真摯ないろを浮かべたこの若者の碧眼が、妙に眩しい。こんな風に真っ直ぐに無茶を言う人間に出会うのは、いつぶりだろうか。出会ったことさえ、無かったかもしれない。ジークムントは口の端に笑みを浮かべ、ふっと笑った。腕を組み顎をしゃくる。自分より僅かに背の低い、ライヒアルトと名乗ったその男。面白いと、思った。
「それがお前の戦いか。――たまらねえな、少年」
 にやりと笑ってみせる。「俺はそういう、アツい奴が嫌いじゃねえのよ。決めた。魔力剣を探すの、手伝ってやるよ」
「本当ですか!?」
 眼前の若者の端正な顔立ちが、緊張の抜けた笑みに華やぐ。悪くないな、と思う。こういう素直な奴は、近頃とんと見なくなったものだ。傭兵はにやりとしながら、それでも人差し指を立て、ちっちっちっと横に振ってみせた。ライヒアルトの目が丸くなる。
「この停滞した世界に戦いを仕掛ける英雄さんよ。お前がそのつもりだってんなら、俺を雇いな。――前金はきっかり五千リラス。びた一文まけねぇ。後金は働きに応じて、だ」
 そう告げた言葉に、ふとその若者が固まった。
 
「え。や、やっぱりお金取るんですか……?」
「当たり前だろうが。俺を誰だと思ってやがる」
 腕を組んで顎をしゃくった傭兵に、思わず口籠る。戸惑うような視線をライヒアルトから向けられたリカルダは、くちびるを噛んだ。視線を落とす。握られた財布は、比較的軽い。かろうじて、金はある。かろうじてある程度だ。五千リラスを支払うとなれば、生活が危うい。今はまだそれでも中身の詰まっている財布から、悲鳴が聞こえてくるようだ。リカルダは切ない想いをかみしめながらため息をついた。
たとえこの罪もない財布に冬が訪れたとしても、この人が味方に付いてくれる事程心強い事はない。その事は分かっていた。目先の路銀と引き換えにしても余りある取引である。――しかし、懐の寂しさが辛い。財布がかわいそう。
ふと、ちらりと視線を上げた。ジークムントと名乗った傭兵が見下ろし気味に見据える視線に、少女はびくり震える。そのグレーの瞳は、あまりにも鋭い。思わず目を逸らしながら、「払えるわ」とライヒアルトに力無く返すと、彼は慌てたように傭兵に向き直った。
「は、払えます。後金は、な、なんとか、します!」
「馬ッ鹿、後金は最後の最後に払やぁ良いんだよ。頭金が払えりゃ、今は何も言わねえよ。――契約成立だ」
 ジークムントは指を鳴らし、くつくつと笑った。おずおずと紙幣を差し出したリカルダから前金を奪い取り、男は満足げに口笛を吹く。その乱暴な振る舞いに、思わず目を丸くしたが、気を取り直した。いや、取り直せていない。急に旅立った財布の中身に未練たらたらだった。これでやっていけるのかしら。
「剣が欲しいっつったな。とびっきりの情報を教えてやろうか」
リカルダの内心とは裏腹に、上機嫌な様子の傭兵。彼が紙幣を数えながら口にした言葉に、傍らでライヒアルトが目を見開いた。
「ドワーフ族の鍛冶技術は世界を脅かす兵器さえ生み出すってぇ話だ。奴らに頼みゃ、とんでもねえ名剣を生み出してくれるだろうよ」
 ドワーフ族というものの存在は、リカルダも話には聞いたことがあった。御伽噺の、手先の器用な種族。お姫様の為に魔法の指輪を作って贈ったこともあったかしら。けれど、彼らは本当にいるの?
「ドワーフ族なんて、本当に……?」
 同じ疑問を抱いていたらしいライヒアルトが、目を丸くして訊ねた。傭兵は横目で彼を見、にやり笑う。
「確かに、奴らは争いを嫌って引きこもってやがる。所謂、中立の民≠セ。大戦が始まった時も、誰にも加担しようとしなかったらしいぜ。だが、奴らは確かに存在した。大戦が始まる前、ドワーフは俺の故郷でも鍛冶の腕を振るっていたらしいぜ。俺の故郷、鉄打ちたちの街アイゼンシュタットでな」
 口の端を上げる傭兵。ライヒアルトは更に訊ねる。
「だけど、そんな彼らが俺のために剣を作ってくれるんでしょうか」
「ま、奴らに剣を打たせるのは容易じゃねぇだろうよ。――だが、もし奴らから剣を与えられたとすりゃ、どうなると思う?」ジークムントは暫く黙ってライヒアルトの答えを待ったが、彼は戸惑うように口篭ったまま。傭兵は続けた。「そうして出来た剣は、公明正大な中立の民に認められた証だ。それは、おまえさんの挑む戦い――戦いを終わらせるっつう事にも一役買うだろうぜ。剣も手に入るし、一石二鳥ってやつだ」
 ま、知らんがな、と続けて傭兵は頭の後ろで両手を組んだ。ライヒアルトの様子を窺うように、にやり笑みを浮かべる。
 ライヒアルトは口籠ったままだった。ちいさく震える手と、見開かれた碧眼。唇を噛んだままの彼の考えていることは、リカルダにも分からなかった。ただ漠然と、御伽噺が色と形を帯びるような感覚に震える。自分が知らないだけで、確かに世界に存在するものたち。きっと、世界にはあらゆるもので溢れ返っている。その当たり前の事に、今更眩暈がしそうだった。世界というものの、存在感。
 ライヒアルトは暫く口篭っていた。彼も、その眩暈を覚えるような感覚に圧倒されているのだろうか。彼が道を選ぶということ、その先に進むこと。そこからもたらされるものに覚える不安に、リカルダは杖を握りしめる。傭兵は、口籠ったままのふたりにしびれを切らしたように頭を掻いた。
「ま、目的はどうあれ、俺もドワーフ族の住処は知らねえ。それを探しながら進むっつうのも悪かねえだろ?」
「けど、それまでお世話になりっぱなしになるのも……」
 ライヒアルトは己の剣に視線を落とした。確か、故郷の兄貴分ディートマルが餞別に置いて行った剣。ライヒアルト同様、彼の剣に視線を落とした傭兵は、僅かに眉根を寄せた。
「あぁ……、ま、そのなまくら剣だけじゃあきつかろうよ。俺の予備を貸してやる」
 本当ですか、とあかるい表情で訊ねる無邪気なライヒアルトに、傭兵ジークムントは、ちっちっち、と指を振ってみせた。顎をしゃくって、にやりと笑う。
「ちなみに、賃貸料は一日五リラスな。こいつもびた一文まけねぇ」
 一瞬、時が止まったように思えた。小さな悲鳴に似た声が、ふたりの口から洩れる。
 思わず、薄くなった財布を握り締めていた手にこもる力が強くなった。ぎこちなくライヒアルトから向けられる、気遣わしげな視線。リカルダも、彼を見上げた。困ったように力無い笑みを浮かべる彼。笑えなかった。泣きたい。視界がにじむ。生きていけなくなるかもしれない。凍りついたふたりの空気を、傭兵ジークムントはただにやにやと笑みを浮かべながら眺めて顎をしゃくった。
「ま、どうしようと構わねぇが、その剣じゃあ苦労するだろうぜ。ここで、傭兵ジークムント様雇用記念特別特典だ。賃貸料も特別価格でのご奉仕! とくりゃあ、ノらない手はねえだろ?」
 おずおずと力無く頷き、リカルダはうな垂れた。もっともだった。対抗し得る手段は持つに越したことがない。ないのだが。
 気遣わしげなライヒアルトの視線を感じる。辛い。ここから毎日、彼が剣を持っているだけでお金が飛び出していくのだと思うと胸が痛んだ。――その様子をにやりと眺めながら、ジークムントは両手をぱんっ、と叩いた。にかっと笑う。
「――よし、交渉成立だ。ええと、なんて言ったか。ライヒアルト? ――じゃ、アルトな。よろしく頼むわ。んじゃーまぁ、いっちょ飲みに行こうぜ。男同士、親睦を深めにゃあな!」
 そこからの展開は早かった。言うなり傭兵は肩を組むように青年の背中越しに手を回し、ばしりと肩を叩く。びくりとして肩を竦めるライヒアルトに、傭兵はにっと笑ってみせた。そのグレーの瞳が、愉快げに細められる。「お前、年は?」
「えっと、二十一です」
「若えな。俺は二十七だ。ま、兄貴だと思ってくれや。その敬語もいらねぇ。――じゃ、ま、すぐそこの角に美味い料理を出す飲み屋があんだよ。俺が奢ってやる」
「え、え」
 上機嫌に言うジークムントは、肩をばしばしと叩きながら足早に進んでゆく。リカルダは心許ない感覚に襲われて戸惑うようにその背を追う。不安げな様子が見てとれたのだろうか、こちらも戸惑うような表情を浮かべたライヒアルトが気遣わしげに振り向いてきた。
「あ、あの、リカが」
彼女を置いていきそうな勢いの傭兵に、ライヒアルトが口をひらいた。瞬間、傭兵の顔が険しくなる。
「あ? リカ? ンだそれ」
 名乗ったのに。名乗ったのに、まったく把握していない。リカルダは思わずぽかんと口をあけた。もしかしたら初対面ですぐには覚えられなかったのかもしれない。まして自分はリカルダと名乗っていたわけで、リカという呼び名が彼の中で自分とイコールにならなかっただけかもしれない。そう言い聞かせてみるも、衝撃は隠せない。アルトくんの名前は、覚えてたのに。
 ライヒアルトはきょろきょろと困ったように交互に視線を傭兵と少女へ向ける。完璧に板挟み状態である。
「あ、あの! ジークさんっ」意を決し、リカルダが声を張り上げる。「あの、アルトくんも疲れてるし、出来たら一度わたしたちもお宿を取って、休ませてもらってから、あの、食事に」
「あァ……?」
 刹那。ぎこちなく、重々しく、苛立たしげにゆっくりと傭兵が肩越しに振り返る。上機嫌に高くなっていたかの傭兵の声が急激に地の底まで落ちた。冷め切った低い声。嫌悪感しか滲まない声。それに加えて、眉間の皺が深く深くなり、額にまで皺が寄った。目元は笑みのひとかけらも浮かんでいない。そのまま顎をしゃくった彼の表情は、ごろつきかチンピラもかくやという有様だった。リカルダは小さくびくりと震え、目を見開いた。怖い。殺される。獣に牙を剥かれた小動物のように、ふるふると縮こまる。
「え、あ、あの、あの、だから、アルトくんが……あの……」
「っせえな、ったくさっきからうじうじうじうじとよぉ。これだから女はいけ好かねえんだよ」
 びくりとして視線を彷徨わせる。眼光に射殺されそうで、傭兵の顔を直視できない。救いを求めるようにライヒアルトを見ると、幼馴染も凍りついた笑みを浮かべながら、傭兵とリカルダに視線を彷徨わせていた。うう、アルトくん頼りにならない! 全然頼りにならない!
 ふたりのその挙動不審な行動に目もくれず、ジークムントは再び正面に向き直った。「行くぞ」とライヒアルトの肩を叩く。
「あああああ、あの、今のうちに、わたし達もお宿、とらないと、帰ってきたときに」
「うるせえ。この小姑が」
 決定的な衝撃が走った。
 小姑。こじゅうとめ。まさかの扱いに、その口許が塞がらない。わたし何したっけ。だってわたし、わたしは、当たり前の事を言っただけのはずなのに、それなのにどうして。
「り、りかー、気にしちゃ駄目だよー、ね……?」
 呆然と立ち尽くしぽかんとするリカルダに、ライヒアルトが小声で投げかける。その言葉は少女に届いたのか、否か。
 再び上機嫌に鼻歌など歌いながら大股で街道を闊歩するジークムント。完璧に板挟み状態のまま、おろおろと幼馴染の少女と傭兵とに視線を彷徨わせ続けるライヒアルト。そして残された、リカルダ。
 わたしが嫌いなの? それとも女の人が嫌いなの? もし後者だとすれば、生まれ持ってしまったその性質はどうしようもないのに、これ以上どうしろというのだろう。呆然とするリカルダの胸中で、理不尽な言葉がリフレインする。はじめての仲間、ジークムントとの旅に、少女は波乱の予感しか抱けずに。
 彼女は、為す術も無くただおろおろしているだけの幼馴染の青年をきつく睨み付けた。