epilogue - 幸せの青い鳥


 朝日の差し始めた街道を、俺たちは歩き続ける。
 俺は初めて見るあの街の外の朝日を、感嘆の思いと共に迎えた。朝日が、空が、こんなに美しいとは思ってはいなかった――こんな空に住んでいるというのなら、神というものもあながち捨てたものではあるまい、などとガラにもないことを考える。やけに清々しい朝だった。
 俺はななめ後ろあたりを歩く少女に、声をかけた。
「――シュネ、疲れてないか? 結構長いこと歩き通しだぜ」
「何言ってるんですか……急に心配性になってしまったんですね」
 からかうように笑う彼女に、俺は眉根を寄せた。
「何言ってんだ。おれは最初から心配性だろうが」
「あんなに引き摺り回したのに?」
 俺は片眉を跳ね上げて不満げに彼女を睨んだが、彼女は笑って取り合ってはくれなかった。
 少女は空を仰ぐ。
「それより、クロウさん。空。きれいな、青ですよ」
「――そっか、これが青空か」
 俺も空を仰ぐ。妙に感慨深い気持ちだ。
"坊にも青空って奴を見せてやりてえな"
 十数年も前に、育て親の男が笑顔で語っていた空。"青い"空。遠くて透き通るような、晴れやかな色。あの男の眼と同じ色をした、空。
 あの男の笑う顔が、脳裏に浮かぶ。
 ――悪くねえな、青空って奴も。
 少女は首を傾げて、そして笑った。
「クロウさん、これからはいつでも見れますね」
 俺は笑って頷いた。
 兄貴の笑顔も、いつでも思い出せそうだ。

 
 あの後しばらくして、俺たちはまた街道を歩き始めた。
 日が昇れば街の関門が開いてしまう。開いてしまえば、馬車でも何でも用いて追跡してくることを恐れての行動だった。そこまで執念深くなかったとしても、万に一つの可能性でも警戒しなければなるまい。
 幸い、朝日が昇る頃には街の外壁がすぐ間近に迫っていた。シュネの懐中時計によればあの後三時間程歩き続けたらしい。
 街へのこの距離で、彼女に今更疲れているかどうかを聞く必要もないし、早々に街に突入してしまった方がいいのは分かっていた。けれど、散々昨日ふらふらしていた彼女を見れば、流石に気になるものだ。
 何をいっぱしの保護者気取りでいるのか、自分で自分が可笑しかった。自己満足だの何だの面倒なことを考えはしたが、気づいてしまったのだ、俺はただ彼女を可愛く思っていることに。笑う彼女を、可愛いと思ったのだ。全く面白いものだ、心境など何を境にがらりと変わるかわからない。俺は無駄に爽やかな気分だった。
「クロウさん、もう関門ですね。人もいませんし」
 シュネはやわらかく微笑んだ。俺もつられて笑う。何だか彼女も随分吹っ切れた顔に見えた。
「これで街に入ったら、とりあえずメシ食いたいね」俺は小さく笑った。「……って、図々しいかね? お前の金なのに」
「いいえ。食べて下さい、クロウさん随分痩せてらっしゃることですし」
 俺は肩を竦める。「お前に言われたくはねえな」
 俺も大概体つきはガリガリだが、この娘も負けちゃいない。お嬢さまが何を食べて生きてきたのかは知らないが、やたらにか細い体つきをしていて、なんだか転んだ拍子に折れてしまいそうな気すらした。よくこんな華奢な少女を街中引きずり回したもんだと今更ながらに思う。暗闇というのは恐ろしい。
「でも、ご飯を食べたら、お宿をとりましょう。それから――」
 シュネは俺の顔をちらりと見上げた。俺が、ん、と首を傾げるのを見て、彼女はくすっと笑って続けた。「――お風呂です」
「あ? 風呂――?」
 何だそれは。
「もしかして、――っていうか、やっぱり、っていうか、――クロウさん、お風呂知りませんか?」
 彼女は訝しげな顔つきをする。何だその顔は。何か悪いことでもあるのか。「――知らねえ」
「いやだクロウさん汚いです……! お風呂入ってください、もったいない……!」
 彼女は顔をしかめて、持っていた小さな鞄を振り回して俺に攻撃した。急に反抗的になって、まあ。
 それよりも耳に引っかかる単語があった。――もったいない?
「痛いからやめれ。……もったいねえ、って、どういうことだ?」
「ああ……もう、クロウさん、鏡を見たことってありませんか?」
 鏡なんて高価な物は見たこともないし別に見ようと思ったこともない。それがどうしたというのか。
 シュネの話には脈絡がない。何が言いたいのだろうか――俺は眉根を寄せた。
「だからそれがどうしたって……鏡なんて見たことねえよ」
「あぁ、もう、もったいない、もったいない」彼女は首をふるふると振る。「こんなに――こんなにきれいな顔をしてらっしゃるのに」
「――は?」
 俺は呆気にとられた。誰の顔が? きれいだ? ――俺?
「わたし、よくクロウさんの顔を見上げていたじゃないですか」
「ああ、まあ」そういえば彼女はよく俺の顔をじっと見ていた。「見てたよな。結構」
「きれいな顔をしてらっしゃるんだな、って、そのとき気づいたんです。なのに――きゃあっ!」
「散々悩んでんのかと思ったら人の顔じろじろ見てたのかよお前なあ!」
 ぺしりと平手で頭を叩いた俺に、シュネは恨みがましい視線を投げてくる。
「み、見えるものは仕方ないじゃないですか……とにかくお風呂は入ってください。服も買わなきゃ」
 俺はひとり張り切る彼女に呆気にとられた。これが、年頃の少女というものなのだろうか。分からないが。
「随分元気になっちまって、まあ」
 俺は嘆息した。彼女は、ふふ、と笑う。
「だって、クロウさんが優しくしてくれたから」
「また、それかよ」俺は肩を竦める。「万能だな、その言葉は」
「これが本当のわたしなんですよ。クロウさんのおかげで、安心したんです」
 嬉しそうに俺の先まで数歩進んだ彼女は、くるり、と身を翻して笑う。俺は思わず噴き出した。「そりゃ、何よりだよ」
 俺は首を回して、伸びをした。いい加減、体も疲れて仕方が無い。十分な食事と十分な睡眠を取れたら、どんな気分なのだろう? 未知なる体験にわくわくするというほど子供でもない俺は、ふとこの先の事を考えてしまった。
「――だけどよ、これからどうする? 何も目的もないのも、なんつうか――張り合いがないだろ。一つのところに留まるわけにも行かねえわけだしな」
「そう、ですね……」少女は少し考え込んだ。彼女もそこまでは考えていなかったらしい。しかし、やがて顔を上げた。「わたし、ひとつ思い出したことがあるんです」
 何だそれは、と首を捻る俺に、彼女は自らの腕を差し出して見せた。片手首に光る、鈍い金色の腕輪。華奢な彼女の腕には少し大きい。
「これ、わたしの両親がわたしに遺してくれたものです。あなたを護るお守りだから、って。遠くの街に留学してた母が、昔骨董品屋で買ってきたそうです」
 彼女はそっと腕輪に触れた。
「もしかして、それは――」
「これが、魔力を抑えてくれてたのかもしれません。そういう力を持つ道具も、きっと世界にはあるんです。根拠は、ないんですけど」
 シュネは照れたように笑う。そして、少し小首を傾げた。
「こういうもの、もっと普及したら……もっと、住みやすくなるかもしれません。――なんて」
 もう自分に起こってしまったことがどうしようもないのなら、そうなる人がもっと少なくなりますように。そんな夢みたいな目標があってもいいでしょう? 言って、彼女は笑う。
 何度思ったか分からない。優しすぎるんだ、彼女は。――そんな彼女がこれ以上独りで抱えてしまわないように、俺が彼女を護ろう。そんな目標があっても、いいだろう?
 何となく照れくさくなる。馬鹿みたいだな、俺は。
 優しく笑う、まるで妹のような少女。――護るべき存在があるってのは、悪くないな、兄貴。
「それはそうと――あんまり、俺で遊ぶんじゃねえぞ」
「な、何のことですか、いきなり?」
 思い出したように話題を戻すと、少女は一瞬きょとんとした。が、やがて理解したらしく、冗談めかして少しむくれてみせた。
「いいじゃないですか、ちょっとくらい」すぐにシュネはにこりと笑った。「髪も切りましょう。前、見にくいでしょう?」
「ったく。お前は随分楽しいんだろうけどよ、俺は別に楽しくなんて――」
「…………あら……?」彼女はふと立ち止まって、振り返った。そして、俺を呼ぶ。「……クロウさん、クロウさん!」
「いや、無視すんなって――」
「違います! 鳥が」彼女は花のほころぶような笑顔を見せて、空を指差す。「青い鳥……!」
 俺は、ん、と顔を上げた。その先に見えるのは――
「クロウさんと会った時にいた鳥です。羽の模様が同じ……まさかこんなところでまた会うなんて!」
「嘘だろ、まさか」俺は顔をしかめた。「まっさか隣の街で、しかも俺たちと同じ目的地でまた会うなんて、おかしい――」
 訝る俺を無視して、鳥はシュネの肩に止まった。――確かに、あのときの鳥に見える、が――
「奇跡って、あるんですよ、きっと」彼女はにこりと俺に向かって微笑んだ。「きっとこの子はわたしたちの守り神なんです」
 俺は苦笑した。
「守り神、って、な……」
「だって、クロウさん、聞いたことありませんか」
 やたらに彼女は嬉しそうだ。しかし俺には見当もつかず、首を傾げる。
「お前なんか唐突すぎるんだよな――何のことだ?」
 彼女は一瞬むくれたが、すぐにまたあの花のほころぶような笑顔を浮かべて、言う。
「――幸せの青い鳥 のお話です」
 そんな話を俺は聞いたことはなかった。が、その彼女の笑顔だけで十分だった。俺は意味もなく笑えてきた。彼女も嬉しそうに笑いながら小首をかしげてみせる。
 彼女の肩の上でくつろぐ"幸せの青い鳥"とやらが、澄んだ声で、鳴いた。



 それはきっと――俺たちの、はじまりのうた。




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