03.揺るぎ惑う選択


「……今夜もまた歩くはめになるなんて」シュネは、歩きながらちいさな溜息を洩らした。「わたし、どこまでいくんだろう」
 誰に言っているわけではないその呟きに、俺は思わず噴き出した。まったく、この一日、俺らしくない。自嘲以外で笑うなんて、ここ数年来もなかったことだ。まあ、談笑する相手もいなかったわけだが。
「まあ、それが追われるものの宿命ってヤツだろうよ。……もう一度聞くけど、さっきはよく眠れたか?」
「……はい、よく眠れました」
 彼女は微かな笑みを浮かべる。しかし、その表情から悲愴感は消えては居ないように思えた。俺は気づかないフリをする。
「良好、良好」微かに笑って見せる。「さて、明日までに隣の街につけりゃいいけどな……」
 シュネは、曖昧な笑みで返した。

 
 ――あのあと、路地に這い出した俺達は、闇に紛れて街を護る防壁の外へと抜け出した。
 街は四角形の外壁に囲まれており、その壁のそれぞれに関門が設置されている。通常は其処を通過しなければ街を抜けることは出来ないが、関門など待ち伏せに一番適した場所だ。むざむざ行くのは命を捨てるも同じである。
 しかし、"真面目に管理をする"という概念のまるでないあの街で、外壁にある関門を通過せずに抜け出すような通路など見つけるのは容易かった。
 しかしそれは抜け道というよりは、外壁に出来た綻びと表現するほうが正しいだろう。何らかの原因で外壁の一部が崩れていたという、それだけだ。崩れた壁は建物の背面に位置していたし、抜け出た先も外壁を取り囲むように植えられた木々によって隠されていたため、一応気づきにくいといえば、気づきにくいものではあるが、管理の杜撰さに笑ってしまう。
 この道は俺が幼い頃見つけたものだが、兄貴に"穴がある"と主張したものの、兄貴は"魔物がウヨウヨいるから坊みてえなちっちぇーのすぐ食われっちまうぜ"と言われてから近付くのを止めた。
「……魔物なんて、出るのかねえ。お前が隣の街から歩いてくる時には大丈夫だったのか?」
 俺は歩きながら、シュネに問いかけた。兄貴に一杯食わされたという可能性も捨てきれない。
「そうですね……魔物と遭遇は、していません。街道の整備された都市間では、安全対策が施されているそうですよ。例えば、このタイル」彼女は、足元の石床を指差してみせた。「――魔物避けの魔法を施してある特殊な石だそうです。街道沿いの木も、魔物の嫌がる匂いだったか、何かがある木らしい……です」
「はあ、そんなもんがあんのか」俺は足元を見やる。何の変哲も無いただの石床に見える。「めんどくせえからどこもかしこも敷き詰めちまえばいいのに」
 そう言うと、少女は少しだけ笑った。
「お値段、張るみたいですよ」
「カネ、カネ、カネだな」俺は頭を掻いた。「しっかし、お前も田舎の村で暮らしてた割に、詳しいな」
「……母さま、が、若い頃は他の都市に留学していましたから」彼女の声が、急に、詰まる。「色々……、……話を、聴いていたんです」
「……そうか」
 俺はなんとなくばつが悪くなった。先程から何かと故郷で失ったものばかり思い出させてばかりである。
「……あの、クロウさん、行く先に当てはあるんですか」
 彼女は僅かに震える声で訊ねてきた。視線は、俺の首から下を彷徨っている。いつもどこか所在無さげな娘である。
「いや。ねえけど」俺は肩を竦めた。「ま、街道沿いに歩いてりゃどっかにつくだろ」
「もしも、隣の街がすごく遠かったら……?」
「野宿かな。まあ、どこで寝ようとあんまり変わんねーよ。な」
 僅かに笑ってみせると、シュネは複雑そうな顔をした。
 そういえば俺は昔から基本が野宿だったが、彼女はそうではないのだろう。なにしろお嬢様育ちである。ふかふかのやわらかいベッドで寝ていたのかもしれない。まあ、何を考慮したとしても野宿という現実は何も変わりはしない。俺は考えるのを止めておいた。
「……クロウさん、あの街を、出てよかったんですか?」
 しばらくして、彼女がぽつりと訊ねてきた。予想もしなかった問いに、俺は一瞬眉根を寄せる。
「ずっと、ずっと……あの街にいたんでしょう? 通行証なくても、抜け道、知っていたのに」
 なるほど、確かにそれは道理だが。――だが、外に出る理由がないのと同じくらい、留まる理由など存在していない。
「あの街に未練なんざねえよ。街を出なかったのも、どこで生きようが、変わりゃしねえと思ってただけだ。あの街だろうが、この街道だろうが、他の街だろうが、俺は何処でもいいんだよ」
「そう……なん、ですか」
 シュネは俺のやや無愛想な返事に、戸惑うように目を伏せた。
 俺達は暫く無言で歩みを進めた。静かな街道に、虫の声と足音だけがささやかに反響する。
 暫くして、俺はあまりに無愛想すぎた返事を取り繕うように、口をひらく。
「……少し、街の外には興味あったけどな」俺は軽く天を仰いだ。「"青空"、……見てみたかったからな」
「青、空?」
 少女は少しきょとんとした様子で、俺の顔を見上げた。意味を掴みかねているらしい。
「お前、さっきの街で空見たか?」
 問うと、少女は僅かに首を捻った。まあ、見ているような暇は無かっただろうということは推測できる。
「空気が濁ってるせいかな、あの街の空は色がないんだ。……あの空しか見て育ってこなかったからな、俺は青い空なんてもんは知らねえんだ。
 ――シュネ、お前は青空ってのを見たことあるか?」
「はい……村の空は、とっても綺麗な色でした」彼女は頷いて、目を細めた。「目がまだ見えなかった頃、ルーねえさまが、教えてくれました。今日も空が青いよ、って。いつも綺麗な青なんだよ、って」
 想いを馳せるのは、その青い空の色なのか、はたまた幼馴染のことなのか。――容易に推測は出来るが。
「……クロウさんも、その、"青空"――を、さっき言ってたお兄さんに聞いたんですか?」
「ん、そうだよ」
「そのお兄さんも、幼馴染だったんですか? ご近所さん、とかの」
 俺は彼女を見やった。そして、少し笑って答える。
「幼馴染って言や、そうだな。……俺は捨てられっ子だったからな。なんか知らんけど、物心ついた時から路上生活でな……」
 それを聞いた少女の顔が少し強張る。聞いてはいけないことを聞いてしまった、と思っているのだろうなということが容易に読み取れる、気まずげな表情。それがまた何故か可笑しくて、俺は噴き出した。
「なんだよ、気にするなよ。で、兄貴は俺と路上生活を共にしてくれてたんだ。何でか、知らねえけどな。小せえ頃はそれが当たり前だったからな。兄貴が何者だったのかも、よくは分からん」
「……ご、ごめんなさい……あの」少女はおろおろと視線を彷徨わせた。「わ、わたし……失礼なことを……」
「こっちは聞かれようとどうとも思わないんだって。気にすんな」
 笑う俺に、彼女はどうしていいか分からない様子で、とりあえずおずおずと頷いた。
「いい奴だったんだ。俺の知らないようなことを、色々教えてくれてな」
「……そのお兄さんは、もう街には……」
「死んじまったからな」俺は肩を竦めた。「――もう、十何年も前だろうな。正確には、俺も分からん」
「……ごめんなさい」
 先程からとにかく謝らせてばかりだ。俺も少々気まずくなる。その空気を紛らわすように、俺は言葉を続けた。
「兄貴のことを思い出すのは、久しぶりなんだ。お前と会ってから、妙に思い出すよ」
「わたしと?」
 笑ってみせる俺を、少女はきょとんとした表情で見上げる。
「人と話すのも、悪かねえな」俺は少し伸びをした。「兄貴が死んじまってから、俺は嫌われ者だったからな……」
「そ、そうなんですか?」
「見て分かるだろ? こんだけ性格の悪い路上生活者だぜ」
 笑いながら言うと、彼女は少し胸元で手をもじもじさせた。
「……クロウさん、性格悪くなんて……」
「ん?」
「……いっ、いえ……」少女は俯いた。「な、なんでも、ないです」
 相変わらずしどろもどろしている。不安と恐怖から来る怯えではなく、単に恥ずかしがっているように見えた。俺は口の端を少し上げた。なんと言うか、まあ。面白い娘だ。
「街の連中も、大概性格悪いけどな……いちいち考えてたら狂っちまいそうだったから、もう何をされようと深く考えないことにしてたな。お前を追い回してた連中みたいのが、ゴロゴロしてるんだぜ。あの街」
「……それは……」
 気遣うように上目遣いで窺ってくる少女。俺はらしくもなく笑った。もう何度目になるか分からない。自分が"笑う"だなんて、どう考えても珍しい。
「考えるのやめりゃ、意外と楽なもんだ」
 俺の言葉に、少女は曖昧に笑ってみせた。答えあぐねているような、そんな様子で。
 これ以上この話題を引っ張ってもシュネを困らせるだけだと判断した俺は、話題を戻した。
「さっきの……青い鳥と、同じような色なのかね。お前の村の、空は」
「空? ……そう――ですね。あの子みたいな、綺麗な色でした」
 彼女は、ふと周囲を見回した。どこかにあの鳥が居やしないかとでも思ったのだろうか。すこし残念そうに、彼女は視線を落とした。
「……あの鳥。いなくなっちまったな」
「青い、鳥」彼女はこくり、と頷く。「……あの子にも見放されたみたい」
「馬鹿言うなよ、鳥は鳥だぜ。見放すも何もねえだろうが」
 ――流石に何もかも後ろ向き過ぎる。俺は思わず声を荒げた。苛立ちのにじむ声に、彼女は一瞬びくりと体を震わせた。不安そうに、見上げる。月を背にした少女のその瞳の深い紅は、今は暗く沈み、色も分からない。
「……わかって、ます、ごめんなさい……でも」
 彼女は胸の前でその両の手をきゅっと握った。
「――"青い鳥"がこの手から逃げていってしまうなんて、ほんとうに――」
 俺は片眉を跳ね上げた。少女が何を言っているか、俺にはわからなかった。
 ――すべてこの手から離れていくみたい。
 ただひとつ、ぽそりと呟いた言葉が、妙に耳に残った。
 
  †

「……疲れたろ。いったん休憩しようぜ」
 俺は振り返り、そう切り出した。あれから数時間歩き続けた俺たちの視界には、まだ隣の街の外壁すら映らない。映らないが、シュネは体力的にもう限界のように見えた。
 俺の少し後ろをおぼつかない足取りでついてきていた彼女は、それでも気丈に首を横に振る。
「だい、じょうぶです。歩けます……わたし」
「嘘つけ、ふらっふらじゃねえか……」
 俺は肩を竦める。どこにそんな虚勢を張る元気があるというのか。思うに彼女は遠慮してろくに休んではいないのではないだろうか。そんなに気を遣う必要はないと思うが、彼女の性分なのだろう。
「背負ってってやろうか?」
「だだだ大丈夫ですっ!」
 俺の提案に、少女はやけに力強く首を横に振った。正直俺にも背負う体力があるかどうかは分からないので冗談のつもりではあったのだが。思わず笑う。
「無理、すんな。――休める時に休まねえと、ぶっ倒れるぜ」
 彼女は本当に止まっていいものかどうか躊躇うようにしていたが、やがて歩みを止めた。
「……すみ、ません……」シュネは肩で息をしながら、それでもそう言う。「足手まといです、ね……わたし」
 そもそも体力が無いであろう彼女は、それでも何度も何度も謝ってみせる。健気と言おうか、なんと言おうか。大体彼女の意見を無視して引き摺りまわしたのも、俺だ。責められこそすれ、謝られる覚えなど無いと言うのに。あまりにずっと謝り続けられても、どうしていいか分からなかった。
「なんつうか……、引き摺り回してる俺が言うのも、筋違いだろうけど」俺は頭を掻く。「――あんまり、痩せ我慢すんな。辛けりゃ辛いって言え。俺が無理させすぎたんだよ。お前は悪くない」
「……クロウさんは優しいですね」彼女は鞄の紐を両手できゅっと握る。「迷惑……かけて、ごめんなさい。わたしなんて、なんにも、出来ないのに……」
 耳慣れない言葉に、眉根を寄せる。
「……俺のせいだって言ってるだろうが。謝んな」
 俺が低い声で言うと、彼女は押し黙った。ただ、荒い呼吸だけが聞こえる。ここには彼女に与えてやれる水も何もないのに――やはり無理をさせすぎた。
「……いや、ごめんな」俺は彼女の頭をくしゃくしゃっと撫でた。「俺、他人と行動すんの慣れてねえんだ。気使ってやれねえで、ごめん」
 ちらりと見やると、彼女の伏せた目の端に滲む涙。それでも零れないようにこらえている。何を思っての涙かは、俺には知りようもなく。
 彼女はその小さな指で、涙を掬い取るように拭いた。顔を伏せたまま、足を止めたまま、口をひらく。
「……クロウさん」
「……どうした?」
「わたしを……助けてくれなくても、いいんです……」ただその小さく絞り出す様な声で、続ける。「……わたしを、置いていって……いいんですよ」
 肩で息をしながら、彼女は半ば懇願するようだった。それでも俺は、首を横に振る。まだ、言うのか。この娘は。
「……お前、しつこいぞ」
 取り付く島もない言葉――とでも思ったのだろうか。彼女は、切なそうな顔をして、俺の顔を見上げる。どうして放っておいてくれないのか――言わんとするところはそんなところだろうか。
「……わたし、何も出来ない。迷惑しか、かけてない」彼女はそう言って頭を振った。「申し訳ないんです。置いていって、ください」
 だが俺は、首を横に振った。
「……いいから、休めよ。俺は、お前を置いてく気はないからな」
 俺はそれだけ言うと、勝手に街道沿いに生える大きな樹のほうに身を翻した。これ以上話しても何も変わらない。
 俺は彼女を置いていく気もなく、彼女は時折俺を突き放そうとしながらも、結局ついて来ているのだ。
 そう、変わることはないのだ。――そう、思っていた。
 しかし、歩き出した俺の背に彼女がついて来ることは無く。
 彼女が、ぽつり、と言う。
「どうして、ですか……」
「……あん?」
 俺は眉根を寄せた。振り返ると、彼女はもう俺の背を追ってはいなかった。
 距離が開いたまま、彼女は依然その場で俯いている。月を背に立ち尽くしているその少女の表情は、窺えない。俺は妙な焦燥を覚え、聞き返す。「――何だって?」
「クロウさんは、」
 彼女は俯いたまま、震える声で言う。
「……クロウさんは、いえ、クロウさんにとって、わたしは、行きずりの、怪しい、警戒すべき人間だったはず、です……それ、なのに」
 彼女は顔を上げた。心なしか強い語調。
「どうして……どうして、わたしを、助けるんですか……? 変です、それは……おかしいです。わかりません!」
 ――その紅い双眸が、真剣なひかりをたたえて、俺をじっと見つめていた。彼女の真剣な目に、俺は思わずたじろぐ。
「何度言わせるんだよ、わかんねえのか……俺は……」
「わかりません……クロウさんの仰ることは、わかりません……っ!
 クロウさんが、わたしを信用できないと、仰ったように……わたしにも、クロウさんの行動の意図が、わかりません……!」
 彼女はふるふると首を振った。行動の意図を問われた俺は、胸を刺し貫かれたような気がした。そんな、もの――
 俺は、うまい反論が出来なかった。
「理由が――なきゃいけないってのか? 行動の全部に、全部理由がないと駄目ってか?」
「だってッ! クロウさんが仰ったことでしょうッ!?」
「……ッ!」
 俺は口を噤んだ。――まさか、シュネが怒鳴るとは思っていなかった。
「近付いた理由がどうとか、こんなことした理由がどうとか、……。
 ……クロウさんがわたしにそう言って下さったように、わたしも、クロウさんが悪い方だとは思えません……、
 ……だけど! だけど、どうして助けようとするんですか!? わたしなんかを助けて、何があるって言うんですか! 何も、ないんです。……何も、ないんですよ!」
 今にも泣き出しそうな表情をして、彼女は言う。
 ――抉られる、ようだ。
 ずっと無くしたと思っていた自分の心が、まるでぐりぐりと抉られているように思えた。目を逸らしていたものに、無理矢理焦点を合わせられている気がした。
 ぎりっと唇を噛む。俺には返せる言葉もなかった。ただただ、彼女が喚くのを聞いてる他なく。
「わたしなんて、護っていただく価値もない人間なんですッ!
 ……クロウさんに、ご迷惑をかけてまで……生き延びるような……そんな、人間じゃ……。
 どうか……放っておいて……くださ……っ!?」
 突然、すとん、と彼女の足から力が抜ける。少女は思わずへたり込んだ。
「――シュネ!」俺は屈み込んだ。「おい、シュネ。大丈夫か」
「だ……いじょうぶ、です……だから、わたしに……もう、構わないで……、……ください……」
 少女は俯いたまま、首を横に振る。か細く震える、力ない声。
 それきり、彼女は口をひらかなかった。――もう、体力の限界だった。

 †

 街道沿いの樹の下に胡坐をかきながら、俺はいつものように天を仰いだ。初めて見る、鮮明な星空。
 美しい。――そう表現するしかなかった。あの灰色の街などとは比べようも無く冴え渡る。
 "どうして"、か――
 俺は頭を掻いた。
 俺は、自分勝手な人間なのだろう。
 それは認めざるを得ない。こうやって腰を落ち着けて考えていると、様々な後悔に襲われる。
 俺は倒れた少女を街道沿いに生える大樹の下に運びんでから、ひとり考え込んでいた。
 降るような無数の星が視界いっぱいに瞬いて、まるで宝石店のショーウィンドウのようだった。もう少し詩的な表現が出来ればいいものを、その何処か俗っぽい表現しか出来ない自分がどうにも情けない。
 俺は傍らの少女に視線を落とす。
 倒れる前に彼女が俺に投げかけた問いを、頭の中で反芻する。
 ――既に、俺の行動全てを支配していた感情はその熱を失っていた。突発的感情による突発的行動だけで突き進める状態ではない。目が、覚めたようだ。
"わたしなんかを助けて、何があるって言うんですか!"
 彼女らしくないその振り絞るような悲痛な叫び声。耳に残って離れない、その言葉。
 そりゃ、そうだよ――何故なら、最初にそう聞いたのは、俺だ。俺は嘆息する。
 俺はあの感情の意味を、俺のらしくない行動の意味を考えざるを得なくなってしまった。このままでは、何処にも進むことが出来ない。そんな気が、する。急に道を見失ってしまったようだ。
 ――護りたい、と、思ったのだ。ただそう思っただけだ。
 他人などどうでも良かった筈だ。そんな俺が他人を護りたいだなんて、そんなことがある筈もないのに。俺が護りたいと思うのは、いつだって自分だけだった筈なのに。他の何も要らなかった筈なのに。
 彼女を助けたから何がある、と言われても答えが見出せない。
 金が欲しいわけじゃない、と言えば嘘になる。しかし金と彼女を秤にかけたとして、その比重は間違いなく彼女の方が重いだろう。金は、食料は、奪えば済む。しかし彼女は誰からも奪えない。彼女の代わりはこの世界に存在しない。
 代わりが存在しないから、何だと言うのだろう。――俺は彼女を、失いたくなかったのか?
 そこまで考えてしまってから、俺は考えても考えても同じ結論にしか辿り着けない。
「似てる、から……か?」
 自嘲まじりに、俺はひとり口の端を上げる。
 俺と彼女とは、似ている。――勿論、見た目が、とかそういう意味ではない。一見、俺達は何もかも対極にある存在だ。
 しかし、世界への諦めに似た感情と、どうにもならない現状。憎まれる自分。極限の孤独。生きる意味も意思も失った何も無い状態。言うなれば――色の無い、世界。
 ああそうか――俺と彼女とは、似ている。
 彼女なら、俺の孤独を理解してくれると思った。俺を受け入れてくれると思った。似たものどうしだからこそ、俺にとって彼女はそういう存在になりうるのだと、どこかで思ったのかもしれない。
 事実彼女への哀れみを感じたその時から、俺のらしくなさときたらどうだ。彼女を慈しむ気持ちが湧いた。本当に俺が慈しみを覚えたのは、彼女自身に、か? ――彼女に、自己投影しているだけではないのか?
 俺は自嘲する。
 自らを慈しむがゆえに立場の似た彼女を慈しんだ。彼女と共にいることで俺は俺の孤独を癒そうとした。彼女を護ることで充足感を得ようとした。そして、彼女の意思を完全に無視した。
 俺は彼女の意思を全て踏みにじり、自己愛ゆえに彼女を引きずりまわしている。そういうことだろう?
 失いたくない、だと?
 これ以上生を望まぬ彼女に、死なせないだの、護るだの、――そんなのは独り善がりでしかない。
 ひとり、嘆息する。
 ――俺は、自分勝手な人間なのだろう。

「……お前を、連れ出すべきじゃなかったのかもな、俺……」
 傍らで眠る少女に目をやる。上等な服だったのに、すっかり薄汚れてしまっていた。
「おかしいよな。……俺、他人を信じるのなんてまっぴら御免だったのにな。その俺が、護るだなんて、お笑いでしかねえ。
 ――お前の孤独を自分の良いように利用しようとしてただけなのかもしれねえ。お前にその気は、全くないってのにな」
 俺は、彼女が唯一自分の気持ちを分かってくれる分身だと錯覚していたのかもしれない。 
 今までは、味方など要らなかった。全てが敵だった。あの灰色の街の連中と敵対していたから、憎んでいたから、忘れていられたが――俺は、孤独なのだ。強くなどはない。
 幼い頃の記憶が過ぎる。俺は、確かに知っていたのだ、他人と共にある喜びを。だから、他人に否定されるのが――怖かった。どうしようもなく。
 いつしか自分の境遇には慣れてしまっていた。今更こんな人生は真っ平だと言い出すことすらやめていた。信じれば、愛せば、裏切られた苦しみは大きい。何も思わないことに専念していた。なのにこの少女と出会ってから、俺はもう独りになることを考えられない。
 確かに彼女のことを不憫だと思った。このか弱い少女が死を選択するというその悲愴さを放っておけないと思った。彼女を踏み躙る連中に怒りを覚えたりもした。しかし、その感情は彼女と出会う以前の俺には存在していなかったものだ。少なくとも、兄貴を失ってからは。十数年間、ずっと。
 だからこそ、その感情が彼女のためのものであるのか、ただの自己満足でしかないのか、俺に判断する術は無い。俺は誰よりも自分の感情を信用ならない。
 どうせ、ただの自己満足だろう。全て。孤独な人間の傷の舐め合いでしかない。しかもその相手すらも俺から離れようとしている人間なのだ。
 ――不意に、少女が寝言をもらす。
「……父さま……母さま……」
 失ってしまったものの名前。――酷く心細いだろうに、どうしてこの娘は全て抱え込んでしまおうとするのだろう。自分の全てを奪い去った人間たちへをどうこうしようとは考えていないのだろうか。自分が全てを抱え込んで死んでしまえばいいのだと、本気で思っているのだろうか。
 彼女は、全部自分が悪いのだと言い続けた。全てを奪われたのは彼女だというのに。彼女自身は何もしていないというのに。痛みに耐えているのは、苦しんでいるのは、悲しんでいるのは、――すべて、彼女だというのに。
「……シュネ」
 俺は胡坐をかいた姿勢のまま、片膝だけ立てて片腕を膝にのせた。そのまま傍らに眠る少女の顔を覗き込む。その白い姿は、蹲ってちいさく丸まっていた。両の目は今は閉じられており、長い睫毛がその頬に影を落としている。眠っている、ようだ。よく眠っているらしい。
 倒れるまで疲弊しなけりゃ気を遣って眠れないだなんて、損な性分だよ、本当に。
 無意識に口の端が上がるのを感じた。少女の弱さが、優しさが、妙に痛々しい。だから、放っておけないんだ――なんて、それも自己満足だろうか。もう、分からない。
「お前なら大丈夫だろ……お前ほどきれいでやさしいお嬢さまなら、俺とは違ってどこにでも受け入れ手があるだろうよ……なあ」
 語りかけるように、呟く。勿論相手は聞いてはいないだろうし、聞いていたらこんなことは言っていない。
「紅い眼なんて気にする必要はねえよ……誰か優しい人間を探せばいい。そんなに抱え込むなよ……誰か、俺みたいに自分勝手じゃない奴に全部ぶちまけちまえよ……潰れっちまうぞ……?」
 不意にもぞりと動いたかと思うと、少女は寝返りをうった。起きる気配は――ないようだ。
「……お前といりゃ、俺も孤独じゃなくなるとか思ったけどさ……俺は、"お前を"孤独からは救えないもんな。俺は自分勝手にお前を傷つけてるだけなんだろうな。
 ……結局独り善がりなんだよな」
 月明かりに照らされた少女の顔を見やる。俺に背を向ける形で寝返りをうったため、今は横顔しか見えない。小さな顔。投げ出されて軽く握られた小さな手。――あまりにもか弱い。
 俺はこの少女を護ろうだなんて言い出せた人間か? こんなか細い少女一人さえ護れないんじゃないのか。
 護る? 護られているのではないか。彼女の存在に、俺が。生きることを望んですら居ない少女に。彼女の意思さえ無視して、俺だけが。――なんて、臆病で自分勝手な人間だ。
 "お前を護る"だなんて、思い上がりにも程がある。この娘は、俺の傍にいるべきではないのに――
「死ぬなよ……生きろよ」俺は目を細める。「自分を見限るのは、まだ早すぎるだろ――?」
 俺はこの少女の髪を撫でようとして手を伸ばす。
 瞬間、
「……クロウさん?」
「ッ!?」不意に少女が俺の名を呼んだ。俺は慌てて腕を引っ込める。「――な、……んだ、シュネ、起きてたのか?」
「いえ、その……、目が、覚めちゃって」彼女はむっくりと起き上がって正座した。俯いたまま、あとを続けた。「あの……次は、クロウさんがお休みになってください。わたしはじゅうぶん休ませてもらいました、から」
 それだけ言うと、彼女は顔を上げてぎこちなく微笑んだ。今はもう、視線を彷徨わせてはいない。彼女は真っ直ぐに俺の眼を見つめている。月光を宿す、吸い込まれるように深い、目の覚めるような紅い瞳。――俺はそれを、美しい、と思った。どんな宝石よりも澄んだ無垢なひかりをたたえた、その瞳。濁りきったものを映してなお、美しい瞳。――急にやるせない気持ちになる。この娘が死を選択する立場にあるのだ、などと――
「いや、俺はいいよ。目が冴えてるんだ」俺も、ぎこちなく微笑む。「シュネ、お前はもうちょっと休んでおけ」
「そういうわけにもいきません」
 彼女は首を横に振る。気弱な娘かと思えば、変なところで強情だ。
「いきません、ってな」俺は眉根を寄せた。「あんなにぱたぱた倒れられちゃこっちとしても心配なんだよ……」
 その心配すらも自己満足かもしれないが、と自嘲する。自分の感情のことさえ俺はよくわからない。
 ――俺は、何を偉そうに保護者面しているのだろうか。ひどく、もやもやする。彼女に優しくしている自分が馬鹿らしい。救いようも無いくらい惨めに思えた。
 彼女を護りたい、と思う気持ちは依然そのままだというのに、彼女への同情もそのままだというのに。決定的に違う何か。――きっと、それは俺の迷いのせいなのだろう。その為か、俺はどう声をかけていいか分からなかった。どうしていいかも分からない。彼女の言うとおりに彼女を見放せばいいのか? 彼女の言葉を無視して護り続けるのか? ――胸中でただ迷い続けて押し黙る俺の顔を、僅かに小首を傾げてシュネは覗き込む。そしてそのまま何も言わずに、樹の幹を背にする俺の隣にやってきてちょこんと座り込んだ。初めて会った時と同じく、俺との距離は少し取っている。
 探るように、すこしこちらに顔を向けて唇を噛んでいた。俺は、そんな彼女を見やる。はっとして目を逸らした彼女は、俯いてもじもじした。前髪に隠れて、その表情は窺えない。ただ、何かを逡巡するように、口元が開いたり閉じたりし続けていた。
「……さっき……」暫くして、彼女はぽつりと言った。おずおずと、俺の顔の下のほうに目線を彷徨わせる。「さっきのこと、ごめんなさい」
「……何のことだ?」
 問い返す俺に、彼女は頭を垂れる。
「……怒鳴ったりとかして、……ごめんなさい。わたし、頭がこんがらがってしまって……、……クロウさんに当たるなんて、わたし」
「……いや。俺だって……好き勝手にお前を振り回してるだけだったし、さ」
「……クロウさんは優しいですね」
 首を横に振る俺に、少女はそうぽつりと呟いた。俺はすこし目を見開いて少女を見たが、再び頭を振るのみに留めた。少女は、気まずげに唇を噛む。
 暫く、俺達は何も言わなかった。何を言えばいいのか分からなかった、という方が正しいのかもしれない。
 沈黙がおちる。夜のしじまに虫の奏でる音だけが遠く響いた。不意に梢をわたる風に、並木がさざめく。やがて消え去った後にも、虫の音は鳴り続けていた。
 気まずい沈黙と、時折ぶつかり合う視線。お互い、探っているのだろう――ということが、何となく分かる。
 暫くして、その静寂を破ったのは俺の方からだった。
「……なあ、シュネ。お前、何で、そんなに自分ばっかり、責めるんだ……?」
 その問いに、少女は困ったように首を傾げる。
「それは、例えばどういう……?」
「俺に迷惑をかける、とかそういうことだけじゃなくてさ。お前、村の連中を恨んじゃいねえのか。お前の生活をズタズタにしたのは、結局……お前の村の……」
「言わないで、ください」
 俺の言葉を遮って、彼女はかぶりを振る。ゆっくりと頭を垂れた少女は、溢れ出しそうなものを堪えるように一度唇を噛んだ。そして、目を伏せる。ぎゅっとかたく目を瞑ったまま、シュネは暫く口を噤んでいた。何を考えているのかは分からない。
 やがてゆっくりと目をひらき、彼女は口をひらいた。
「……村の人を、責めるなんてこと、わたしには出来ません。みんな、大好きだったから」
「だけどよ、そんなお前を、村の連中は――!」
「――わかってます!」膝元に置いた両手が小刻みに震える。「……それでも、わたしが、"こう"じゃなかったら……村のみんなも、きっと……、だから……」
 シュネは指先で涙を拭い取った。また、顔が赤い。
「……わたしが……全部、壊したんです。村の平和も、父さまも、母さまも……。
 わたしがわがままを言わなければ、今までどおり、きっと続いていったんです……わたしが、悪いんです……」
「お前が……何したって、言うんだよ……」
 驚くほど力のない自分の声が口から漏れる。少女は頭を振った。
「…………わたし、ずっと、目が見えなかったから……村のみんなにたくさん、助けてもらったんです。迷惑かけてきて……いつか、目が見えるようになったら、たくさん、恩返ししたかったのに……」なおも少女は、呟くように言う。「何で……なんで、こんなことになっちゃったの、かな……」
 やりきれない気持ちになる。どうして、そんなに自分を責めるのだろう。何故、誰かを恨むことが出来ないのだろう。何故、そんなに村の連中を信用したいのだろう。愛しているのだろう。
 ――似てなど、いない。俺と彼女は欠片も似てはいないではないか。
 俺は誰かを憎むことで身を護っているのに、彼女は誰かを愛するあまりに全部抱え込んでしまう。誰かを責めることが出来ない。優しすぎるがゆえの弱さ。
 ――そんな彼女の傍に、誰かを憎むしか能のない俺が居ていい筈がない。
 俺は俯いた。横並びに座っていた彼女の方へ、俺は体ごと向き直った。胡坐をかき直す。
「……なあ、シュネ」
 声をかけても、彼女は顔を上げない。俺は構わずに続けた。
「お前の本当の気持ちを、聞かせてくれないか」
 聞いてやっとシュネは顔を上げた。彼女は戸惑うように小首を傾げて俺の顔を見る。俺は、胡坐の上で両腕を組んだ。
「お前はこれから、どうしたいんだ……?」
 見据える目。小さく息を飲んだ彼女。
 再び、風が吹く。
 さざめきが消えても、その視線は逸れることはなかった。



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