からん、からんと。
 吹き抜ける風に踊る吊り看板の小さな音が、やわらかな緋色の陽の差し込む部屋に響いた。通りに面した多くの店のそれは、心地よいリズムで和音を奏でる。時折混じる小さなベルの音が、耳に涼しい。
「親父、そろそろ店じまいしねえのか」
 山吹色の髪の少年は、人の来ない店先でつまらなげにそう言った。
 時は夕刻、家路につく人々の横顔がこちらに向くことはなく。ただいたずらに穏やかな風に身を任せるのも悪くはない、が。
「まだ早い。サボる事ばっか考えてんじゃねえ」
「ちぇ、そういう訳じゃねえよ」
 店の奥の工房で作業を続けていた父親の言葉に、少年は不満げに顎を突き出した。そのまま、がたっと大袈裟な音を立て、カウンターに突っ伏す。すっかり薄暗くなった店内で、窓の外の紅に縁取られた商品の武具を横目で見やれど、やはり客足がこちらを向くことはない。ため息をつく。
 からん、からんと響くリズム。やわらかに吹き込む風。前髪がふわりとそよぐ。穏やかな夕暮れ時。
 どれほどの時間こうしていただろうか。先程の問いをしたのも、一度や二度ではない。その度に同じ答えが低く返ってきて、そして少年は何度も不貞腐れている。
「……なぁ親父、そろそろ良いだろ。客なんて来ねえし、それに」
「さっさと店を閉めないと、仕事を教えてもらえねえ、ってか」
 くつくつと笑う、低い声。お見通しなくせにそれでも焦らす父親の意地の悪さに、何度目かのため息をつく。ったく、この親父は。
「言っとくがな、ジーク。工房の仕事だけを覚えても店はやっていけねェぞ」
「うるせえ、俺の態度が悪かろうが買わざるを得ないような強ぇ剣を打てるようになれればいんだろが。文句は言わせねぇ」
「くっくっく、まだ一本の剣も打てない癖に態度だけは大きいときてやがる」
「だからこれから覚えんだろうが! いいから店閉めて教えろっての!」
 カウンターからがばっと起き上がり、店の奥に啖呵を切る少年。しかし返ってくるのはくつくつとした低い笑いだけ。
 少年――ジークムントは、稀代の天才と仇名される鍛冶職人である父親のゴットホルトの腕には一目置いていた。そしてその跡を継ぐ決意も、やる気もあった。退屈な店番をして人生を過ごす気など無いと言うのに、この父親はいつでもはぐらかしてばかりだ。
 店舗の運営だの、客にキレるなだの、おおよそ鍛冶とは関係ない事ばかり言われ続けて、鍛冶について教えろと言われれば「なら傍で見てろ」だの、「俺の弟子に訊いとけ」だの、おちょくられているとしか思えない。
「どうすんだよ、親父が先に死んじまったら。ビュッセルの工房は一代限りだぜ。親父の一級品の技術をよ、その才能を受け継いだ天才児が控えてるっていうのに、そいつに教えねえっつうのはちょいと勿体ないじゃねえか、え?」
「チンピラみてえな口をきくなよ、それで客と話すつもりか」
「馬鹿言ってんじゃねえ、客には懇切丁寧に説明してやるし素晴らしく親切だぜ」
「本当かよ。――さて」
 とん、とん、とん、と足音。工房と店先を繋ぐ通路に垂らした暖簾を片手で僅かに上げ、ガタイの良い男が姿を覗かせた。
「――商品に布かけろ、店先には戸締りだ。金は工房の方に持ってこい。店じまいだ」
「おしきたァッ!」がたんっ、と勢いよく少年が立ち上がる。「で、今日は教えてくれるんだろうな?」
 目を輝かせるのが、薄暗がりでもよく分かる。そんな息子に、にやりと笑う。「今日は製品比較テストを担当してもらおうか」
 息子の表情が真顔になり、曇り、そして目付きが悪くなる様をにやにやと眺める。
「――良い剣と悪い剣の何が違うか、お前自身が使って考えろ。そしたら、作る段階で何が違うのか教えてやる。お前は剣が扱える。使い手の立場からモノを見れるのは強みだぞ」
「……しゃあねえな、くそ。わぁーったよ……」
 よろよろと商品保護用の布に手を掛ける少年。その背を眺めながら、父親は柱に背を預けて腕組みした。さあて、その強みにこいつが真に気付くのはいつになる事だろう。
 息子は勤めに行っている酒場で知り合った荒くれ者連中に剣を習ったのだという。そして、父親であるゴットホルトの打った剣が一番良い、と誇らしげに言っていた。
 自分には剣は振るえない。息子が技術者としてではなく、使い手として己の望む剣を打てるようになったなら、ビュッセルの工房は己の代を超えるかもしれない。――口の端を僅かに上げる。それまでに死ぬわきゃいかねえな。
「親父ィ、鍵預けといた方がいいか」
「んだな。そら、準備が出来たら工房の裏手まで来いよ」
「へーい」

 そよく風。からん、からんと鳴る心地よいリズム。通りの店が次々に扉を閉めても、その音だけは夜をこえても街をわたる。

 穏やかな日、心地よいリズム。
 それを確かに感じていた日のこと。