傭兵が振り上げた魔力剣フラウロスから、雷撃が生み出された。残っていた最後の瓦礫が砕かれ、ごづりと崩れ落ちてゆく。やがて広間じゅうに横たわっている瓦礫の上にそれは沈み、風圧とともに瓦礫片が飛び散った。身を守るように腕を顔の前に翳していた少女は、やや離れたところにいるジークムントへちいさく頷く。大振りの魔力剣を掲げていた傭兵は、その合図と共に剣を鞘に収め、後方で控えるライヒアルトの傍らにどっかと座り込んだ。少女は魔法の光球を掲げ、祭壇と思わしき壁の前を何度も往復している。
「――ジーク、ありがと。岩を崩すなんて俺もリカも出来ないから。助かったよ」
「ったく、人遣いの荒え奴だ」
 傭兵は頭を振り、立てた膝に腕を置き頬杖をついた。
「あはは、まあまあ。頼んだのは俺なんだから、勘弁してよ」
「……ま、いいけどよ」
 笑うライヒアルトに軽く肩を竦め、ジークムントは目を伏せた。
 瓦礫から祭壇を発見してすぐに調査を始めたいところだったが、このままでは体調を崩してしまうというライヒアルトの提案による休息を拒む者はいなかった。ライヒアルトは濡れた服を着たまま、リカルダも未だ髪を濡らしたまま、ジークムントに至っては上半身裸である。このまま調査を続けるのは得策とは言えなかった。かくして一行は、一旦の休息の後に祭壇に戻ってきたのであった。
「しかしよ、こんなん調べてどうする気だ?」
「んー……すごい個人的な意見を言うとね、こんなの気にならないわけがないじゃない? すっごく面白そうだよ」
 ライヒアルトは立てた両膝に両肘を置き、楽しそうに目を細めた。
 ジークムントは、それを見て僅かに目を細めた。端正な顔立ちの青年なのだろうが、いつも浮かべているのはその端正な顔に不釣り合いの無邪気な表情で。まるで少年のようだ、と初めて会った時に感じたのをふと思い出す。夢みるようにやわらかな目許に、警戒心のひと欠片さえ抱けなかった。一種の特技だな、と思いながら傭兵はふっと笑う。
「ったく、お前は能天気だな。理由は好奇心かよ。いつか死ぬぞ」
「あはは、……ま、でも好奇心満たさないで死ぬなら、多分満たして死ぬ方を選ぶなぁ、俺」青年は目を細めて笑う。「でも、リカすごいね。俺、あんなの見てもさっぱり分かんないや」
 ライヒアルトはそう言って視線を広間に向けた。ジークムントもつられてそちらへ視線を移す。その先に、小柄な少女の背。魔法について知識を持っているのは彼女だけだった為、彼女が調査にあたっているのだ。役に立たないかと思えば、妙な所で役に立つ。いまいち邪険にしきれないのもそのせいかもしれなかった。
「あいつは、魔術師にでもなろうとしてたのか?」ジークムントはふと、訊ねる。「神々の言語≠ネんつうもん、一般人は知らねえ」
「リカは、どういう原理で動いてるか分からないものを使うのが怖いんだってさ。……俺は、使えればそれでいいんだけど。すごいね」
 その形のいい碧眼を細めるライヒアルトに、傭兵は何も返さなかった。代わりに、心中で考えを巡らす。
神々の言語=\―そう魔術師の間で呼ばれている言語について、ジークムントも耳にした事はある。彼らの間では魔法は神々から力を借りて発動するものであるとされており、呪文は神々に語りかける為の言葉なのだ。だからこそ、その為の特殊な言語は神々の言語≠ニ呼ばれた。普段話す言葉とは違うそれは、魔術師以外の者達にとってみれば意味の解らぬ文字の羅列であり、理解すべくもないのだ。だからこそ、ジークムントも魔術を覚えることは諦め、初心者用に整理された定型の治癒呪文を覚えるだけに留まった。しかし、眼前の少女はそれを解するという。意外だった。
「リカの魔法、威力が他の人とは桁違いなんだってばあちゃんが言ってたんだ。きっと、攻撃魔法とか覚えたらすごいと思うんだけど」
「神々の言語≠ェ分かるっつうことは、効果的に呪文を使えるってえことだからな。……ふむ。覚えさせたら化けるかもしれねえな」
 ジークムントは顎を擦る。足手まといよりはましだろう。
「でも、リカ、優しいからなー」ふと、ライヒアルトは目元を細めた。複雑そうな表情で、少女の背に視線を遣る。「……攻撃呪文覚えても、使えるかな。昔から、鶏絞めようとするのを見て可哀想って泣いてたくらいだからさ」
「……んだよ、殺らにゃ殺られる状況でそれを言ってみろ、はっ倒してやる。大体、お前らがきんちょ二人を俺が護り抜ける確証はねえんだ。あいつだけじゃねえ。この洞窟に来る前に何度か魔物と戦ったが、お前も剣の扱いは未熟だ。筋は良いが、使い物にならねえ」
「俺はあんまり実戦経験ないからなー。昔、故郷にいた兄ちゃんに教えてもらってたくらいだし。これから覚えればいいかなって」
「先が思いやられるぜ、全く」ジークムントは頭をわしゃりと掻き、口許を真一文字に結んだ。「その兄貴の教育は染みてるようだが」
「ディート兄ちゃんは騎士家出身らしいからねー。型が綺麗なんだ」
「ディート? どこかで、聞いたような……」
 その言葉に、ライヒアルトが目を丸くする。しかし思い出せなかった。似たような名前の人間などどこにでもいる。ジークムントは「気のせいだろう、多分」と結論付けた。ライヒアルトは暫し目を瞬かせたのち、気を取り直したように笑って立ち上がった。
「そのうち、剣の修行してよ。俺も強くなりたいからさ。……ちょっとリカの様子見て来る」
「おう、行ってこい」
 ふわり笑って踵を返すライヒアルトの背に、ジークムントはひらひらと手を振ってみせた。




「リカ、何か分かった?」
 瓦礫の前で佇んで首を捻っていたリカルダは、突然の幼馴染の声に驚き振り返った。いつの間にか近付いてきていた幼馴染を見上げる。頭二つ分も背が高い彼に向かって、僅かに小首を傾げてみせた。
「えっとね……、もしかしたらこれ、すごい装置かもしれないわ」
「装置? 祭壇じゃなくて?」
 目を丸くする彼に、頷きを返す。
「この壁に書いてある文字、少し形は違うけど、魔法の呪文を構成される為の神々の言語≠フ仲間だと思って間違いないと思うの。それでね、この文字によると、この装置に魔力を宿らせることで、転移装置になるって書いてあるわ」
「転移、装置?」
「うん。本当か分からないし、発動するかも分からない。だけど、相当高度な魔導装置らしいわ。転移先もちゃんと座標で指定されてるみたい。……こんなものがあるなんて、信じられないけど」
 それだけ言って、口を噤む。ライヒアルトは一歩壁面に近付くと、見上げた。その見開かれた瞳には見覚えがあった。面白いものを見付けた時の、好奇心旺盛な瞳。リカルダは思わず肩を竦める。わたしは好奇心より不安の方が勝っているのに。彼は相変わらずだった。
「どうして、壁の奥に封じられていたんだろう。一体、いつの時代のものなんだろう。……なんか、凄いね」
「そう、だね。……おとぎ話みたい。なんだか、怖いわ」
 杖をきゅっと握りしめる。そうしていると、養母がだいじょうぶだと言ってくれているような気がして、少し安心した。自分の怖がりは、いつまで経っても直らない。しっかりしなくちゃ。
 数秒、ライヒアルトはそんなリカルダを見ていたが、やがて部屋の隅でつまらなそうにしている傭兵を振り返った。
「ねぇ、ジーク! これ、転移装置らしいんだけど」
「あぁ? 転移装置?」
 彼は訝しげに眉根を寄せ、億劫そうに立ち上がった。そしてライヒアルトの傍らに立ち、壁をぐるりと見回す。
「……まぁ、俺にゃ何もわかんねえが。これが転移装置だとして、どこに転移させる腹積もりなんだ?」
「さあ……それは……」
 座標指定がされている、それだけしか分からない。また怒られてしまうのではと思わず縮こまったが、傭兵は次の疑問を口にした。
「んで、これは発動させるとどうなるってんだ?」
「えっと、転移ゲートを発動させるものみたいなんです。ここに描かれている文字も紋章も、呪文に呼応して転移ゲートを生み出すための装置らしくって」
「行き来できる仕組みならいいが、一方通行っつーのが一番怖えな」
「帰ってこれるとは、思います」少女は石版を光で照らした。「ここ、着地点にもなっているみたいなんです。ある一定の場所と行き来するためのものらしいから、きっと戻れるはず……、たぶん」
「まあ、それなら試して見るのも一興か。……おい、小姑。お前、この装置を発動させることは出来るのか?」
「この石版の呪文を読むだけで発動するなら、きっとわたしでも出来ます。……他に必要なものがあったりとか、装置が壊れてたりしたら、わからないけど」
 ぽつりと言い、リカルダは視線を落とす。自信はなかった。
「使うかはともかく、これだけの装置が本当に発動すんのか興味がある。やってみな」
 リカルダは慌てて頷いた。くるりと石版に向き直る。
 呪文は石版に記されていた。あとはそれを読み上げるだけ。けれど、少し不安だった。これだけ大掛かりな装置を制御出来るのかしら。そんな思いにかられながら、呪文を唱える。浮かべていた魔法の光が消えて広間が闇に包まれたのも束の間、彼女の言葉に呼応するように、杖の先の珠と眼前の石版の珠にひかりが宿り始めた。リカルダは杖を握り直す。呪文を唱える時にいつも感じる、頭の奥が冴える感覚。その感覚が魔術師にとって大切なものだと養母リリーから学んだ。ひとは言葉や図形によってその意識をコントロールし術を扱うが、リカルダは言葉をつかうことを選んだ。意識が四散しそうになっても、言葉が意識の道筋を示してくれる。
 ふと、リカルダの脳裏に紅い瞳がちらついた。
 人間の魔術史上でただ一人だけ、言葉も図形も必要とせずに手の一振りだけで術を発動出来た人間がいた、と養父ロルフは教えてくれた。それが、黒蝶姫と呼ばれた女性だった。
 竜族をも凌駕する力を、完璧に制御出来ただなんて。――リカルダは杖を握り直した。乱れかけていた意識に集中する。呪文が完成に近付くにつれて増す光が、視界にちらついた。意識を集中するのは難しい。それを、一瞬で、だなんて。頭の中で全てを構成して放つだなんて、人間業とは思えなかった。脳裏に、帝都の書店で見た黒蝶姫の絵姿が浮かぶ。白い肌と、艶やかに流れる黒い髪。そして、ルビーのような鮮やかな赤。まるで、血のような。
 彼女は多くの血を浴びたことだろう。それでも、あの絵姿のように微笑んでいたのだろうか。記憶の中の黒蝶姫の微笑が、急に禍々しいものに思えた。背筋が、ぞくりとする。
 魔法というのは、人知を超えた力だ。ライヒアルトが魔力剣を手に入れようとしているのも、それに立ち向かう為だ。自分は今、得体の知れない装置を発動させる為に魔法を扱っている。その事に、急に言い知れぬ不安を抱く。わたしは、決定的に全てを破壊してしまう力を扱っているのではないかしら。
 けれど、その力を捨てることは、今失いかけている自信を全て捨てるに等しい。わたしの出来ることは全て、この力にかかっているのだ。傭兵に呆れられたくない。見下されたくない。だからこそ、その力を振り捨てるだなんて出来る訳が無かった。




 ライヒアルトは、はっとして少女の居る岩壁の方を振り向く。少女の掲げる杖と石版の珠に宿る光が、先程よりも強さを増している。呼応するように、岩壁に刻まれた文字に光が走る。自然のものに非ざる不思議な光に包まれて瞬く空間に、ライヒアルトは心許ない感覚に襲われた。こんな仕掛けは見たことがない。それは端的に言って、恐れに近かった。これから、何が起こるというのだろう。
 繰り返す明滅。強い光。不意に、少女の澄んだ声が響く。
「――扉よ(ポルタ)!」
 明滅が止む。光が徐々に石版に集い、記された図形に光が走る。やがて光に縁取られた石版の紋様から、光が浮かび上がった。虚空に、光の紋様がぼんやりと浮かぶ。
 術を発動した少女は、肩で息をしながらぺたりとヘたり込んだ。
「――リカ!」ライヒアルトは駆け寄り、少女の傍にかがみ込んだ。「だ、大丈夫?」
「う、うん、大丈夫、……こ、これでいいのかな……」
 少女は不安そうにあたりを見回した。先程とはうって変わって、仄かな光が岩壁で明滅する。今や、浮かび上がった光の紋様が他の何よりも強く瞬いていた。
「――こりゃ、すげえな」立ち上がり呆然と見入っていたジークムントが思わず目を瞬かせる。「こんな大がかりなモンがこんなとこに封じられてるなんてな……」
「どうするジーク、行ってみる? 俺は――行ってみたいけど」
 眼前で明滅する紋様から、視線が逸らせない。まるで、物語の中にいるようだった。岩壁に封じられていた祭壇。魔法の力で生まれる転移ゲート。メーディス村で翼竜を見てから、まるで夢見心地だった。不思議なことばかりが続く。それを目の前にして飛び込まないという選択肢など、ライヒアルトの中には無かった。
「危ねえっちゃあ、危ねえが……」傭兵は、一歩前に進む。「行ってみようぜ。ものは試しだ」
「でも、もし抜けた先に魔物がいたら……」リカルダは杖を軸に立ち上がり、不安そうな声を上げた。「危ないわ」
 傭兵はふんと鼻を鳴らしてみせる。
「――傭兵ジークムント様を舐めんなよ。何の為の傭兵だと思ってやがる。お前らガキんちょぐれえ、俺様が護ってやる」
 言うジークムントに、リカルダは目を瞬かせた。
「俺も、リカのこと護れるように頑張るから。……行こう」
 真っ直ぐに虚空に浮かぶ光の紋様を正視し、ライヒアルトは言う。
 視線の先、誘うように瞬く魔法陣の光を受けて、彼の瞳の碧がきらめく。小さく頷いたリカルダに微笑みかけ、ライヒアルトは魔法陣へと足を踏み出した。

 すとん、と投げ出される感覚。リカルダはたたらを踏んだが、足がもつれたままぺたりと座り込んだ。次の瞬間、背後の光が一瞬、強まった。はっとして振り向くと、彼女の目の前で紋様を描いていた光が収束して消える。彼女を取り囲むように壁いっぱいに走る文字に宿る光も、それに呼応したように、波が引くように消えていった。残されたのは、文字の刻まれた白亜の壁面だけ。――ふと、少女は目を疑った。そこにあるのは、岩壁の中から見出された祭壇ではない。やや古びているが、美しくなめらかな艶を帯びる白亜の壁だった。やはりよく似た石版があったが、まるで材質の違うそれに、リカルダは思わずぺたりと手を付けた。しっとりとした石の質感。ごつごつとして砂を被った先程の石版とは違う。
 ここは、先程の洞窟の祭壇とは違う場所だ。そう確信する。リカルダは思わず、部屋を見渡した。部屋はドーム状になっており、天井ははるか遠い。円形を描いているであろう周囲の白壁には、先程見た魔術言語がびっしりと刻まれている。石版が据えられているのは、部屋の中央、部屋を貫くように伸びる太い柱だった。洞窟の祭壇よりも綺麗な印象の、白い部屋だった。まるで、違う場所だ。
 あの装置は本物だったのだということに、リカルダは思わず身震いした。こんなおとぎ話のような装置が、実在していたなんて。
 ぎゅっと杖を握りしめる。ふと覚えた不安に、震えが止まらない。しかし次の瞬間、はっとした。そうだ、アルトくん。アルトくんとジークさんは、どこへ行ってしまったのだろう。もし、別の場所に出てしまったりしていたら――少女は思わず立ち上がって叫んだ。
「ア、アルトくん、どこ? ねえ!」
「――リカ、こっち。来てごらんよ」
 耳に馴染んだ幼馴染の声は、背後から聞こえて。リカルダはほっとして振り向いた。その先で、壁の隙間から外光が差し込む。扉と思わしきその場所に、二つのシルエット。少女は慌てて駆け寄った。振り返った幼馴染の瞳の碧は、光を受けてきらきらと輝いている。
「すごいよ、リカ。見て!」
 わたしはこんなに不安なのに、どうしてこんなにきらきらしていられるんだろうと、リカルダは内心嘆息した。羨ましいくらい楽天的だと思う。それでも彼女は、彼の指し示す指の先に歩みを進めた。
 急激に光へと転じた景色。思わず瞼をとじ、やがて開いた視界の先は――
「――そ、そら……?」
 その蒼は、幼馴染の瞳にも似ていた。ただ、一面の蒼だった。リカルダは思わず一歩踏み出した。視界いっぱいに広がる空と、遙か眼下に横たわる広大な碧い海。吹く風に煽られ、少女は一歩後退りした。雨に濡れた白い床で足場は心許なく、思わず杖をついた。かなりの高さらしく、見渡せば地上は遙か遠い。左方に目をやると、地上に大森林が横たわっている。上空には厚い雨雲。そんな、まさか。此処は。
「……たまげたな、――この転移装置は、精霊の森を越える為のモンだったってことかよ」
 頭を掻きながら、ジークムントが呆然と呟く。
「じゃ、じゃあ、ここは……」
「うん、そうみたい。俺たち、精霊の森を越えちゃったんだよ。リカは、この装置を目覚めさせたんだ。すごいよ」
 ライヒアルトが好奇心に目を輝かせて笑う。リカルダは、とても笑う気分にはなれなかった。眩暈がするような感覚に、口籠る。怖かった。こんな不思議な事があってもいいのだろうか。そして、どうしてこんなものが封印されていたの?
 遠く聞こえるかもめの声。強い風が、リカルダの白金の髪をなぶる。少女はそれをそっと抑えた。
 何度心の中で疑問を繰り返しても、考えはまとまらない。厳然と示される転移の事実に、少女はただくちびるを噛んだ。