先程の豪雨が嘘のように、塔の周辺は晴れやかだった。大森林の向こうに渦巻く黒雲は、恐らくこの辺りから流れていったものだったのだろう。空の碧さが眩しい。
 ライヒアルトらが辿り着いたこの白壁の建物は、どうやら高い塔らしかった。出てしまったはいいものの、とにかく塔を下りなくてはならない。一行は塔の外周に沿ってぐるりと下りていく螺旋階段をひたすら下っていたのであった。
「うう、それにしても、階段、怖いね……」
 手すりにしがみつきながら必死に階段を下りながら、リカルダは情けない声で呻いた。強い海風でふらつく上、先程雨が上がったばかりの路面はひどく滑りやすい。ああ、地上が遠い。いつになったら安心して地面を歩けるんだろう。
「あはは、飛んでっちゃわないように気をつけるんだよ」ライヒアルトは肩越しに振り向き、笑う。「リカちっちゃいからねー」
「ち、ちっちゃくなんて……!」
 むくれて言葉を返しかけたが、考えてみれば、同行者の男二人は標準に比べてやたらに背が高い。それは養父やメーディス村のどんな男性たちよりも高い程だ。彼らと比較してしまえば、自分が小柄なのは仕方ない事である。何もおかしくはない。口篭って、リカルダはひとり自分に言い聞かせるように頷く。そうだ、おかしくない。こんな余計な事に腹を立てて、また口うるさい小姑だと怒られるのも嫌だった。ちらりと前方を歩く傭兵の背を覗き見る。
「あぁ、いいな。縄でぐるぐる巻きにして空に飛ばそうぜ」視線を向けるやいなや、ジークムントは振り向きもせず平然と言う。「何があるか分かんねえからな、物見用にいっちょ上げようぜ」
「あ、凧上げだねー。リカ上げー」
 少女は口篭り、そして、ゆっくりと瞼が下りた。半眼になる。ジークムントの言葉には衝撃を受けたが、何故便乗しているのだろう、この人は。リカルダの冷たい半眼にも気付かず、無邪気に、それはそれは楽しそうに笑う幼馴染を、少女は見据える。
 少女は、そんな幼馴染の後頭部に杖の柄を軽く振り下ろした。




「……リカ、大丈夫?」
 階段を下りはじめて、だいぶ時間が経った。疲労感に強張る足を自覚しはじめた頃、幼馴染の少女の憔悴のいろに気付いたライヒアルトは、ふと気遣わしげに振り向きそう問い掛けた。少女ははっとして顔を上げる。無理矢理浮かべたような笑みで、かぶりを振った。
「心配しなくても、わたしはだいじょうぶ。気にしないで」
「……いつでも荷物持つからさ、すぐ言ってね」
 少女は頷き、ありがとう、と礼を述べた。
 ライヒアルトはそれからも何度か彼女の方を振り向いて様子を窺っていたが、何度目かに少女に杖で頭を小突かれてやめた。それでも、心配なのは変わらなかった。幼い頃からずっと一緒に育ってきたライヒアルトには、彼女のその笑みが内心を隠すために浮かべているものなのだと分かる。いつものやわらかな笑みとは違う、強張った笑みだったからだ。きっと、無理をしているのだ。魔法は、既に存在する事象を魔力によって書き換える工程とされている。だからこそ、自然が自然に戻ろうとする力と戦いながら魔法を為すということは、著しく疲労を覚えるものなのだと、養母リリーが言っていた。存在を別地点に転移させるなど、自然には起こり得ない事象だ。あれだけの転移装置を発動させたリカルダの身に疲労が溜まっていたとしても無理はない。それなのに彼女は、笑って誤魔化す。
 あれは、リカルダが小さい頃にはじめて魔法を使った時だったろうか。その時も彼女は、おぼつかない足取りで無理をして笑った後、突然倒れてしまったのだ。その時と、変わらない。いつもいつも、心配されることをひどく嫌がる。
「……また、倒れたりしないといいんだけど」
 小さく呟く言葉を耳に留めたらしい傭兵が、肩越しに振り返った。そしてそのまま、ライヒアルトの背後でおぼつかない足取りのまま階段を下りる少女に視線をうつす。傭兵は、何も言わない。彼女も、気付かない。そして、傭兵はふいっと目を逸らした。
 ジークムントは、何を思っているのだろう。本当に、彼は彼女のことを嫌っているのだろうか。女性であるという、それだけで?
 ライヒアルトは傭兵の背中に視線を遣る。傭兵はやはり、何も言わなかった。




 リカルダは、ほんの少し前の自分を思わず呪った。続く階段の終りが見えたと思ったのは大きな間違いだった。そこで途切れると思っていた階段は実際のところ塔の中まで延びており、そして塔の内周に沿うようにぐるりとまだまだ続いていた。思わず、肩を落とす。
「まだまだ続くねー。リカ、大丈夫?」
「うぅ、だいじょうぶ……」
 ライヒアルトの問いに、思わず呻いた。ぬか喜びだった。
 少女の気落ちした様子には目もくれず、傭兵ジークムントはひとり塔の内部に足を踏み入れた。立ち止まり様子を窺っていた彼だが、ややあってライヒアルトらの方を振り向く。心底、嫌そうな顔で。
「……いやがる、な」
「え、なに? 何かあったの?」
 リカルダははっとして顔を上げた。何かがあったらしい。ライヒアルトが目を丸くして彼の傍に駆け寄り、同じように覗き込んでから小さな呻き声を上げるのを聞き、リカルダは僅かに眉根を寄せた。
「ア、アルトくん、どうしたの? 何か……」
「……魔物が居るんだよ。そんなに、凶暴そうではないけど……」
 リカルダは、ライヒアルトの返答に困ったように眉尻を下げた。魔物。帝都レーベを襲撃した魔物が脳裏に過ぎる。不安で杖をきゅっと握りしめながら、リカルダは幼馴染のもとへ階段を下り、同じように塔を覗き込んだ。
 覗き込んだ塔の内壁はびっしりと緑に侵食されていた。時折隙間から覗く白い壁面が、本来はここも最上階と同じつくりになっていたのだろうということを窺わせる。塔の中心を貫くように天に伸びる太い柱には、例にもれず魔術言語らしきものがびっしりと刻まれていた。そして柱から下方へ目をやると、地を緑に覆われた円形の広間に蠢くいくつかの影がのっそりと動いている。凶暴そうな様子は無い。扉の位置さえ分かっていればあるいは戦わずとも切り抜けられるかもしれない。リカルダは幼馴染の顔を見上げた。
「……どっちにしても、あそこを抜けなきゃ外には出られないってことでしょ? 戦う戦わないは別にして」
「うーん……やっぱり、そうなる?」
 肩を竦めるライヒアルト。ジークムントは頷いた。
「階段は下まで続いてる。で、他に出られそうな場所はねえ」
「ってことは、どっちにしろあの広間に下りなきゃいけないってことだよね」ライヒアルトは頬を掻く。「やだな。何だろうね、あれ」
 リカルダは小首を傾げた。再び広間の様子を観察してみるが、よく見えない。動きが遅い事だけは分かる。やり過ごせそうな速度だ。
「あの魔物たちにとってわたしたち、家に突然現れた邪魔ものみたいなものだから、なるべく刺激しないで抜けられたらいいね」
「うん、そうだね。無闇に戦っても仕方ないし。……扉、何処にあるかな」
 ぐるり、見渡す。それらしきものは見えない。首を捻るライヒアルトの傍らで、傭兵が軽く手をぱんと打ち合わせた。
「ま、見えねえってことは死角にあるんだろう。どっちにしろ、このまま此処に居ても始まらねえぜ、アルト。準備はいいか」
「行くしかない、ね」
 うん、と頷いてライヒアルトもジークムントを真似るように、ぱん、とちいさく手を打ち合わせた。そして、深呼吸ひとつ。よし、と頷く。リカルダは隣で小さく頷いた。そうだ、結局進むしかないなら、躊躇しても仕方がない。わたしも、覚悟を決めないと。
「……小姑、行けるのか?」
 不意にジークムントにかけられた声に、リカルダは身を震わせる。
「っぇ、あ、……はい、だ、だいじょうぶ……です」
 躊躇いがちに頷いた。こちらの真意を計るように、傭兵のグレーの瞳がこちらを見据える。リカルダは僅かに視線を逸らした。
 本当は、座って休みたい。足元がふらついて、意識が朦朧とする。けれど、それを言う勇気はなかった。これ以上足を引っ張って傭兵を怒らせてしまうことが、自分が倒れることよりもずっと怖かった。
 曖昧な少女の返事に、傭兵の目付きが更に険しくなる。おねがい。わたしは大丈夫だから、だからおねがい。そんな目で、見ないで。
「……小姑。本当に大丈夫ならそれでいい。だがな……本当は疲れて動けねえっつうんなら言え。今すぐにだ」
 ジークムントは視線を逸らさない。リカルダは視線を落として、くちびるを噛んだ。そのグレーの瞳が、怖かった。
「あのな。強がって大丈夫だって言い張られて肝心な時に倒れられるのが一番困るんだ。ただでさえ戦えないてめえは、足手まといなんだよ。そこんとこ、分かってんのか」
 足手まとい。
 不意に、ずしりと胸が重くなったように思えた。杖をぎゅっと握りしめ、力無く俯く。言わせてしまった。言われてしまった。一番この傭兵から聞きたくなかった言葉。そう思われるようになりたくなかった、その言葉。
 風が凪ぐ。音をなくした空の腕(かいな)の中、遠くかもめの声が響く。
 分かって、いたのだ。
 自分は足手まといだった。体力も無く、攻撃の呪文が使える訳でもない。洞窟に来る前に何度か魔物と遭遇した時も、ろくに身動きが取れなかった。そのくせ、世話焼きで口うるさい。けれど、そんな小言は身を護る役にも立たない。幼馴染を護る為についてきたというのに、この頼れる傭兵は全てその座を奪っていってしまった。
 奪われた、だなんて言いがかりも甚だしいと分かっていた。全ては自分の力不足からきているのに。リカルダはくちびるを噛んだ。
何も出来ない自分に、何の価値も無い事をまざまざと思い知る。それを、ジークムントの口からだけは聞きたくなかった。彼の言葉にはいつだって説得力があった。その口から認められてしまうということは、事実なのだ。自分の価値が、ひとつもないことも。
 暫く、誰も口を開かなかった。黙り込んでしまったリカルダに気遣わしげに視線を向けていたライヒアルトは、不意に傭兵を見上げた。穏和な彼の眉根が、やや非難まじりに寄る。
「ジーク、そんな風に言う必要はないじゃない。リカは……」
「お前は黙ってろ」
 ぴしゃりと言い放たれ、ライヒアルトは思わず口を噤む。リカルダはびくりと震えた。アルトくんにまで怒るなんて、それほどわたしは彼を苛立たせていたのだろうか。ジークムントが少女に再び向き直る。彼女はそれを見上げられないまま。
「……お前みてえな奴が、味方を窮地に陥れるんだよ。わかってんのか。我慢すりゃいいと思ってるかもしれねえが、お前みてえのはそのうちブッ倒れる。休息出来る時に休息出来ねえ奴は、唯の足手まといなんだよ」
 言って、ジークムントは後ろ頭をわしゃりと掻いた。そして、ふいっと顔を背ける。リカルダは震える手で杖をかき抱いた。何も、返す言葉がない。いつも自分は、倒れるよりも心配させることのほうが辛いと思っている。それは、結果的に他人に迷惑をかける。そんな簡単なことに今まで気付きもしなかった。我慢すれば、何も言わなければ、全てうまくいくと思っていた。それは間違いだったのだ。思わずくちびるを噛む。わたしは、迷惑をかけている。
 かもめの声。風が再び吹きはじめた。吹く風は、まっすぐに傭兵の髪を乱す。それを避けるように、彼はくるりと身を翻した。わしゃり、髪を掻く。
「ったく……あぁ、とりあえず、いっぺん休憩だ。いいな」
 そう言ったジークムントの声は、存外柔らかく。リカルダははっとして顔を上げた。背を向けた傭兵の顔は、当然ながら見えない。
 てっきり、そのまま置いて行くとでも言われるかと思ったのに。
 隣で、ライヒアルトが一瞬目を瞬かせた。数秒の間をおいて、ライヒアルトが噴き出した。ややあって、いつもの朗らかな笑み。
 少女は、いきなり笑い出したライヒアルトを見上げた。なにがなんだか、分からない。ひとりだけ全て理解したように笑う幼馴染の腰をつつくと、彼は笑みを絶やさぬまま続けた。
「ジーク、言い方が悪いよ、言い方が。リカ、あのね、ジークは心配してるだけだよ」くすくすと笑う。「とりあえず、休もう。ここならまだ、魔物にも見付からないから」
「ばッか、勘違いしてんじゃねえ! 俺ぁ足を引っ張られたく無えだけだ、このぼけ」
 顎を突き出し、傭兵は不貞腐れたように抗議の声を上げた。
 ――心配、してる?
 むくれている様子の傭兵をちらり盗み見る。リカルダにはよく分からなかった。それならそうと言えばいいだけだ。彼女にとって彼の発言は、俺の邪魔をするな言っているようにしか聞こえなかったのに。目を瞬かせる彼女に、ライヒアルトは小さく笑う。
「素直じゃないんだよ、ジークは」
「るっせぇ」
 ぼやくようにそれだけ吐き棄てる彼。否定は、しなかった。戸惑いに、目を丸くするリカルダ。ややあって、おずおずと頭を下げた。
「……あの、ジークさん。わたし、足手まといにならないようにするから、……ごめんなさい」そこまで言って、少女は首を横に振る。「じゃなくて、あの、……ありがとうございます」
「……おう」ジークムントは不貞腐れた声で返す。「役立たずじゃねえって所を見せてみろよ」
「ジークさ、もう少し素直になってもいいと思うよ。俺みたいにさ」
 面白そうに含み笑いをするライヒアルトに、傭兵はただ一言「余計なお世話だ」と不機嫌そうに呟いた。




 羊、だった。
 塔の内壁を辿る長い螺旋の終わりを目前に、見えた魔物の姿を覗き見ると、それはどうやら羊らしかった。ライヒアルトは手すりから身を乗り出し、目を凝らす。くすんだ砂色の毛に、黒い顔をした魔物。果たしてそれは魔物なのか判断がつきかねるほど、それは羊に似ていた。草を食んでいるらしく、動く様子はない。動いている個体の動きものっそりとしており、あまり凶暴性は感じられない。
「ひつじ……かしら。……かわいい」
 ライヒアルトの隣から、同じように身を乗り出して覗き込むリカルダがそう呟いた。その見当違いの感想に、ライヒアルトは思わず小さく噴き出した。少女はむくれたように眉根を寄せる。
「こ、怖いけど。でも、かわいいじゃない。もこもこしてて」
「あはは、そうだけどさ。リカ、元気になったみたいで俺嬉しいよ」
 なにそれ、とむくれる彼女に笑みを返す。そういえば、小さい頃も毛並の立派な動物にいちいち目を輝かせていた。特に羊はお気に入りで、刈り取った羊毛にもいつまでも触っていたのを思い出す。
 そんな彼女の発言を聞き咎めたのか、傭兵が眉根を寄せる。
「今はそんなこと言ってる場合じゃねえだろうが。小姑」
「まあまあ、ジーク。リカも余裕が出てきたってことだよ」
「ほう? じゃあ、いっちょ実力を見せてもらおうじゃねえか」
「う。……アルトくん、無責任なこと言わないでよぅ……」
 思わず抗議の声を上げたリカルダの語尾がもごもごと消えていく。ライヒアルトは控えめな声で、それでも面白そうに笑った。
 あの後十分に休息を取ったためか、リカルダも調子を取り戻しているようだった。連日の野宿の後の豪雨、逃げ込んだ洞窟、そこでの複雑な魔術な行使、そしてそのまま塔を下りる長い道程を続けていれば疲労していても仕方なかっただろう。休憩の間傭兵が彼女を睨みつけることもなく、委縮しきっていたリカルダもいささか気を取り直したようだった。
 一行は再び、螺旋を歩き続ける。がらんどうの塔に、こつり、こつりと音が響き渡った。やがてその螺旋は地面へと辿り着いた。踏み出した足音は階段を下りている時ほどは響かず、ただ草を踏みしめる感触だけが返った。
 突然の来訪者であるライヒアルトらの姿に、羊たちは驚いたように群れて部屋の隅に退いた。隣でジークムントが警戒する様子を見せる。怯えたように杖を握りしめる少女。ライヒアルトも暫く羊たちの様子を窺っていたが、動く様子の無い一行を脅威ではないと判断したのだろうか、羊たちは再び草を食みはじめた。
「……なんか、拍子抜けしちゃうね」
 ライヒアルトは頭を掻く。近付いたら結局襲われるのではないかとの胸中の心配も杞憂に終わったらしい。リカルダもほっとしたようにちいさくため息をついた。
「何もないならそれが一番じゃない。何かあったら困るわ」
「なんか今までの流れ的にきっと何かあるぞって思ってた、実は」
「もお、アルトくんたら」
 笑ってみせると、少女は困ったように眉根を寄せた。
 そんな彼等の脇をすり抜け、ジークムントは広間に足を踏み出していった。羊は警戒したように再び退いたが、彼が羊たちには目もくれないのを見て再び草を食みはじめる。のどかな様子だった。
「ジーク、あんまりずかずか行くと危ないよ」
「うるせえ、進まにゃ出れねえだろうが」
 傭兵は肩越しに振り向き半眼を寄越す。そしてそのまま、再び視線を前方に向けた。つられてライヒアルトも広間に視線を巡らす。
 広間の床は内壁と同じように緑に覆われている。苔生したがらんどうの塔の中央には、太い柱が伸びていた。その柱じゅうに刻まれている魔術言語には、すっかり見慣れてしまった感さえある。
 広間には、それしかなかった。階段と、柱。緑に覆われた床と、草を食む羊たち。そして、内壁の一部に光差し込む細い扉がひとつ。
「よし、あれが出口らしいな。行こうぜ」
 扉の方向を顎で示してみせたジークムントに、ライヒアルトとリカルダは頷いた。傭兵の背を追い歩き出すと、相変わらず羊たちは警戒したような様子を返したが、例にもれず、じきに食事に戻った。
 この羊たちは、何をしてるんだろう。ここは羊たちの食事場になっているのだろうか。雨風もそれなりに凌げるし、彼等にとっては穴場なのかもしれない。――そんな事を考えながら辺りを見回していたライヒアルトは、部屋の中央の柱の傍でふっと足を止める。何か、見えた気がした。魔術言語がびっしりと刻まれたその柱に視線を巡らせていると、一瞬彼を追い抜きかけたリカルダが立ち止まる。
「アルトくん、どうしたの?」
 よそ見して、と肩を竦める彼女に、ライヒアルトは柱に触れる。
「リカの杖とか上の石版にあったみたいな珠があった気がしたんだ。……あ、これだ。これ、魔力を込めるための装置につけるものなの?」
 ひたりと冷たい柱の中、ライヒアルトの目線の高さほどに嵌められた珠。その珠にそっと手を触れながら訊ねると、リカルダもそれを見上げて小首を傾げた。
「それ、魔力を増幅させる力があったと思うの。……ね、アルトくん。もしかして、それ光ってない?」
「んー、そうだね。どこかから光が差し込んでるのかな」
「でも、これ魔法を使ってる時の光に似てるわ。……そういえば、上の階の石版も柱のところにあったし、この柱は魔力を増幅させる力があるのかもしれないね。すごい装置だわ」
 リカルダの目線ではろくに見えないだろうに、背伸びして覗き込む彼女がなんだか微笑ましく思えて、とりあえずライヒアルトは片手でぺちりとリカルダの額を叩いてみた。当然睨み付けられた。笑って誤魔化す。彼女は背が低く、ちょうど手の行きやすい位置に頭があるのでつい悪戯心をそそられてしまう。そう思うのは仕方ない、とひとり頷くライヒアルトのみぞおちのあたりにリカルダの杖が食い込んだ。痛かった。
「アルトくん質問した割に聞いてないよね……?」
「きき、聞いてるよ。ばっちり。この塔自体が転移装置として作られたのかもってことだよね。……こんな装置、誰が作ったんだろう」
 慌てて答えるライヒアルトに、彼女は半眼をくれる。ごまかされないんだから、と呟く彼女ににこりと笑う。一筋の汗が頬を流れた。
「……分からないけど、大戦が始まってから精霊に襲われるようになったとしたら、精霊の森を抜けるために人間たちが建てたっていう説がいちばん自然かもしれないわ。竜たちなら、空を飛んでいけばいいわけだし」
「確かにねー。でも、それならもっと世界中に普及しててもいいと思わない? これがあれば、人間だってもっと安全に移動出来るし。少なくとも俺は、こんな転移装置なんて聞いた事ないよ」
 ライヒアルトが訊き返すと、彼女は「そうだけど」と答えて口篭った。なんにせよ、推測でしか語る事は出来なそうだ。この問いの答えを知っているものは、この場所にはいない。
「でも、洞窟の方の祭壇は封印されてたわけだよね。何でだろ」
「そ、それも分からないけど……もしこれが人間のつくったものなら、敵対者に利用されちゃった、とかじゃないのかなあ。人間も楽に向こうに行けるけど、敵も簡単にこっちに来れるってなったら、大変でしょ。だったら、森で時間を稼げた方がいいわ」
 もっともだ、とライヒアルトは頷く。
「おい、アルト。何立ち止まってんだ」
 立ち止まり柱を眺めるライヒアルトたちに、既に扉の方まで辿り着いていたジークムントがやや不機嫌そうな声を上げた。
「あはは、ごめんって。今行くよ」傍らの少女を見下ろす。「……リカ、行こっか。長居しててもわかんないし」
「うん、そうだね。ジークさん、怒らせちゃうもんね」
 そだね、と笑うライヒアルトに、少女も僅かに肩を竦めて笑った。ふたりは身を翻し、柱に背を向けた。傭兵が仁王立ちで待っている。このままではどんどん機嫌が悪くなってしまう。
 そうして二人が歩き出したその時だった。
 背後から、石と石が擦れるような鈍く低い音が響いた。ごづごづごづ、と重い音。二人ははっとして振り返る。後方には柱しかない。
「……、ア、アルトくん、あれ」
 リカルダの細い指の先に、ライヒアルトは目をこらした。そこには、柱に嵌め込まれた珠。光を放っている。先程のほのかな光とはまるで違う、まばゆい光。ライヒアルトは目を見開いた。転移装置は、消えた筈なのに。込められた魔力が強くなるだなんて、一体?
 驚愕する彼の目の前で、ありもしなかった落とし扉が開いていくように、柱の一部が上部にせり上がっていく。茫然として眺める二人の視界にうつるもの、それは――
「にん……ぎょう?」
 ライヒアルトがぽつり呟く。開いた柱の中に、大柄な無機質な金属質の人形らしきものが、細長い四肢を狭い空間の中で折り畳むようにして眠っている。その錆び付いた鈍い金色の面に、まるで瞳のように嵌まる珠。うつろなそれに、思わず背筋がぞくりとする。
「……ねえ、アルトくん。逃げ、よ……なんだか、わたし、悪い予感がするわ」
 青ざめて一歩下がる少女。頷きかけるライヒアルトの視界の先で人形の瞳に灯る妖しい光。柱の珠と呼応するように徐々に光は強くなり、瞬間、柱の珠から光が消えた代わりに、その魔力を全て受け継いだように人形の瞳がひときわ眩く煌めいた。ぎぎぎ、と駆動するような音。錆び付いた金色の四肢が不快な音を立てて伸びる。腕が、脚が、ぎこちなく動く。
「――もしかして、リカ、これって」ライヒアルトは引き攣った笑いを浮かべ、少女の方を振り向く。「番人的な、あれ?」
 瞬間、がしゃりっ、という音が遠くで聞こえた。はっとして振り向く。音のした方――ジークムントの待つ扉から、先程まで差し込んでいた光が消失していた。閉ざされてしまったらしい。傭兵が困惑している。その扉の上部で、珠が煌めいた。塔が、人形の意志が、全てを逃がすまいとしているように。
 ライヒアルトは目を見開いた。罠だ。これは、訪れた外敵を閉じ込めて命を奪う為の、罠だ。まんまと、罠にかかってしまったのだ。
「アルト、小姑ッ! てめえら一体何したッ!?」
「な、何もしてない、してないよ!」
 狼狽したような声で怒鳴るジークムントにそう叫び返す間にも、人形はぎこちなく駆動を続ける。やがて、忘れていた動作を思い出したかのように、ぎい、と音を立てて立ち上がった。虚ろな瞳を妖しく煌めかせ、ゆらり、ぎい、ぎぎぎ、と、ライヒアルトらの方へ細い脚で踏み出す。たまらず、リカルダが悲鳴を上げる。
「ジーク、扉、閉まったの? 開かない!?」
「ッ、ちっと調べてみるが、おいアルト、そいつお前を狙ってんぞ! 剣出して応戦しろ、俺が行くまで持ち堪えろよッ!」
 ジークムントの声にはっとして人形を振り向くと、鈍い金色の腕。高々と振り上げられたそれが、今にも振り下ろされようとしている。リカルダが「い、いや……」と顔を強張らせて一歩後退りした。
「リカ、危ないッ!」
 すぐさま剣を抜き、少女の前に身を滑り込ませた。人形の振り下ろした腕を剣で弾きそのまま踏み込むが、その腕に押し返されてバランスを崩した。床についた右手を軸に体勢を立て直し、背後の少女を更に後ろに押しやる。思った以上に、力が強い。攻撃が、重い。くちびるを噛むライヒアルト。人形は虚ろな機械音をたてながら踏み出した。異様で不快な機械音に、たまらず叫び声を上げる。
「ジ、ジーク! ねえ! 出口は!? 開かないのッ!?」
「開かねぇッ!」遠くで傭兵が苛立ったように扉をがんっと殴りつける。「うんともすんとも動きゃしねえッ!」
「それじゃ、逃げられないってこと!?」
「ッ、畜生ッ! よくわかんねーがとりあえずそいつを倒しちまうしかねえってこったろーがッ! おいアルト、そっち行くまで圧し負けるんじゃねーぞッ!」
 男は背の大剣を鞘から抜きながら、走り出した。ライヒアルトは返事をする間もなく、振り下ろされた人形の腕を再び剣で防ぐ。がぎんっ、と金属の擦れる音。
 不意に、引き攣るようなメエエという鳴き声が響いた。はっとして辺りに視線を巡らす。羊の魔物が、出口を塞がれて憤慨するように蹄を鳴らす。いつの間にか、群れを解きゆらりとライヒアルトらを取り囲んでいた。人形と、羊のような魔物達とが、自分たちを狙っている。ライヒアルトは少女を背に庇い、じりっと一歩下がった。
「アル、ト、くん」
「……、リカ、危なくなったらすぐ逃げて。ね?」
 背後で少女がびくりと震えるのを感じた。
「わたし、護られているだけ、なんて」
 震える声が、ちいさくそう呟いた。それに応える間もなく、人形は再び腕を振り上げた。ライヒアルトはもう一度少女を背後に押しやると、剣で人形の腕を受けた。がぎんっ、と鳴る不快な金属音。弾く。追撃。遠くから羊の蹄。ああ、今度こそ駄目かもしれないとぼんやり考える。構えた剣の磨き上げられた面にうつる背後の少女が杖を握りしめてへたり込んでいるのを見て、慌ててかぶりを振った。諦めちゃ駄目だ。リカを、護らなきゃ。
 抱いた決意は、果たされるか、否か。状況は絶望的だった。