ダグラスは夏真っ盛りだ。
 酒場の外で、壁にもたれかかりながら少年は汗を拭った。
 彼は、幼少の頃父親を亡くしている。女手ひとつで自分を育ててくれている母親へのせめてものお礼として、こうやって細々と働いてはいたのだが――今日は、客が少ない。
 人が来れば入ればいいわけだとひとり納得し、外の日に当たりに来てみて。やたらに視線を感じながらも、彼はぼんやりと眼を細めながら立ち尽くしていた。
 彼は、まず人目を引く。視線を感じるのも無理は無い、十四歳であるとはいえど百八十センチの長身、加えて細身で、すらりとした印象を与える。短い茶髪は 光を受けて輝き、時折瞼をひらくと、紫水晶のような美しい瞳が覗いた。整った顔立ちをした彼は、それだからまず人目を――特に若い娘の――引いた。
 サイフリート=クロスは、兎にも角にも目立つ少年だった。
「――暑い……」
 当然といえば当然の呟きを自然ともらし、手で扇ぐ。眩しい夏のひかりが、射るように注ぐ――彼は一瞬、そのひかりから離れるべく、眼を閉じて――
「リーーーーーーートおおぉおっっ!!」
「はぅぐっ!?」
 一瞬の隙を突いて、少女が体当たりをかますように抱きついた。
 まだ小さなその娘は、明るい金の髪と、透き通った紅色をした眼を持っていて。夏のひかりそのもののような彼女は、サイフリートの腰あたりをぎゅうっと抱き締めながらに、彼の顔を見上げてにぃっ、と笑う。
「おはよー、リート」
「おはよー、じゃないッ! 痛いだろ……!」
 けほっ――小さく咳をして、呻く。
 少女は小首を傾げて、きょとんとした。
「痛かったの?」
「だから……そう言って……いいや、もう、ほら早くどきなさい」
「あーい」
 手を離して、たんっと飛び退る。
 彼女は、サイフリートの幼馴染で、名前をルビーという。サイフリートの彼女の第一印象は紅い眼の猿であり、またその猿が愛らしい少女になるなどとは考え もつかなかったことではある。まあ、生まれたての赤ん坊はほとんどが猿のようだなどとは、赤ん坊を一度きりしか見たことの無いサイフリートには分かるよし もないところであったのだが。
「あの猿娘がこんなふうになるなんて思わないよなぁ、実際」
 こちらを必死に見上げる小さな少女に言うわけでもなし、ぽつりと呟いて。それを聞きとがめたルビーが「さるむすめぇ?」と鸚鵡返しに、――怒っている。
「ああ、いや、その……可愛くなったってことさ」
「サル娘が?」
 膨れ面はなおらないままで。苦笑しながら、改めて彼女を見た――もう彼女も七つになる。彼女が産まれた時、サイフリートも七歳だった。もう七年。早いも ので――子供が好きだった彼は、小さなルビーとよく遊んでいた。その小さなルビーがもう七歳というのは、我が子でもないが、感慨深いものを覚える。
 実際彼女は、愛らしかった。ひまわりのような、という形容が一番しっくり来る。その明るい金髪を煤汚れさせて、それでも満面の笑顔で駆け回る。
 見るもののこころを和ませる彼女は、ダグラスの天使と呼ばれた。
 ダグラスの天使は、口をひらく。
「でさ、リート。おしごと、今日はないんでしょ?」
「馬鹿。あるに決まってるだろ、今は暇なだけだ」
 ぽむ、とルビーの頭に手をやる――仕事が忙しかろうが暇だろうが、ルビーはいつでもサイフリートのもとにやってきた。遊びたい盛りに同性の友人と遊ぶわけでもなく、彼のもとであれば酒場であろうと関係なしにやってきた。
「えー。けっこんしようと思ったのにい」
「け、……」
 何が哀しくて七つも年下の子供と――などとは言えずに、口ごもる。
「あー……そのな、うん、えー……いつか偉くなって嫁に貰ってやるから仕事の邪魔しないでくれ。頼む」
 ぱんっ、と両手を合わせて、頼み込んで。まあ、その場限りの約束でしかないのだが、こうでも言っておかねば納得しまい。それに偉くなることなどいつまで経ってもなかろう。
 彼をじーっと見て。それから、ルビーは小さく言った。
「やくそくね」
「あ、ああ……うん、約束な」
 無論本気ではないのだが。
 それを聞くとルビーはにっこり笑って、「じゃあね、これ、ゆびわー!」草で編んだ指輪を手渡してくる。
「あ、ああ、指輪なー」
 右手の薬指にはめてみせて。それを見ると彼女は嬉しそうに自分の手にもそれと同じものをはめた。そして「じゃあいくね!」と言って、去ってゆく。
「ああ、じゃあ――」
 サイフリートは苦笑しながら、手を振って彼女の背中を見送って。
 そして、呟く。
「天使を騙したら僕は堕天使になるのかな」
 もともといいひとである彼の良心が痛む。あんなに喜ぶとは思ってもいなかった。
 それも、酒場へ入ってきた団体客を見て一瞬のうちに掻き消されて――
「ああ、いらっしゃいませ! 涼みに参りましたのでしょうか――よく冷えたお飲み物も用意して――」
 彼は愛想笑いを顔に浮かべ、団体について酒場の中へと消える。
 ダグラスの日差しはなおいっそう照り続ける。
 ダグラスは夏真っ盛り、である。
 
+

 フラーマ家の名は、炎という意味がある。
 炎の術のスペシャリストを輩出するこの家に生まれた一人娘は、ルビーという名前がつけられていた――炎の紅、ルビーのいろ、そんな眼と、ひかりのような金髪を持って産まれた彼女は、秋に生まれていながら、夏以外の季節が似合わない。
 フラーマ家に生まれ、ダグラスの天使、炎の娘、そんなふうに言われていることを与り知らぬ彼女も、術使いとしての才能に溢れていた。初めて術を使ったその時に、術を放つことに成功している。
「ルビーは本当に筋がいいわぁ」
 顔に満面の笑みを湛えて、ルビーの母親が呟いた。
 基礎は十分教えた。子供の吸収の早さには眼を見張るものがあるが、それを除いてもこの娘は本当に筋がよかった。
「えへへ……あ」照れ笑いをしていたルビーは、ぱちんと手を叩いた。「あのねっ、リートがいつか偉くなったら嫁にもらってやるだって!」
 母親は眼をぱちくりして。
「リート君が? やーねぇ、あんたたちいつの間にそんな約束を」
「さっきーぃ」
 その小さな顔いっぱいに笑みを浮かべて、嬉しそうに言う。七つのこの娘は、本当にひまわりのような娘だった。
「そうそ。よかったわねえ……本当に? やだー! そしたらリートくんがうちの息子に……あら? リートくんちにルビーがいくのかしら? まあいいかしら、……凄い! 凄いわ!」
 何故か心ときめかせて、母親。ルビーは首を傾げた。
「リートとルビー、兄妹になるの?」
「ちがうわよ、ふ・う・ふ」
 どちらかというと母親の方が楽しんでいる感はある。
「……ルビーは、リート君のこと好きなの?」
「だいすきだよお」
 とろけたように、笑う。
「うんうん、リート君は見込みあるもの……きっと大人になったら超絶美青年だわ」
「ちょうぜ……?」首を傾げる。「なあに、それ」
「とってもとってもとってもカッコよくなるってことよ」
「こら」
 にやにやしているエメラルドの背後から、低い声が掛かる――
「あ、あらっ、やっほーv」
「やっほーじゃない」
 ルビーの父親、つまり母親の夫。
 彼は呆れたように続ける。
「若い男に熱上げてる暇があったらもっと別なことをしたらどうだ? 全く」
「あはっ、あははは、……だって、ほら、その。ねえ? 貴方にも負けない美青年になると思うわ」
「そんな事じゃなくて――」
 呆れ返る。
 彼は、その後もつらつらと妻に説教を続けて。
 ルビーは小首を傾げてそれを見ていて。
 時たま、飽きたように眼を逸らすと、自分の指にはまっている草で編んだ指輪を見て、嬉しそうな顔をちらりと見せて――

 草の指輪のもとに交わされた約束。
 そんなささやかなる儀式を眼下に、太陽は照り続けた。
 本当に暑い日で。いつしかその指輪は萎れてしまうのだろうけれども。


 ――ダグラスは、夏真っ盛りだ。


ルビーとサイフリートの子供の頃のはなし。