「いいか、俺は傭兵ジークムント様だ。お前が昨日雇った」
「……そーだっけえ……?」
「昨日の晩、二人で飲み屋に行ったろ」
「うー……おぼえてないー……」
 宿屋の一室、ベッドの上。蓑虫のように布団に包まったままのライヒアルトが、ふにゃりと首を傾げた。とろんとした目元。埒のあかない会話だが、傭兵は隣のベッドに深く腰掛けて辛抱強く説明している。部屋のドアを開けた瞬間に目の当たりにしたそのやりとり。街の鐘楼から奏でられるふたつめの鐘――軒並み店のひらく朝十時を告げる鐘の音を背後に聞きながら、リカルダは思わずこめかみを抑えた。昨晩の彼の様子が脳裏を掠める。
 昨晩傭兵ジークムントと飲み屋に消えていった彼ははじめて飲酒したためか、普段にも増してへらへらしながら帰ってきた。一口で酔いやがった、とぼやく傭兵に、「よってないよー」とへらへら返して眠りこけた幼馴染。起きてもまだ、へらへらしている。まだ、お酒が抜けていないのかしら。昨日助けてもらったのに、ジークさんのことを覚えてないだなんて。
「……あー、りかだー、おはよー」不意に、リカルダに気付いたらしいライヒアルトがへにゃりととろけそうな笑みを浮かべた。そして、小首を傾げる。「ごはんー」
 ごはんと混同されているのだろうか。リカルダは、ため息ひとつ。彼に黙って歩み寄ると、とりあえずぺしりと頭をはたき落した。




「やー、ごめんって。寝ぼけてたよ。ほら、ジーク見た目違ったし」
「失礼にも程があるだろ。見た目違うっつっても、前髪ぐれえだ」
「そお? 前髪ぐらいって言っても、かなり違うよ。ねぇ、リカ?」
 話を振られて、リカルダは丸まっていた背筋をぴんと伸ばした。ちらりと傭兵に視線をやる。昨日は頭の後ろに撫で付けていた長い前髪は、まだ整えていないらしく無造作に垂らしたままで、確かにまるで別人のように見える。しかし、ライヒアルトに同意を示そうとした矢先にその当の傭兵から鋭い眼光を向けられて彼女はびくりと震えた。白目がちなグレーの瞳に、好意的ないろは見当たらない。どこをどう切り取っても不快感しか見出せないその視線に、思わず肩を縮めてしまう。端的に言えば、彼女は傭兵を恐れていた。
 帝都レーベにただ一軒の宿屋ひいらぎ亭に一晩身を寄せていた一行は、朝を迎えて宿の朝食にありついているところだった。
 昨晩傭兵に小姑呼ばわりされ、飲み屋に向かった彼らが帰ってくるまで辛抱強く起きて待っていれば「まだ起きてたのかよ」と嫌そうな顔で言われ、朝起きてライヒアルトを引っぱたけば「暴力的だな。これだから女は」と嫌悪感丸出しの声で言われ、朝食に向かう彼らが連れ立っている後ろからついていけば「んだよ。なんでついてきてんだよ」と眉間に皺を寄せて言われた。本当に、わたしが何をしたというのだろう。心当たりが無いのにこの仕打ちである。優しい人に囲まれて育った彼女は、生まれて初めて他人からの仕打ちに胃を痛めていた。今も向けられているこのグレーの瞳は、どうやら彼女の存在ごと否定しているらしい。慌てて俯き、いただきますと呟いた少女はスプーンでスープをすくった。
 ひいらぎ亭は、端的に言えば安普請と呼ぶのが相応しい。柱も壁も、古びた木製で、何か化けて出そうな気さえしてくる。聞けば、大戦の頃より国交が少なくなり、宿屋の機能を持つ店は軒並み閑古鳥が鳴きはじめたらしい。食堂としての機能を前面に押し出し続けたひいらぎ亭は生き残り、数少ない旅人の受け入れを行っているとのことだった。そうして生き残っただけあって、ひいらぎ亭の食事は美味しかった。料理には自信のあるリカルダも、ひとくちスープを飲んでちいさく目を見開いた。風味豊かな香りは、あまり馴染みがない。はっとして顔を上げると、ポットを片手に近付いてきた痩身の店主が、その細い面に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「美味しいだろう。出し汁に色んな食材を使ってるんだ。ほら、そっちのチキンも食べてごらん。隠し味が何か分かるかい」
 リカルダは言われた通りに小さく刻まれたチキンを口に含む。何か香草が使われているようだが、分からない。隣でライヒアルトが「あ、おいしー!」と感嘆の声を上げる。店主の目尻が下がった。
「アイカ草っていう香草を使ってるんだ。行商人がどっかから運んできたんだが、惚れこんじまってね。栽培してるんだ」
「へえー……はじめて聞いた。すごく、美味しいです」
 少女はがふわりと笑うのを見、店主も満足げに目を細める。
「ありがとうよ。……全く、こっちのあんちゃんは褒め言葉に余計な悪口を付けてくるからいけねぇ。嬢ちゃんたちみたいに素直に喜んでくれりゃいいものを」
 笑いながらぼやく店主に、傭兵はにやりと笑みを返した。
「嘘は言ってねぇぞ。こんだけ美味いメシ出してるっつうのに、部屋はガタガタのボロボロ。ちったあそこにも手をかけりゃあもっと流行るんじゃねえかっつう話だよ」
「調味料収集に精を出すと金が残らん。仕方ないさ」
「宿屋だろうが、おい。調味料優先かよ」
「このご時世、宿屋は流行らん。素直に鞍替えするよ」
「伝統もくそもねえな」
 笑い合う彼らは、実に楽しそうで。リカルダはちいさく肩を竦めた。傭兵は、自分以外には口は悪いが人当たりは良い。それなのに、どうしてわたしだけ。ちいさく、ため息をつく。
「おじさんの料理も美味いけど、リカの料理も美味いんだよー」
「はぇっ!?」
 突然ライヒアルトに言われ、リカルダは再びびくりと飛び上がった。おずおずと顔を上げる。興味深そうに目を丸くする店主、にこやかなライヒアルト、そして眉間に深い皺を寄せて凍てつく眼光を飛ばしてくるジークムント。リカルダは視線を落とし、そんなことないよ、とちいさく首を振った。その傍から、思わず震え上がる。話にさえ出されなければこの目で見られることもないのに。ばか。アルトくんのばか。
 出会ってからの一日にも満たないこの時間、リカルダはとにかく傭兵の前から存在を消してしまいたかった。幼馴染の能天気な笑顔が憎い。自分のそのお門違いの不満を振り払うように、彼女はちいさく首を横に振った。
「そ、それよりアルトくん、これからどうするの? 行き先を決めないと、どうしようもないわ」
「そうなんだよねえ」呟いて、ライヒアルトは、背もたれに身を預けた。ぎし、と軋む音。「なにせ、アテがないからねー」
「おや。何か探しているのかい?」
 今度はカウンターの奥で皿を拭いていた店主が首を傾げて興味深げにこちらを見ている。朝食とも昼食ともつかない時間に、他に客はいないらしい。そんな彼に、ライヒアルトは上半身だけ振り向く。
「ドワーフの手掛かり探してるんだ。おじさん、知らない?」
「そりゃあ、随分突飛だねえ。取材でもしてるのかい」
「俺、剣が欲しいんです。魔力剣」こともなげに言って、笑う。「今、人間の鍛冶屋でいい魔力剣を作れる人って殆どいないらしいし、ドワーフ族に作ってもらえないかなーって」
 目を丸くした店主は、細い顎を撫でながらからかうように笑う。
「それで、ドワーフとはね。いやはや、突飛も突飛だ」
「目標は高いに越したことないかなーって」ライヒアルトは屈託の無い笑みを浮かべる。「その途中で魔力剣を見つけられればそれでいいけど、もしドワーフに辿り付けるならそれも悪くないよ。何より、面白いし」
「面白いし、か。夢見がちだねぇ。悪くない」
 店主は面白そうにからからと笑った。ライヒアルトはやはり、好意的に受け入れられたらしい。――いつも思うが、この無邪気な幼馴染の人懐こさも好かれ易さも折り紙付きである。元来人見知りのリカルダからしてみれば、羨ましい限りだ。彼は家に居る時はただのずぼらな同居人だが、実際の所、絵に描いたような好青年なのだ。リカルダは彼の隣で、小さく肩を竦める。やっぱり、ずるい。
 彼女の複雑な胸中は露知らず、店主は続ける。
「ドワーフに繋がる手掛かりではないが、アイゼンシュタットにならちょいと珍しい剣もあるんじゃないかな。――知ってるかい? アイゼンシュタットの事は」
「アイゼンシュタット?」ライヒアルトが首を傾げる。「聞いた事があるような、ないような」
 ジークムントの眉が何かに反応するかのように僅かにぴくりと動いた。しかし何も言わずに頬杖を付いて傍観している。
「アイゼンシュタットは、そうだな……此処から南西にうんと離れた場所にある街なんだが。鉱山の麓に出来た街で、鉄鉱の採掘が盛んな土地でね。大陸でも有数の鍛冶街だよ。ま、わしも行った事はないんだがな」
 食器を棚に収めながら、店主は語る。ライヒアルトは何か思い出せそうで思い出せない様子で、頭を掻き、首を捻っている。リカルダは小さくため息をついた。昨日聞いたばかりの地名だというのに。
「……アルトくん、アイゼンシュタットって、ジークさんが言ってたじゃない。確か、ジークさんの、ほら」
 促しても、ライヒアルトは首を捻ったまま。リカルダが様子を窺うと、ジークムントは頬杖を付いたまま面倒臭そうに投げやりな視線を食卓中央の調味料付近を彷徨わせている。やがて、口を開く。
「――俺の故郷だよ」視線を僅かに横に逸らす。「だが、アイゼンシュタットは――」
「あー! そっか、昨日言ってたね、すっかり忘れてた。酔ったせいで記憶が曖昧でさー、あはは」
 何か言いかけていたジークムントの言葉に被せるように喋るライヒアルトは、楽しげに笑う。そんな彼の様子を見、男はふっと笑う。
「ったく、お前は」漸く視線を上げたジークムントは、妙に輝いているライヒアルトを呆れたように眺め、笑った。「……ま、そうだな。結局あれから戻っちゃいねえし、何か手に入るかもしんねえな」
「もうさ、俺手に入るならなんでもいいよ? だって、このままだと一日経つごとに剣の賃貸料がかさんじゃうからさ」
 へらり、と笑うライヒアルト。浮かない顔のジークムントも、彼の能天気な様子に脱力したようだった。つられて、笑う。
「ったく、お前といると気が抜けるわ」
「そう?」
「そう?=c…じゃねぇよ、全く」
 呆れたように笑うジークムントは、一瞬下を向いたが、すぐに顔を上げた。そして、ぱしっ、と両手を叩く。
「――よし。当面の目的として、アイゼンシュタットを目指そうぜ。掘り出し物探しに、な」
「遠いだろう、アイゼンシュタットは」店主が再び茶々を入れる。「徒歩でも馬車でも時間がかかるぞ」
「知ってるに決まってるだろうが、あほ」
 やや不機嫌そうに店主を睨む傭兵。店主はからからと笑って返す。
「ま、ここからじゃ精霊の森を通り抜けていかにゃならんし、森の先の海都も十何年か前に滅んじまったから、どっちにしろ徒歩でいかなくちゃあならんがね。いやあ、苦労するねぇ」
「ったく、他人事だと思いやがって……」
 毒づくジークムント。不意に、隣のライヒアルトにつつかれた。「精霊の森ってなにかな」と彼に訊ねられ、リカルダは首を傾げる。
「ああ、精霊の森ってのは、南方に広がる大森林だよ」店主はにこやかに説明する。「昔は通るに苦労しなかったらしいんだが、なにせ大戦が始まってからは精霊が襲ってくるようになったらしいからね。ちょいと大変だと思うよ」
「そうですか、精霊……」
 リカルダの脳裏に、昨日の戦いでまるで何も出来なかった事がよぎる。あんなにアルトくんを護ると息巻いて出てきたのに、わたしに何が出来るんだろう。治療してあげることは出来るけど、それ以外は護られているしかないなんて、そんなの。
 少女は暫し黙り込んで逡巡していたが、やがて意を決したように面を上げた。震えを抑えるように、両の手をきゅっと組み合わせる。それでも震えは止まらない。また、あの目で見られるのだろうか。
「……あの、ジークさん。魔法を使えば、精霊と戦えますか?」
「あぁ……?」
 突然少女に訊ねられ、男は不機嫌そうに顎をしゃくったまま半眼で少女を見下ろす。リカルダはびくりと震え、組み合わせた手を更に強く握った。やっぱり、だめだ。でも、この人はとても怖いけれど、だからこそ、絶対に足手まといには、なりたくなかった。
 視線を逸らすまいとじっと見つめる少女の若草色の瞳を一瞥し、傭兵は視線を逸らし、自身の手元に視線を落とした。ややあって、腕を組み背もたれにどっかと体重を預け、天井を仰ぐ。
「……まあ、そうだな。要は、精霊っつうのは魔力で構成された生き物みてえなもんだ。魔力に干渉するには、魔力を以てする必要がある。だから、魔法っつうのは一番有効な手段だろうぜ」
「……そ、そうですか……ありがとうございます!」
 意外にしっかりと返ってきた返事に目を見開いた。傭兵は天井を仰ぎ表情を見せないままだが、少女はぺこりと頭を下げる。
「リカ、攻撃魔法とか使えたっけ?」
「……ううん、少し火起こししたり、倉庫での保管用に氷作るときに覚えたくらいだから、そんなには……」ライヒアルトの問いに、少女は小さな声で言いながら頭を垂れた。ふるふると首を振る。「でも、このまま足手まといになるなら、覚えなくちゃ……」
 ライヒアルトは暫し、目を瞬かせた。そして、にこりと笑う。
「うん。俺たち、てんで弱いから、一緒に頑張ろ」
「……うん」
 こくりと頷く。笑うライヒアルト。
「弱いまんまでいてもらっちゃあ困るからな。きりきり努力しろよ」
 腕組みをしたままふたりに視線を戻したジークムントは、軽く嘆息する。覗き見ると、先程のような嫌悪の視線は窺えなかった。
 自分が何故邪険にされているのか、リカルダには分からない。度々言われる、「だから女は」の言葉が関係しているのかもしれない。しかし女として生まれたこと、それが揺らぐわけでもなく。リカルダは気合いを入れるように、息を吸った。そして、ひとり頷く。
 わたしはわたしで、頑張るしかない。自分の出来ることで、アルトくんを護れるようにしなくちゃ。それでなくちゃ、わたしがついてきた意味がないもの。
「リカに世話になってばっかじゃ駄目だってばあちゃんに言われたからなー。リカに頼り切りにならないようにしなきゃだね」
 隣でライヒアルトがのほほんと笑う。決意表明の割には、力の抜けた声だった。リカルダはふっと気が抜けたように笑う。
「もお、アルトくんてば。頑張らないとね」
「ほんとほんと。リカは魔法の勉強真面目にやってたし、きっとすぐ色々出来るようになるからなー。負けないようにしなきゃ」
 強張った肩も、彼といると力が抜ける。
 それが良いのか悪いのか、わからない。けれど、それが幾らか救いになっていることだけは、確かだった。