陽は既に落ちかけていた。
 まるで自分の足ではないみたい、とリカルダはふっと他人事のように考える。歩き続ける足に、鈍く重い疲労感。それでも道は続いていた。かもめの声。ざざあん、ざざあん、と寄せては返す波の音。ちらりと左方に目を遣ると、すぐ近くに海岸が見える。夕陽をうけて紅の光を浮かべた水面。美しいそれにも、見飽きてしまった。今はただ、立ち止まって眠ってしまいたかった。
「ねぇ、ジーク。まだつかないの?」
 しびれを切らして声を上げたライヒアルトの声にも疲労が滲んでいる。前を歩くジークムントは顔を上げ、刺すような夕陽から目を守るように手を翳し、眉間に皺を寄せたまま僅かに振り向いた。
「もうちっとで着くとは思うんだが。そう遠くは無い筈だぜ」
「に、しても、目印がないってのはきついなー……俺、もうへっとへと。休みたいくらい」
 ライヒアルトの情けない声。いつもは「わがまま言わないの」と言うリカルダも、何も言えなかった。完全に同意だった。休みたい。
「ここまで来た手前、野宿する訳にもいかねえだろうがよ。おう、きりきり歩け。……お」
 不意に傭兵のもらした声に、リカルダは顔を上げた。傭兵の正視する視線の先に目を凝らす。遠く遠くに、街の外壁のようなものが見える。少女は目を見開いた。あれが、きっと。
「旗が……見えねえか? 俺だけか?」
 傭兵の言葉に目を丸くする。目を凝らした先、外壁の上部にちいさな旗がひとつ、確かにはためいているように見えた。
「えっと、リヴェーラだっけ。そこの旗なんじゃないの?」
「馬鹿言うなよ。十年以上も前に滅んだ街だぜ。侵略する時っつうのは、大体その場所の抱くシンボルを破壊するもんだ。そんな旗が残ってるわけがねえ」
 小首を傾げて「そうなの?」と訊ねるライヒアルトに、傭兵は頷いた。暫く彼は視線を前に向けていたが、やがて頭を掻いた。
「ま、行ってみりゃ分かるだろうよ。……まさか、さっき見た有翼人の仲間達が根城にしてやがるんじゃねえだろうな」
「もー。疑いすぎだよ。大体、有翼人が地上にいるわけないよ」
 それもそうか、と傭兵は投げやりに返した。彼の声にも、疲労が滲む。どちらかというと考える事を放棄したような響きだった。
 リカルダは先程の有翼人の少女について思いを巡らす。白い肌。銀髪に、翡翠の瞳。繊細な硝子細工のように美しい少女だった。
 有翼人というものの存在についてライヒアルトに教えてもらった事があったのをふと思い出す。遥か天上の都市で女神と共に住まう翼ある者達だったと記憶している。彼らは天使と呼ばれ、畏怖されていた。地上に下りてくることはせず、物語の中で彼らが現れる時はいつも、女神の神託を人間に下す時だけだった。けれど先程の少女はまるきり人間族の少女と変わらないように思えた。その背の、一対の美しい翼を除いては。
 アルトくんはああ言ったけれど、とリカルダはくちびるを噛む。有翼人は確かに海都リヴェーラの方角へ飛び去っていった。有翼人が人間とさほど変わらない姿をしていたことが、リカルダにとっては逆に不安だった。有翼人は、物語の中の生き物ではなかった。もしかしたら、大戦の頃には竜族と一緒に人間を襲っていたかもしれない。それこそ傭兵の言ったように、海都で自分たちを待ち受けているかもしれないのだ。あの翼の少女に危害を与える意志がなくとも、もし人間を見付けたと彼女が仲間達に言えば、その仲間達が自分たちに襲い掛かるかもしれないのだ。
 旅立つ前も、旅立ってからも、御伽噺が現実に変わってゆく感覚が、リカルダは恐ろしくて仕方がなかった。どうして、アルトくんはあんなに楽天的でいられるんだろう。
「リカ、疲れたよね。……休む?」
 黙り込んだまま歩き続けていたリカルダを心配したのだろう、ライヒアルトが気遣わしげな視線で顔を覗き込んできた。はっとして、顔を上げる。また心配させてしまった。これでは立場が逆だ。
「だいじょうぶ。……もう少しなんだよね、がんばろうね」
 そう言って微笑むと、彼は気遣わしげな表情はそのままに頷いた。




「っだあ、ついたあああ……」
 朽ちて崩れかけた外壁に手をついて傭兵ジークムントが深く深く嘆息したのは、更に数刻が経過した後だった。魂ごと抜け出してしまいそうなその嘆息につられるように、ライヒアルトやリカルダも嘆息する。陽はすっかり落ちていた。灯りはなく、辺りは暗い。
 リカルダはふらふらと外壁に身を寄せると、そのままずるずるとへたり込み蹲る。声をあげる気力もわかなかった。
「リカ、歩ける? もう少しだよ。おんぶしよっか?」
 傍らに屈み込んだライヒアルトの気遣わしげな優しい声に、「あぅ」と呻き声を上げる。ぽん、と頭の上に載せられた大きな手。まるで彼が故郷の弟分たちによくしていたようなその仕草に、リカルダはのそりと顔を上げた。子ども扱いされているようで、嫌だった。
「歩ける、もん……子ども扱い、しないで」
「そういうわけじゃないってば。だって、リカ疲れてるんでしょ?」
「そんなの、アルトくんだっていっしょじゃない……」
 思わず飛び出した不貞腐れたような声音に、ライヒアルトが困ったように眉根を寄せた。ああ、これじゃまるでちびちゃんと一緒だ。
 やりとりを見ていたジークムントが、呆れたように腕組みをし、顎をしゃくった。
「ったく、体力つけろや、小姑。そんなんで旅についてこれんのか?」
「ジーク、そんな風に言わないの」
 屈み込んだままのライヒアルトが、少女を庇うように傭兵を振り仰いだ。傭兵は、けっ、とそっぽを向く。青年は、やれやれと僅かに肩を竦めて、少女に向き直った。優しく、にこりと笑う。
「体力なんて、これからいくらでもつけられるんだからさ。気にしちゃ駄目だよ。今日は疲れたよね。俺もへとへと」
「…………ごめんね。わたし、歩ける、から」
 杖を支えに立ち上がると、彼も頷き立ち上がった。リカルダは、その優しい笑顔から思わず目を逸らす。
 自分が情けなかった。この人はこんなに気のつくひとだったかしらと、目を逸らしたままリカルダは考える。いつもわたしを庇って護ってくれる。わたしは何をして彼を護るつもりでいたのだろう。塔で少し自信つきかけたというのに、急に音を立てて萎みはじめる。
 強くなりたかった。アルトくんにはわたしがいなきゃだめなんだからと、もう一度言えるくらいに。故郷で口にしていたその言葉は、今はとても遠く感じた。その言葉に、今は胸を張れそうになくて。
「……アルトくんの手を借りなくても、だいじょうぶ」
 呟くように言ったその言葉に、ライヒアルトの眉尻が下がった。




 遠い小鳥の歌声に、ふっと目をひらいた。が、窓辺からの日差しに思わずきゅっと目を閉じる。朝だ。
 藁敷きのベッドから身を起こす。まだ疲労感が強く、起きるのが億劫だった。さらりと流れる白金の長い髪を耳にかけ、少女は窓の外に目をやった。
 明るくなってから見てみれば、海都リヴェーラは十年以上前に崩壊した都市とは思えぬ様相だった。少なくとも今視線の届く範囲には瓦礫ひとつ見当たらない。路地の石畳はややがたついてはいたが、まるで最近補修が施されたようにさえ思える。そう聞かされていなければ、今にもそこかしこの建物から住民が起き出してくるのではないかという錯覚すら覚える。
 そうだ、アルトくんは起きているだろうか。多分、まだ寝ているだろうな。普段からねぼすけなのに、昨日はとても疲れてしまったのだ。寝ていたとしても起こさずにいようと心に決めて、リカルダは藁敷きの寝台から足を踏み出した。体を動かすのが辛い。
 養母のくれたちいさな櫛で、長い白金の髪を梳かした。女は身綺麗にしていなくてはならないものなのよ、と言っていた養母の声を思い出す。おばあちゃん、元気にしてるかな。ちびちゃんたち、おじいちゃんたちを困らせていないといいんだけど。
 立ち上がり、手早く着替えを済ませる。上着は羽織らずに、愛用の白いワンピースを腰巻で留める。久方ぶりに家の中で夜を越したせいか、やたらに故郷を思い出す。あのやさしい日々が懐かしい。
 もう、自分一人では戻る事も出来ない所まで来てしまった。リカルダは嘆息する。本音を言えば、故郷を離れて、寂しい。アルトくんがいなければ簡単に潰れていただろう。しかし、彼の存在に救われているということがなんだかとても情けなかった。
 昨夜適当に選び取ったその家は、どうやら一人暮らしの家だったらしい。ただひとつの寝室と、ただひとつのベッド。幼馴染も疲れていただろうに、そのベッドを彼女に譲ってくれたのだ。布団は汚れているからと自らのマントを敷いてくれた。申し訳なさから何度も断ったが、「俺もう寝たいし、それで勘弁してよ」と言われ、受け入れざるをえなくなってしまった。優しいにも程がある。
 リカルダはちいさくため息をつきながら寝室のドアを開けた。その先の食堂で、ごろりと転がって眠っているライヒアルトの姿。近くの壁際には、山吹色の傭兵が身をもたせかけて眠っていた。二人とも、こんな場所では体が休まらなかっただろうに。
 せめて、状況の悪い所でもよく休めるようにお布団が欲しい。荷物になるかもしれないけれど、これではそのうち体を壊してしまう。そう思いながら、ライヒアルトに借りたマントから埃を払い、持ち主である青年にそっとかけた。よく、休めますように。
休息出来る時に休息出来ねえ奴は、唯の足手まといなんだよ
 ふと、昨日傭兵に言い放たれた言葉が脳裏を過ぎる。リカルダは、小さくため息をついた。本当にその通りだわ、きちんと体調の管理はしておかなくちゃいけないのに。我慢しても、後々影響が出る。
 傭兵ジークムントに帝都で出会ってから、もう十日以上になるだろうか。何度夜を越えたのか、よく分からない。散々帝都で買い込んだ保存食ももう残り少なく、自分の作った保存食も昨日塔の中でとった休息の時に食べてしまった。早く、補給しなくちゃ。
 これまでの旅の道程の中に人里は無かった。街や村があると思って赴けば、あったのは、この海都と同じ、抜け殻のような建物の跡だけだった。故郷があんな風になったらと思うと、身震いがした。
 気付いていなかっただけで、大戦はしっかりと人間の世に爪痕を残し、そして今も続いている。故郷が平和だっただけなのだ。
 リカルダは腕組みした格好で眠る傭兵に視線を落とした。彼の経歴を、まだ聞いたことはない。きっとこの世の中で傭兵として世界を渡っていたジークムントは多くの惨状を目にしてきたのだろう。それを切り抜けられる強さを持つ彼が、力も無く弱気なリカルダに腹が立つのも無理はない。ちいさくため息をついて、抱えていた自分の上着をそっと傭兵にかけた。彼にもよく休んで欲しかった。
 態度も悪く、直ぐに不機嫌になってしまうところは本当に怖くて嫌だと思っていた。けれど、彼は決して悪い人ではない。出会ってからの短い時間でも、そのことは感じられた。
 自分にだけ冷たいこの人も、今はまだ毒づく程度で切り捨てるようなことはしてこなかった。あれでも、旅立ったばかりのひよっこであるリカルダを見守ってくれているのだろうか。けれど、ずっと甘えているわけにもいかない。認められたい。呆れられたくない。昨日の戦闘の最中、彼は確かに自分を認めてくれていたと感じた。それならば、自分も戦闘で役に立てるようにしなくちゃ。
 強くなりたい。しっかり、したい。そうでなくては、ライヒアルトに偉そうな顔なんて出来る訳が無い。
 頑張ろう、と少女は胸中で決意し、ひとり頷いた。




 滅びの海都リヴェーラ。
 仲間達が目を覚まさぬうちにひとり外へと足を踏み出したリカルダは、思わず感嘆のため息をもらした。突き抜けるようなあかるい碧い空と、白いやわらかな夏雲。白い石畳の続く路地を目で辿ると、丘をくだり円形の広場らしきものが見える。そこから四方に伸びた太い路地の傍に建物が立ち並んでいたのだろうが、今は瓦礫と化している家も少なくはない。それでも滅びる前は美しい街だったのだろうということが窺える。かもめの声と、波の音。白い路地と、遠くに横たわる透き通る海。海都リヴェーラは、美しい都市だった。
「でも……あんなに家が崩れてたなら、道にだって……」
 視線をあたりに這わせても、瓦礫が落ちている様子はない。遠くに望む広場にも、そこから伸びる路地にも、ない。誰か人の手が入ったのだろうか。とすれば、一体誰の?
 ふと、中央広場から上がる旗に目が留まった。これが昨日目にしたものだろうか、太陽を模したと思わしき図柄が描かれている。鮮やかな色をしているそれは、汚れた様子もない。
 ――不意に、ばさり、と音がした。路地に落ちる影。リカルダははっとして振り仰いだ。ゆれる向日葵色。ふわり舞う白い羽根。空の碧と白い翼が鮮やかなコントラストを描く。繊細な細工の少女は、その翡翠の目をはっと見開いた。ばさり、羽ばたく音。
「あなた、昨日の……」
 リカルダの遠慮がちな声に、翼の少女は慌てて身を翻した。
「ま、待って! 大丈夫だから……、は、話を聞いて!」
 慌てて上げた声に、翼の少女は中空でぴたりと止まる。そして、数秒間をおいて恐る恐る振り返った。リカルダが何もせずにじっと佇んでいるのを見、翼の少女はようやくその翼を羽ばたかせ、ふわり地に足を着けた。それでも僅かに怯えるようにその白い翼で身を隠している。おずおずとこちらを覗き見る少女。リカルダは努めてやわらかく笑ってみせた。話せば、きっと分かってくれる。この子に敵意はない。この子はきっと、怯えているだけだ。
 リカルダの浮かべた笑みに、翼の少女は身を竦ませたまま。
「……私を追ってきたの?」
「一晩の宿にどこか借りられないかと思って来ただけなの。あなたをどうこうするつもりじゃ、ないわ」
「だけど、あなたと一緒にいたオレンジのひとは、わたしを責めてた。待ちやがれって、言ってた……あなた、仲間なんでしょ?」
 オレンジのひとというのはジークムントのことらしい。思わず噴き出した。自分と同じだ、この子はあの傭兵を恐れている。
「ごめんなさい。あの人、ちょっと喧嘩っぱやいだけなの。わたしもいつも邪険にされてるの。わたしはあなたを責める気はないわ」
 大丈夫だから、と小首を傾げて笑ってみせる。少女の翼の守りが、すこし緩んだ。それでも、組み合わせた震える手はそのままで。
「……私は有翼人よ。人間は、私の事を怖がってたわ」
「だけど、こうやって普通に話せてるし、分からなくて怖いのはお互い様だわ。有翼人だってこと、あなたを責める理由にはならない」
 根気強くそう言い聞かせると、翼の少女は口籠った。戸惑うように視線を彷徨わせ、ちらりとこちらの顔を覗き見る。
「……わたしのこと、怖い?」
 訊ねる。翼の少女は、こくりと頷いた。思わず、微笑む。
「わたし、リカルダ。十八歳。目的があって、旅をしてるの。傷付けるつもりはないわ。……あなたは?」
 微笑み、そう自己紹介してみせるリカルダに、翼の少女はぽかんと口をあけ、こぼれ落ちそうに大きな翡翠の目を見開いた。
「じゅうはちなの!? うそ!?」
 飛び出してきた言葉に、思わず体勢を崩しそうになった。
「私、てっきりもっと小さい子かと思ってた! うそ!?」
「う、嘘じゃない……嘘じゃないけど……」
 浮かべた笑みが引き攣っているのを感じる。少女は本気で吃驚しているようだった。確かにわたしは小さいけれど。泣きたい。
「えっ!? えっ、ごめんね、な、な、泣かないで!? え、えっと、リ、リ、リカるっ」噛んだ。「リ、リカちゃん! ごめんね!?」
「なな、な、泣いてなんかないわ! だだ、大丈夫ったら!」
 慌てて目尻に浮かんだ涙を拭う。狼狽えて翼をぱたぱたと彷徨わせる翼の少女の瞳が、不安げに揺れている。思わず笑いそうになった。これではまるで、人間の少女と変わらない。
「……まさか他の種族の子に言われるとは思わなかったから、つい」
「う、ぅう、ごめんね。私、ジナイーダって言うの。十六歳」
「ジナイーダさんっていうのね。……よろしくね」
 微笑み手を差し出すと、ジナイーダと名乗った翼の少女はすこし目を丸くしたあと、ようやくふわりと微笑んだ。
「スヴェンたち以外の人間って初めて会ったけど、人間って悪いひとばっかりじゃないのね。よかったぁ」
 胸を撫で下ろした様子の翼の少女ジナイーダの言葉に、リカルダは「スヴェン?」と問い返す。彼女ははにかむように微笑んだ。
「リヴェーラの男の子なの。すごくいいひとなんだ」
 ジナイーダはくるりと身を翻し、羽ばたきふわりと舞い上がった。大通りの先の旗を指差してみせる。
「スヴェンたちと一緒にこの海都の為に働いてるの。私の朝のおしごと、あの広場の旗を上げることなんだ。あれが上がってる時は、海都に誰かいるよってこと。夜帰る時は下ろすの。活動のしるし」
 小首を傾げ「活動?」と問うと、ジナイーダは笑い再び地を踏む。
「そうなの。私達ね――」
「――おい小姑、そいつぁ昨日の女じゃねえのか」
 突然聞こえた声に、少女ふたりは弾かれたように振り向いた。
 視線の先に、山吹色の髪の傭兵。寝起きですこぶる機嫌の悪そうなジークムントその人が、すっかり支度を整えた様子で仁王立ちしていた。翼の少女が、びくりとして一瞬舞い上がる。
「ジ、ジークさん、この子、悪い子じゃ……!」
 弁解するも、彼は取り合わない。傭兵は大剣の柄に手を掛ける。
「んじゃあ、答えてもらおうか。何で昨日あそこにいたのかを、よ」
「だ、だって、それは、別に……」
 戸惑うように震えるジナイーダ。その時、石畳を踏む乾いた音がした。駆け付けたライヒアルトが、膝に手をつき、肩で呼吸を整えるやいなや顔を上げた。きっ、とその凛とした眼差し。
「……ジーク、だから、落ち着いてってば。だめだよ、剣なんて抜いたら怯えさせるだけだよ!」
「うるせぇ、お前は甘いんだよ!」傭兵は剣を引き抜き、翼の少女に向けて構えた。震える少女に、吠える。「さっさと答えやがれっていうんだ、この野郎!」
「私、は――!」
 ライヒアルトが震える翼の少女を庇うようにジークムントの前に飛び出した、その時だった。
 やにわに響く、石畳を駆ける複数の足音。その雑踏が近付き、止む。その場に居た全員が、足音の方を振り返った。
 数人の少年達だった。まだあどけない顔をした少年達の中から、日に焼け頬にそばかすを浮かべた少年が、その丸い目を怒りに釣り上げ、木の棒を振り上げた。
「ジナに何をしてるんだ!」
「スヴェン!」
 翼の少女が、慌ててその少年たちの傍に舞い降りる。
「……なんだ、てめえらは?」
「ジナに手を出すな、ジナを捕まえようとしてるんだろ!?」
「帰れ! さっさと出て行け!」
「だめよ、だめ、スヴェン、みんな、落ち着いて! ね!?」
 戸惑い仲裁する翼の少女ジナイーダ。木の棒を振り上げた少年たち。対峙するジークムント。リカルダは突然起こった争いの気配に、怯えるように両手を組み合わせた。ちらりライヒアルトに視線をやると、暫く目を見開いていた彼は、深く嘆息した。
 不意に幼馴染の青年が手を打ち鳴らす。ぱんっ、ぱんっ、と小気味よく路地に響く音に、リカルダだけではなく、その場に会した一同がびくりと身を震わせ、視線をライヒアルトに向けた。
「――とりあえず、みんな、落ち着こう。ジーク、武器しまって。君たちも。ちゃんと話、しよう。俺、何にもわからないまま戦いたくないよ?」
 彼は眉根を寄せた。端正な面に、僅かに怒りさえ浮かべている。その表情は、故郷の子どもたちを窘める時の顔にも似ていた。しかしそれよりも強い語調に、リカルダは心許ない不安にかられる。あんな顔は、見た事が無かった。アルトくんが、怒っている。
 ちらりと、視線を向けると、少年達は固まっていた。翼の少女も、怯えたように口篭っている。そして傭兵ジークムントでさえも、ライヒアルトの怒りの表所に驚き戸惑っている様子だった。
 ――一同は、気まずげにおずおずと武器を下ろす。青年が、ようやくほっとしたように笑ってみせた。