ex-誤算という名の小話


 完璧に誤算だった。

「――シュネ。さっきから何そんなにむくれてんだよ」
 あまり混雑していない早朝の街中で、前を歩く彼は、眉根を寄せながら振り返る。振り返った拍子に、こちら側に居た人間の全ての眼を釘付けにしてしまっているあたりがまたとにかく気に入らない。
 正確な年は本人にも分からないものの、年の頃なら二十代半ば。深い黒色をした長髪。すっと通る鼻筋、切れ長の黒曜石の目。端正な顔立ちをした美青年だ。黒い着衣を纏った体は随分と細身だが、少し前まで一日に食べ物を食べられるか食べられないかという困窮した生活をしていたため、まあ無理はなかろう。その彼をちらりと見つめて、彼女――シュネは嘆息した。全くもう。
「いいえ、何でもありません」彼女はむくれたまま、返す。「クロウさんには関係ありません」
 シュネの姿は、全身漆黒に彩られた彼――クロウと対照的に、やたらに白かった。華奢な体付き、透けるような白い肌、何色と形容するのかよくわからない白っぽい髪、白い着衣。だがその形のいい大きな眼の瞳だけが、目の覚めるような紅いいろだ。年は十六、その小さな顔は整っている、と言っていいだろう。しかしどこか控えめな印象のある娘だった。
「おい、シュネ。お前最近反抗期か何かかよ? やたらに突っかかるのな」
 何も分からない様子で、クロウは顔をしかめた。シュネは、何も言わずに彼を鞄で殴った。

 シュネがクロウを着飾らせたのは確か二週間ほど前だ。そして彼と出会ったのは更にその二週間前。出会って一ヶ月足らずではあるが、彼と彼女とは共に旅をしている。いや、正確には逃避行のようなものだったのだが。強大な魔力を持つために忌み嫌われる者達の証である紅い双眸≠持って生まれた彼女は、それが発覚するやいなや故郷を追われて逃げてきた。その追手から彼女を護るために、紆余曲折がありながらもクロウが行動を共にすることになったのだ。
 シュネは、クロウの長い前髪から覗く容貌に目をひかれることがあった。聞けばずっと路上生活をしていた彼は風呂に入ったことが無く――というか風呂の存在自体知らなかった――シュネは彼を取り急ぎ風呂に入らせた。そしてうずうずして、色々彼をいじりはじめた。結果は最初に述べたとおり、大成功だった。が、なまじ顔が整っていたのがいけなかった。
 彼は、彼女だけの居場所ではなくなってしまった、というわけだ。

 †

「――クロウさんのばか」シュネは不満げにもらす。「ばかばかばか」
――そこは旅人用の宿屋の一室だった。そう新しくも無いその宿屋は、その年月が幸いしたか、どことなくシックな雰囲気があった。
 シュネが頬杖をついているその机も、高価な品ではないが、上品な雰囲気の漂うしろものだった。シュネは故郷を追われたとはいえども、生まれも育ちも貴族のお嬢さまだが、数ヶ月前に治療を受けるまで盲目だったために調度品の良し悪しを目で鑑定は出来ない。が、いいものなんだろうな、ということは分かる。
 いや、そんなことはどうでもいい。シュネが一番気になるのは、この机の話ではないのだ。机といえば机かもしれないが、気になるのは机の上で突っ伏して寝ている――
「クロウさんのばーか! ばーかばーか」意味も無くずっとそう連呼し続ける。「……ばか……」
 ――本気で馬鹿にしているわけではない。ただ、悔しかったのだ。
どうしてわたしは、興味本位にあんなことしてしまったのだろう。
クロウ自身が悪いわけではなかった。何もかもお膳立てをしたのは自分のくせに、彼を責めるのはお門違いなことは分かっていた。彼女は眠りこけている目の前の美青年に目をやり、ひとり嘆息した。
「――どうしてこんなに無防備なお顔で寝てらっしゃるんですか。どうしてこんなにきれいなお顔をしてらっしゃるんですか……」
 ――問題は、そこだった。
 シュネが両親も亡くし故郷も追われ、追手にあわや殺されんとしている時に出会ったのがクロウだった。別に彼の顔が良かったという理由で一緒にいるわけではない。お互い爪弾き者で、お互い他に受け入れてくれる人間が居らず、互いに衝突しながらも互いを必要とし、行動を共にするようになっただけだ。
身だしなみなど整えさせようと考えなければ、彼はずっと自分だけの拠り所だったのに、――と、どこまでも勝手なことを考える。彼女とて意外だったのだ、ここまできれいな顔をしているということは。ああ、いつまでもぼさぼさ頭の避けられるくらいの人であればよかったのに。随分自分勝手な考えは止まらない。多分彼が避けられるようなことになればそれはそれで切ないのは分かっているのに。
 問題の彼は無防備に寝息など立てている。
 いつだって彼は、こんなに至近距離に少女が居るというのに、いやそもそも同室で毎日寝泊りしているというのに、何をどうしようという気もないらしい。変な気を起こされても困るが、何も感じてくれないというのも乙女心から言えばひどく複雑なものだ。本当に、疎すぎる。
「わたしには、あなたしかいないのに」彼女は眼前のクロウの顔を切なそうに見つめる。「クロウさんにとってもそうなら、いいのに」
 端的に言って、それは、恋――というのかもしれなかった。かつて自分を護ると言ったその彼に、自分を安心させてくれたその彼に、彼女は憧れを抱いていた。それは外見改造計画よりも前のことだ。わたしは顔に惹かれたんじゃないのに、なのに、なのに。誰も彼も彼を見て振り返る。彼は誰かに憧れられる存在になり、どこか自分から遠くなってしまったかのような気がしてしまう。――寂しい。
 彼女は俯いて、本心ではない言葉を紡ぐ。
「クロウさんなんてだいっきらい……」
「聞き捨てならねえな」突然クロウが目を開く。「俺が嫌いだって?」
「っ!? ……っ、クロウさん!? お、起きてらしたんですか……?」
 顔が紅潮する。ああどうしよう、わたし寝てると思って色々……!
「ど、どこから……?」シュネは熱い頬をその小さな白い手で包み込んで訊ねる。「どのあたりから……」
「どこから聞いてたか、ってか?」彼はにやりとする。「さあて、どこからだろうな?」
「クロウさんのいじわる……」
 シュネは俯いた。顔が熱い。クロウさんもそうならいいのに云々の発言を聞かれていたらどうしよう。――彼に想いを寄せているのを自分で気付いてからも、彼女は自分の想いを打ち明けたいとは思わなかった。傍に居られれば幸せだと思った。気持ちがばれませんように、ばれませんように。わたしにはこの人しかいないのに、下手なことを言ってぎくしゃくするのも嫌だ。この人がいなくなったらもう自分には頼れる人はいないのだ。
「俺を大ッ嫌い呼ばわりしたお返しだ」少し眉根を寄せて見せてから、彼はまた笑う。「――最初のばかばか連呼のあたりじゃねえかな」
「いっ!?」全部聞かれているではないか。――耳が熱い。いよいよ顔中紅くして、彼女は机にへたりこむ。「…………ひどい」
「お前、最近変だぜ。いきなりひどいもくそもねえだろうが」
 彼は眉根を寄せた。わかっていないのだろうか。わたしの重大発言を分かっていないのだろうか。
 彼は本当にこういうことに対して鈍くて疎くて、――時折胃が痛くなる。考え過ごしに裏読みしすぎ、そんなことばかりが続く。想いを伝えようとは思わないのに、嫉妬心ばかりは募るものだから、もう、気が滅入って仕方がない。そのくせいつだって彼は大していつもと変わらないのである。
「ほんと、大丈夫かよ? なんか最近なんか胃ばっか抑えてる気がするしさ……具合悪いんなら言えよ」
 彼は心配そうにこちらの顔を覗き込む。誰のせいですか誰の。
「あんまり痩せ我慢すんなって言ったろ。お前は大体考え込みすぎの痩せ我慢しすぎなんだよ。それに」またもや誰のせいだと突っ込みたくなる衝動を抑えながら、シュネは彼の顔を見上げる。何を言わんとしているのだろう――「俺もそうならいいのにって話だけど」
「きゃああぁぁぁああぁぁぁっっ!!」
「うぉわッ!?」
――突然シュネは顔を覆って悲鳴を上げる。
ごく自然な流れでごく自然に核心に迫るのをやめてほしい。心臓が跳ね上がる。クロウが驚くことなどもうどうでもいい。今すぐこの場から逃げ出してしまいたかった。この方、しっかり、きっちり、聞いてた……!
「ッ急に驚かすんじゃねえよ! お前色々行動がおかしいこと増えてきてるじゃねえか! 前から見当違いなこと話し出すクセはあったけ」
「ばかばかばかばかばかばかっ! クロウさんの無神経っ! クロウさんのえっち!」クロウの声を遮って彼女は叫んで手を振り回す。「鈍感無神経えーとえーと、ばかばかばかっ!」
「だからお前騒ぎすぎだって言ってんだろ!?」
 ぱしっ。――彼はシュネの細い腕を掴んで怒鳴る。
 耳が痛い。怒鳴られたのは久しぶりだ。いやそんなことはどうでもいい、耳が痛いのもどうでもいい。耳が熱い。顔が燃えるように熱い――彼の顔が、近い。こんなふうに顔を近づけただけで、こんなふうに腕を掴まれただけで心臓が早鐘を打つようになるのは、いつからだったろう――何も考えられない。力が抜ける……
「――ごめんな……さい」シュネは俯いた。「わたしったら」
「……まあ、別にそんなに怒ってねえけどよ。落ち着いて話聞け。な」
 優しく諭すように言われる。シュネは素直に頷いた。ああもう、自分が止められない。
「……さっきの話だけど、お前にゃ俺しかいない、ってことだったよな」
「……はい」
 何でこんなこと再確認されてるんだろう。彼はどういうつもりでやっているのだろうか。窺い知ることは出来ないが、とにかく女性の気持ちを何ら理解しない行動であることは間違いない。愛の告白ととられても仕方の無いセリフを、どうとも思わずに再確認、ときた。
「んで、俺もそうならいいのにって、ことだったよな」
「…………はい」
「ったくよくわかんねえことでうじうじ悩むのな、お前」
 彼は苦笑して、目の前で縮こまっている少女の髪をくしゃくしゃっと撫でた。――ああもう、よくわからないのはどっちなんですか。この言葉を聴いてそんなふうに笑っていられるのはあなたくらいです。
 髪を撫でられているということにくすぐったい気持ちになりながら、ああ、でも彼の表情は年頃の少女に向けられたものではないんだなと切なくも思ってしまう。
 彼女はずっと、妹扱いだった。というよりは、恐らくクロウが異性に抱く感情というものをあまり理解していないのだろう。もとより、路上生活をしていた頃に彼は窃盗やらなにやら繰り返していたためか、とにかく街の嫌われ者だった。人と接することもなく、物心ついて暫く一緒にいた育て親とシュネとしか親しく話をしたことがなかったような人付き合いの超初心者である。男性だの女性だのという概念は彼には無い。シュネは護るべき相手で、よき理解者で、大切な仲間で、可愛い妹なのだ。それでもいいと思ってはいたが、やはり複雑は複雑である。第一理解者だのと言っても彼は自分のことをまったく理解していないではないか。やはり似ていると思った彼と自分は似ては居ないのだ。一人空回り大賞だ。
「……クロウさん、そういう……あなたしか、いない、とかいう……言葉聞いて、何もお思いになりませんでしたか……?」
 彼女はおずおずと訊ねる。気持ちくらいは、聞いてみたかった。
「思ったけど」彼はにやりとする。「ああこいつ馬鹿だなって」
「クロウさんッ!? もう、いい加減にしてください!」
 シュネはへたりこむ。どうしていいかわからない。
「冗談だよ。俺にだってお前しかいねえのになって、そう思っただけだ」
「……へ……っ?」
 ごく自然に紡がれた言葉に、シュネは言葉を失った。なにか、すごいことをさらりと言われた気がする。
「お前、俺の外見色々いじくりまわしてからそんなことばっか言ってる気がするんだけどな…、お前、俺がお前以外に笑ったことあったか? ねえだろ?」
「あ……ありません、でしたけど……」
「だろ。まだ俺は他人が怖いんだよ。お前以外の人間は何考えてるか全くわかんねえし、さ」
 正直あなたはわたしの気持ちもわかってない。
 脱力しながら、それでもシュネはちらりと彼の顔を見上げた。
――優しい笑顔を、浮かべている。彼は他人から疎まれたがゆえに他人を憎み自分の孤独を忘れようとしていたかなしい人だった。そしてそのくせがなかなか抜けずにいる。その彼がこの笑顔を向けてくれるのは、自分だけだということ――分かっている。分かってはいるのだ。
「……でも」シュネは俯いた。「わたし、クロウさんがまわりの皆に取られちゃって遠くなってしまう気がして」
 一瞬クロウは押し黙る。そして――
「馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ばーか」
「なっ……」にやにやと馬鹿コールを始めたクロウに、少女は顔をしかめた。「ばかってなんですか!?」
「お前がさっき言ってたことだろうよ。お前自分の言うことは棚にあげるよな」クロウはくつくつと笑う。「俺が信じてるのはお前だけだし、俺が認めてるのはお前だって。――そうだろ? 俺はどこへも行きやしないし、臆病な俺でよけりゃお前を護ってやるって言ったのに。だから、やきもち妬いてんじゃねえよ」
 ――言われていることは確かに嬉しかった。頭がくらくらするほどに――だが、最後の言葉が気にかかった。やきもちを妬いている、と。彼ははっきりそう言ったわけで――それはつまり――
「や、やき、やきもち、って」シュネは半ばパニック状態だ。「わわわ、わたし、そんな……!」
「だって、俺が誰かのもんになっちまうんじゃねえかって、それで悩んでたんだろ」彼はにこりと笑う。「やきもちじゃねえか」
 彼はわかっているのだろうか。自分の爆弾発言に。それの本来意味するところを。――罪作りにも、ほどがある。
「……クロウさん、意味、分かって仰ってますか……?」
「意味ぃ?」彼は目を瞬かせる。「俺はそのままの意味で言ったんだぜ?」
「クロウさん、恥ずかしくありませんか……」
 シュネは恨みがましそうな目で彼を見上げる。ああもう、恥ずかしいのはこっちなのに。他意も無い言葉にいちいち振り回されて目が回ってしまいそうだ。
「恥ずかしがるところなんてあったか?」片眉を跳ね上げる。「やっぱ変な奴だな、お前は」
「へ、へんな、へんなやつって、だって、くっ、クロウさんがっ」
 頭に血が上る。白い少女は今や、真っ赤に染まってしまっていた。
 むきになって反抗するも、青年はただ、笑った。身を乗り出して彼は手を伸ばす。その骨っぽい大きな手の平が、ふわりと少女の頭を撫でた。
「ばーか」そのまま彼は、彼女の髪をくしゃりとした。面白そうに微笑む。「信じとけ。一言一句もらさず信じとけ。俺は嘘は言わねえ。俺はお前を護るって決めたんだ。俺は臆病だから、お前がいなくなんのが怖ぇんだ」
 それきり。
 それきり、少女は口ごもった。
 視界がぐるぐる回る。
 ああ、クロウさん、その言葉に、その言葉の奥にわたしの抱くものと同じものがないというのは、わかっているのに。
 シュネは火照る顔を両手でおさえてへなへなと椅子にもたれかかった。
 クロウさん、クロウさん、あなたはわかっていますか。
 あなたのその揺ぎ無い言葉は、優しさは、わたしにとってはあまりにも威力が強すぎます。
「……クロウさんの、」
「ん? どうした?」
 少女はふらふらと視線を彷徨わせながら、それでもおずおずと口をひらく。
 どうにも様子のおかしい彼女に、クロウも心配そうに首を傾げる。
「……クロウ、さんの、」彼女は力ない声で、確かに、言った。「……ばか」
 彼は面食らう。
 だがやがて、にやりと笑った。「うるせえ。ばか」
 その笑顔が、妙にくすぐったかった。

 ああ、そうなのだ。
 気づいてしまった。
 最大の誤算は、完璧な誤算だったのは、
 わたしの中をこんなにも彼が占めてしまったっていうこと。
 
 シュネは俯いた。不承不承、そんな言葉がぴったり似合う、渋々とした声で。
「……誤算でした。ものすっごく、すっごーく、誤算でした」
「あ?」クロウは訝しげに片眉を跳ね上げる。「今度はどうした?」
「なんでもありませんっ」

 

 それは、心地のよい誤算。