ない。俺がいなかったら、あの時彼女は既に連中の手に落ちていたかもしれない。
 俺が居たから、彼女を護ることができた――だなんて、少々思い上がった評価だろうか。俺は自嘲の笑みを浮かべた。
 彼女が今、どう思っているかなど、俺には関係なかった。
 ――ただ、このちいさな少女を、これ以上傷つけさせたくない、と思った。やわらかな笑みを浮かべるその少女の笑顔を絶やしたくなかった。
 恐らく、兄貴が俺に思っていたように。
 そう思っている自分が、らしくない、と思いもした。
 しかし、俺はその想いを偽れそうにない。
 ――俺が彼女を護らなくて、誰が彼女を護るというんだ?
 無知であるがゆえの強さ、と呼べばいいだろうか。俺は、彼女を否定する感情などひとつも持たない。それは強さと言えるだろうか?
 ただひとつ言えるのは、――俺は彼女を護りたい。そう、思っていることだ。
 俺は思わず笑い出しそうになる。らしく、ないな。まったく。
 自嘲しながらも、再び少女に目をやった。物音がする。
 見やると、少女は起き上がってちょこんと座り込んでいた。じっと、俺のほうを見ている。眠ったとは言えども、たびたび起きていたため、眠りに落ちていた時間はそう長くない。体が休まったのだろうか。
 俺は肩越しに振り返り、問いかける。
「……起きたか?」
「はい」
 少女はぺこりと頭を下げた。
「ほんとに寝れたか? あんまり寝てたようにも見えないぜ」
 笑いながら、俺は胡坐をかいた形のまま、片膝だけ立てた。どうも俺も縮こまった姿勢が好きらしい。
「でも……クロウさん、起きてらっしゃいますし、そんなに……あの、申し訳なくて、その」
 彼女は正座でしどろもどろに呟く。
「俺のことは気にすんなって」笑う。「あんまり気を使ってばっか居ると生きてけねえよ」
「あの……わたしのこと、どうして助けてくださるんですか……?」
 彼女は俯いたままそうぽつりと訊ねてくる。
「どうしてもこうしてもないだろ、あの場合。ほっとけるか」
 言う俺に、彼女は暫く黙り込み、暫くして口をひらく。
「……こんなに、これからずっと、逃げ続けるのは……わたし」
 俯いたままだ。
「嫌か?」少女の震える声に、俺は立てた片膝を椅子の下まで下ろし、体ごと少し彼女に向き直る。「逃げる必要のないところまで、行けばいいさ」
「そんなところ……きっと、ない、です。紅い眼の人間は……嫌われ者です。眠れる獅子、いつ爆発するかわからない爆弾みたいなものです、から」
「……そういや、何が弾みで暴走とかしちまうんだ? それに、魔力っつっても、シュネは魔法なんてあんまり使ったこと無いんだろ?」
 彼女に話させておくといつまでも悲観的な方向に行きかねない。俺は質問で話を逸らした。
 シュネはどうも生真面目らしく、質問されるときちんと考えて返してこようとする。例に漏れず、俺の問いに彼女は暫く黙り込んだ。作戦通りだ。
「……ええと、わたしは仰るとおり、魔法に深く触れないで生きてきました。使えても、さっきみたいに光を起こしたり、火を点けたりするくらいです」彼女は手元をもじもじさせたまま、言う。「魔力が強いとか、弱いとか、正直わたしも実感がわきません」
「……だよな。なのに、急に"魔力が強かった"からどうのこうのって、意味がわからねえんだよな」
 俺は首を捻る。小さい頃から皆で可愛がってきた子が"そう"だったからと言って、いきなり村中の人間が殺戮者に変わる程のものなのか。どうにも、理解が出来ない。
 そんな俺に、彼女は力なく頭を振った。
「さっき言ったように、わたしの村は紅い眼の人間の暴走で壊滅状態に陥りました。人数が三分の一に減る、くらい。……ほんの、二十数年前です」
「ほんの、って」俺は指先で頭を掻いた。「……結構昔に思えるけどな」
「子どもが産まれない村なんです。わたしは村で一番最後に生まれた子どもですけど、次に若い人はわたしの十二歳年上です。――時が止まった、村なんです。村のひとたちの殆どにその悲劇の記憶があります。色濃く。わたしの生まれる前は、殺伐とした村だったと聞いています」
 彼女はそう言って、口を噤んだ。
「シュネは知らないんだろ。その、事件」
「さっき言った十二歳年上の人。それが、わたしの一番仲良しの幼馴染のお姉さんでした。ルー、という名前です」彼女は目を伏せた。「二十数年前に暴走した紅い眼の人間は、ルーねえさまの、お母さまでした」
「……そう、なのか」
 そう聞かされると、世代はそう遠くないように思える。シュネが生まれる前、一番幼かった子どもの母親が村を壊滅状態に陥らせた、と思うと――恐らく、時を止めた村で再び時を動かしたのがこの少女の誕生だったんだろう。
 その娘が、再び村に生れ落ちた災厄の化身であったことを知った村人たちの動揺はいかばかりであったろうか。俺には、想像が及ばない。
 そんなことを考えていた俺の顔をちらりと見やって、少女はあとを続けた。
「……ルーねえさまのお母さまが暴走した原因は、ねえさまのお父さまが不慮の事故で亡くなられたことだったと、聞いています。紅い眼の人間の暴走の原因は、魔力の操作ミスや、制御力不足です。そして、たとえ普段は抑え込めていても、大きな精神的動揺を受けると、それは脆くも崩れ去る。――だから、いつ爆発するかわからない爆弾なんです」
 シュネはそう言って、深い溜息をついた。
 俺は首を捻った。それは、おかしくないか? 彼女の今のこの状況は、まさに――
「だけどよ、シュネは――暴走してねえぞ」
 シュネは、はたと気づいたように顔を上げた。
「そう、です……よね。暴走どころか、何も、変わったことなんて無かった……です」
「……ちょっと、こっち来てみろよ。そっちは暗え」
 少女は小首を傾げたが、立ち上がってこちらに近付いてきた。椅子に座った俺に対して、珍しく彼女は見下ろすように立ち尽くす。しかし、視線はいつも通り、いやいつも以上に下方を彷徨っている。いつもの視線の位置だとちょうど俺の顔だからだろう、一見不自然に見える程に真下を向いている。
「こっち、見てみな」俺は顔を覗き込んだ。「眼、見せろ」
「え」少女はびくりと震えた。肩が強張る。そのちいさな両の手で顔の下半分を覆って、一体何を言い出すのかとでも言いたげな顔をしていた。ちらり、ちらりと、俺の顔を覗き見ては眼を逸らす。「な、なっ……なんっ」
 挙動不審におどおどする彼女の眼を、俺は覗き込んだ。
 ――そう、間違いない。紅い眼なのだ。強大な魔力を有する者の証たる、"紅い眼"の持ち主に違いない。その話に嘘がないとすれば、の話ではあるが。
「……うん、間違いなく紅い、よな。……紅い眼ってのは、必ずしもそんな魔力を持ってんのか?」
 俺は視線を逸らさないまま、訊ねる。彼女は耐えかねたように少し後ずさり、完全に視線を逸らした。
「え、えっと……っ、わ、わかりません。そ、そういう人がいた、という話は聞いたことが、ありますけど……」
 彼女はそのちいさな両の手で自らの頬を包んだ。窓から微かに差し込む光に照らされた顔は、ほんの少しだけ赤い。
「何だよ、どうした」
 俺は首を傾げた。彼女の様子が不審だ。
「ななななななな、なんでも、なんでもないですっ」
 彼女は俯いたまま頭を振った。今までで一番歯切れがいい返事だ。
「変な奴だな」俺は笑った。「――するってえと、お前にはそんなに魔力がないかもしれない。そういうことか?」
 その話題はそこまでにして早々に元の話題に戻る俺に、彼女は調子が狂ったように僅かに肩の力を落とした。へ、へんなやつ、って、と呟く声が聞こえた。やがて気を取り直したように小さく咳払いをする。
「……ええと……あの、魔力ですよね。魔法医の先生は……わたしにはその魔力が眠っている、と言っていました」
「じゃあ、間違いねえか」俺は顎に手をやり、首を傾げた。「……何で今お前は暴走しないんだろうな?」
「そ、そんなこと聞かないでくださいよう……」
 彼女は困ったようにそう呻いた。今までの力ない表情とは違い、どこか愛らしい表情だ。
「そりゃ、そうだな。悪い」俺は思わず笑った。「ま……とりあえずその問題は置いておくか」
 俺は思い切り伸びをした。
「じゃあ、行こうぜ。街の明かりも消えたし、今がちょうど逃げ時だ」
「……どこへ、行くんですか?」
 彼女は心配そうに小首を傾げる。
「そうだな。もう一丁、抜け道くぐりといこうぜ」
 俺は立ち上がり、口の端を僅かに上げた。
「外壁を抜ける。――この街を、出るんだ」



BACK / NEXT