予兆


 胸騒ぎがするのは何故なのだろう――
 レナートは、自らの胸元をぎゅっと掴む。ざわざわして落ち着かないこの気持ちは何だ――
 あたりは暗い。窓から入ってくる月光だけがただひとつの微かな光源。
 ベッドから身を起こしたレナートは、それを頼りに、周囲に気を配りながら自室から抜け出した。
 気配がする。懐かしくとても近しいひとの気配。――双子の姉のアナスタシアの気配だ。古びた宿屋の、軋む床の音を不気味に感じながらも、彼はひっそりと外に向かう。姉は外に居るのだ、恐らく。
 宿屋の出入り口の扉を、そっと開く――宿屋の外で、彼女は星を見ていた。
「――姉さん……?」
 月光がプラチナブロンドの姉の髪を縁取る――夜空の美しさと相俟って、それは幻想的な美しさをかもし出していた。
 不意に、彼女が振り向く。
「レナート? あなたも眠れないの」
 微かに姉は笑う。レナートは、自らと同じ、月と酷似しているその彼女の髪と、紅と紫のオッドアイに一瞬眼を奪われた。幼い頃から何度見たのかもう分からないくらいなのに、それでも星空の下で彼女は更に幻想的で――まあレナートも同じなのだが。
「胸騒ぎがしたんだ」レナートは姉に歩み寄る。「姉さんはも、何か感じたりは……?」
 姉は暫し考え込むようにして――やがて口をひらく。「あなたもそうなのね?」
「半身がもぎ取られていくような、そんな感じがしたんだ」
「半身。それって、きっと……私のことかもしれないわ」
 憂いを帯びた瞳が、また空を仰いで星を見る。言葉には何ともいえないような余韻が残っていて。
「姉さんが? そんな馬鹿な――何処へ行くっていうんだ」
 何とはなしに不安な思いがこみ上げて、レナートは思わず姉の手を掴む。
「ばかね」姉が笑って。「何処へも行きはしないわ。だけど、私、レナートと引き離されちゃうような、そんな気が――」
 レナートは彼女を何処へも行かせまいと、引き止めるように手を強く握る。
「もうすぐ、神殿に帰れるんだ――またふたりで戻ろう。無事で」
「そうね。無事で居られればいいわ――十夜さんも、ライラさまも。準備も整ってきたし、もうすぐ――ライラさまの中に取り憑いた悪魔も祓える。そしたら、帰れるわ」
 彼女も、弟と自分を繋ごうとするかのように、手を強く握り返した。
「もう、私たちも十五の年になるのね」姉が、遠い眼で空を眺める。「十夜さんたちに連れられて神殿を出てきたのは、一年も前のことになるんだわ」
「悪魔バイモンに抵抗し得る力を蓄えることと手に入れること、奴を引きずり出すための準備に、随分時間がかかったからね」
 レナートは姉の手の温かさを感じながら、そういえばいつこうして手を繋いでいることをやめたのだろうとふっと考えていた。まるで昔に戻ったかのようだ――
 不意に姉が手を離す。
「さあ、レナート。おやすみなさい。私も寝るわ――きっと大丈夫、大丈夫よ。全て上手くいく。こんなに私たち頑張ってきたんじゃない。女神サフィアだって見ていらっしゃるわ」
 急に温かさを失った自分の手を、ぎゅっと握り締める。「そうだね」
「おやすみ、レナート」
 もう一度、姉が笑って、言う。「おやすみ」と返しながらも、レナートの中の不安は消えることなく――

 ――悪魔バイモンの最後の抵抗の力の余波で、姉が空間の歪に巻き込まれ、そして姿を消したのは、ちょうどその一週間後のことだった。


レナート編プロローグらしい