「なんだ、最初からそう言ってくれればよかったのに。俺はてっきり、人さらいかと思って」
 拍子抜けしたようにがくりと肩を落とした少年に、ライヒアルトは気まり悪げに「あはは、ごめんごめん」と頬を掻き、笑った。
 先程のあのひと悶着の後、ジークムントに代わって敵意が無い事をライヒアルトが根気強く説明すると、少年達はようやく警戒心を解いたようだった。ほっとして顔を見合わせた彼等も、決して争いを望んでいたわけでは無かったのだろう。腰を落ち着けて話す為に、一同は中央広場近くの建物まで舞台を移し、車座になっていた。
「俺はスヴェン。俺たち、リヴェーラの生き残りなんだ。みんなでこの海都を復興させようとしてる。――あなたたちは?」
 日に焼けたあどけない顔にそばかすを浮かべた人懐こそうな少年が、はにかむように笑い手を差し出す。すっかり警戒心を解いたらしい。ライヒアルトも握手に応じ、微笑みを浮かべてみせる。
「俺はライヒアルト=ローデンヴァルト。アルトでいいよ。で、こっちが仲間のリカルダ。と、ジークムント」
 ちらりと視線を送ると、リカルダがぺこりと頭を下げた。しかし、車座から外れて一人壁際に背を預けているジークムントは、ただ僅かに頷くに留まった。不機嫌そうに腕組みをしている彼の威圧感に、少年たちが怯えているのを肌で感じ、ライヒアルトは軽く肩を竦める。ひとしきり威圧感を放った後、ジークムントは口をひらいた。
「――でだ。俺が聞きたいのは、あの塔が何なのか、そして、その有翼人の女についてだ」
「塔?」スヴェンが、不思議そうに首を傾げた。「……アルトさん達は、あの塔に行ったんですか?」
 問う少年に、ライヒアルトは頷いてみせ、塔の中で何があったのかを語って聞かせた。スヴェンは胡坐をかいた足に肘を置き、やや前屈みになって「うーん」と呻る。
「……あの塔は、俺たちの生まれる前からあの場所にあるんです。それで、親父たちも、あの場所には近付くなって昔から言ってました。だから、俺たちはよく知らないんです」
「そっか、まあ、そうだよね……」
 ふむ、とライヒアルトは顎に手をやる。自分たちも、故郷では自分たちの住む森の中のことくらいしか知らなかった。大戦の世で、大人たちが子どもたちを危険に晒さぬようにしていたのは何処も同じらしい。しかし、それではあの塔は何なのだろう。
 押し黙った一同の中、一人の少年がおずおずと挙手した。
「あの塔は大戦の始まるずっとずっと前からあるんだって。そこに手が加えられたのは、大戦が始まる少し前くらいなんだって。うちのジイちゃん言ってた」
「大戦の始まる前?」ライヒアルトは目を丸くした。大戦のはじまりを知る手掛かりになるかもしれない。「詳しく聞かせてくれる?」
 しかし、その少年は首を横に振り、困ったように頭を掻いた。
「ぼくも聞いたんだけど、ジイちゃんが知ってるのはそれだけだってさ。急に物々しい雰囲気になって、五十年近く前に、怪しい連中が詰めるようになったんだって。で、何年も毎日その怪しい連中が塔の上から何かを見張ってたらしいよ。海都が襲撃された頃には、もう誰もいなかったらしいけど」
 興味深そうに話を聞く一同。スヴェンも頷きながら口を出す。
「魔物を見張ってたのかもしれないよなあ。リヴェーラが滅んだのも、もしかしたらそこで監視しなくなったから……とか?」
「でも、なんで止めたんだよ? それに、今は魔物がいるぜ」
「そりゃ、誰もいなくなれば棲みつく奴もいるだろ。なんで監視を止めたかなんてわかんないけど」
 各々思い思いに言葉を交わす少年達。だが、明確な結論は得られそうになかった。結局、後は想像するしかないらしい。
 ライヒアルトはちらりと右方の壁際にいるジークムントに目線を遣る。彼はその視線に気付くと、翼の少女を顎で示してみせた。代わりに訊けと言っているらしい。確かに散々威圧感をまき散らした彼が口を開くよりも、自分が訊いた方が話は早い。ライヒアルトは翼の少女に向き直った。
「……それで、えっと……」
 そういえば翼の少女の名前を訊いていなかった。口篭ったライヒアルトを見てすぐに察したらしい傍らのリカルダの「ジナイーダさんだよ」と口添えに、ありがと、と頷く。よく気の付く子だなと内心感心しつつ、今一度翼の少女に顔を向けた。翼の少女ジナイーダは僅かにびくりとして、救いを求めるように隣のスヴェンをちらり見る。その視線に気付いた少年が頷きを返すと、再びおずおずと視線をライヒアルトに戻した。
「……ジナイーダさんは、どうしてあの塔に?」
「深い意味は無かったの。ただ、私、あの塔から景色を見るのが好きだったから」少女は肩を縮こめ、僅かに怯えるように言う。「昨日は雨だったし、あの、……綺麗な虹が見えるんじゃないかと思って」
「虹ィ……?」
 突如割り込んできた低い声に、少女はびくりと震え、おずおずと左方の壁際に背を預ける傭兵ジークムントに視線をやる。傭兵は眉根に深い皺を寄せ、呆れたような顔で片眉を跳ね上げている。凶悪な表情と表現して差し支えないだろう。怯えて黙り込む一同に代わって、ライヒアルトが汗を一筋頬に垂らしつつ、制するように両手を上げた。「ジーク、その顔、怖い怖い」
「うるせえよ、自前だ。ほっとけ」傭兵は腕組みし、嘆息する。「ったく。……そんな浮かれた理由で来てたっつうのかよ。じゃあ、何で塔の扉が閉まったんだ」
「それ、は、私にも……塔の中のことは、何も……」
 怯えたように翼に身を僅かに隠しながら、ジナイーダはちいさな声で返した。彼女は何も知らないらしい。ライヒアルトは頷き、傭兵の方を振り向いた。
「やっぱり、きっと外敵を上に通さない為の仕掛けだったんだよ」そして、頬を掻く。「……ねえ、こんなところでいいでしょ?」
「…………まあ、その件はどうでもいいとして、だ。俺が本当に訊きたいのは、なんで有翼人が此処に居るかっつうことだ」
 ジークムントは天井を仰ぎ、不機嫌そうな低音で返した。ジナイーダが徐々に翼に隠れていく。怯えている。そんな彼女の代わりに、スヴェンが困ったように鼻を掻いて答えた。
「ジナは、翼を怪我して天都に戻れなくなったんだ。それを俺が見つけて、それから一緒に行動してるだけなんだ。それだけです」
「もう怪我治ってんじゃねえかよ。それでもまだ此処にいるっつうことは、人間の動向を探る間諜なんじゃねえのか」忌まわしいものを見るかのような傭兵の眼差しに、ジナイーダが目を見開いて俯く。その大きな翡翠の瞳に涙がじわり滲んだ。それでも彼は言葉を続ける。「泣きゃあ逃げられると思ってるんなら、――大間違いだぜ」
「ジークさん、何もそんな風に……」
 思わず口を挟んだリカルダに、ジークムントは凄むように、きっ、と鋭い視線を飛ばした。少女は怯み、口籠る。
「うるせえ小姑。……お前も同じだろうが。この弱虫が」
 少女が怯え竦む。震えを抑えるように、彼女は両手をきゅっと組み合わせた。しかし、勇気を振り絞るように彼女顔を上げる。
「……、ジナイーダさんは何もしていないのに。話を聞かなきゃ、何も、分からないわ……怒っても、何も、解決出来ないのに」
「……あ? ンだよ。甘っちょろいこと言ってんじゃねえぞ。こいつが極悪人だったとしても話し合えばなんとかなるとでも言うつもりか。お前にゃ対処する術もねえくせに。役に立たねえくせに言うことだけはいっちょまえじゃねえかよ、あぁ?」
 吐き棄てるような傭兵の言葉。彼のグレーの瞳は、ひどく冷たかった。蔑むようないろさえ浮かべるそれに、リカルダがくちびるを噛んだ。傷付いたように俯く彼女の白金の髪が、さらり流れ落ちた。しかし、傭兵はその冷え切った声で続ける。
「大体女っつうもんはうるせえんだよ。ああしろこうしろ、ぴいぴいとよ。自分の事は棚に上げて、自分勝手な本音を綺麗に綺麗に飾り立てて、ええ自分は正しいですよっつう顔しやがる。気に食わねえんだよ。気持ち悪ィ。その汚え本音を抉り出して並べて晒してやりてえ。お前もどうせ綺麗ごと並べて悦に入ってるクチなんだろうが。こうやって責めたてりゃ、挙句の果てにうじうじおどおどめそめそしやがる。――めんどくせえんだよッ」
 徐々に強まる語調。吐き棄てた低い声に、しん、と静まり返った集会所。遠くかもめの鳴き声が響く。誰も動かない。
「……そんな、こと、……わた、し」
 沈黙のおりる中、幼馴染の少女の震える声。
 流石に、捨て置けなかった。彼女の言うことに間違いはないように思える。ジークムントの言葉は、これではただの八つ当たりだ。
「……ジーク、言い過ぎだよ。どうしてそういう風に怒鳴るの?」
 自分の声にしては低い調子に、自分でもすこし驚く。傭兵も同じだったらしい。ジークムントは僅かに目を見開くと、決まり悪げに視線を脇に逸らした。答えない。不機嫌そうに腕を組み、口許を真一文字に結んだまま。ライヒアルトはなおも続けた。
「リカの言うとおりだ。怒鳴っても、相手は怖がるだけだ。ちゃんと話し合いになんてならないよ。本当に訊きたいんだったら、決め付けて怒鳴りつけちゃ駄目だ。大事なのはちゃんとお互いの言葉に耳を傾けることだって、うちのばあちゃんが言ってたよ」
「……知るかよ」
 不貞腐れたような顔は変わらない。ライヒアルトは、真っ直ぐに傭兵を見据えたままかぶりを振った。
「……ジーク、君は俺の言葉は聞いてくれたよね。だったら」
 言葉の終わらぬうちに、がたりっ、と乱暴な音を立て、傭兵はやにわに立ち上がった。びくりとする一同に背を向けた男は、不機嫌そうに乱暴な足音を立てて出口へと向かう。そして、外へと続く扉の前で立ち止まり、扉を開けた。振り向きもせず、告げる。
「…………ちょっくら、出てくるわ。後は好きにしろや」
「ジーク、」
 なおも続けようとするライヒアルトの言葉は、ばたんと閉じた扉の音に遮られて消えた。乱暴な音の残響が、残された沈黙を際立たせる。押し黙る一同と、響く陽気なかもめの声。海風が揺らす窓辺のベルが、からん、からんと響いた。
 ――その痛いほどに引き攣る静寂は、暫くの間続いた。
 ややあって。
「ああぁぁあもうなにあの人マジ怖えぇッ!?」
「アルトさん本当にあの人と旅してるの!?」
「う、うーん……」
 ふっと、緊張の糸が切れたように、少年達がざわめきだした。助かったとでも言わんばかりの心底から捻りだされた裏声交じりの呻きに、ライヒアルトは困ったように笑って頬を掻く。確かにジークムントの威圧感は尋常ではない。その反応も無理からぬことだった。
 傍らのリカルダに視線を落とす。俯いたままの少女の表情は見えない。ふっと視線を上げると、前方でスヴェンも隣に座る翼の少女ジナイーダを慰めていた。そちらの少女の方はその翡翠の瞳から大粒の涙をぽろぽろと零し、必死に涙を拭っている。相当ショックだったのだろう。しかし、あちらの方は、スヴェンに任せておけば大丈夫そうだ。青年は改めて傍らの少女の方を振り向く。
「……リカ」
 少年達の喧騒の中、少女は口をひらかない。翼の少女のように泣きもしない。表情を隠すように、ただ俯いている。何の声も上げずに震える彼女。――それが余計に、心配になる。
「リカ、気にしちゃ駄目だよ。ジーク、素直じゃないだけだから」
「…………素直じゃない、って、でも、……心の中で思ってなくちゃ、あんなこと、言わないわ。わたしのこと、やっぱり、嫌ってる。鬱陶しいって思ってるんだわ。……わかってたもん」
 震える声。少年たちの喧騒にかき消されそうなほどにか細いそれに、ライヒアルトは困ったように口を噤む。せっかく、傭兵と少女の距離が縮まったと思っていたのに。これではまた逆戻りだ。
「アルトくん、どうして、ジークさん、怒るのかな……、わたし、何か、したかな……」
「リカは頑張ってるよ、……リカが落ち込む事じゃない」
「うそだよ。……わたし、使えないもの。だから、嫌いなんだわ」
 首をふるふると振る少女に、胸が痛んだ。あんなに頑張っていた。ひどい言葉をかけられても、健気に努力していた。「リカ。……リカがいなくちゃ、ここまで来れなかった。ジークだって、それをちゃんと分かってるよ。昨日だって、褒めてたでしょ?」
 少女は頷きも首を振りもしなかった。ただ、力無く僅かに俯いた。ライヒアルトは嘆息し、少女の頭を、ぽん、ぽんと軽く撫でる。彼女も、きっと考える時間が必要なのだ。今こう言ったからといってすぐにそれを飲みこめる程単純な話ではない。
 傭兵に言いたい事は山ほどあった。けれど、その前に謝らなくてはいけない相手がいる。ライヒアルトは面を上げた。そのまま、先程の事について騒がしく意見を交わし合う少年たちに向かってぎこちなく笑ってみせた。
「皆、本当にごめんね。……怖がらせちゃったね」
「ねぇ、アルトさん、本当にあの人仲間なの?」
「いつもはもっといい奴なんだよ。気が立ってるだけだと思う」
 ライヒアルトの答えに、少年たちが「えー!」と疑惑の声を上げる。仲間の傭兵は、チンピラか何かの類だと思われているらしい。だが、先程の様子を見れば無理もない、ライヒアルトは力無く笑いを返す他なかった。
「ジナイーダさんも、本当にごめん。君を疑うつもりも、責めるつもりも俺達には全くなかったんだ」
「……はい、……アルトさんも、リカちゃんも、優しいから、……大丈夫。です」
 翼の少女は鈴の音のように震える声でそう言い、気遣わしげにちらりとリカルダの方を見やった。同じように怒鳴りつけられていた少女の事を、この翼の少女も不憫に思ったのだろう。しかし、リカルダは顔を上げなかった。
 暫く集会所の騒がしさは止まなかったが、暫くして、ジナイーダを慰め終えたスヴェンが立ち上がり、ぱん、ぱんと手を打ち鳴らす。静まり返る一同に、スヴェンは努めて明るい声を上げた。
「――さあ、もう気にしても仕方ない! せっかくアルトさんとリカルダさんが来てくれたんだ、歓迎の宴をしよう、みんな!」
 少年たちが、ざわりとした。さざめきのように囁き合う小さな声が渡る。スヴェンは大きく頷き、両手を広げた。
「まあ、大したものは用意出来ないけどさ。さっきの話だと、アルトさんたちもだいぶ疲れてるだろうし。料理出して、みんなで食べて、歓迎の伝統行事しよう。海都は滅んでも、俺たちがいる限りどんな小さくてもここはリヴェーラなんだ!」
「ええー、アレするのー!?」
「でも、宴って楽しそうだな、いいじゃん、やろうぜ!」
 やにわに賑やかさを取り戻した一同に、ライヒアルトは胸を撫で下ろした。ジークムントの残した居心地の悪い静寂の痕跡は、跡形も無い。傍らの少女を除いては。――ライヒアルトは頬を掻いた。
「ありがとう。……でも、復興途中なんでしょ? 俺達の為にそんな、なんか申し訳ないよ」
「気にしないでください。俺達も、たまにはこういうことやらないと腐っちゃいますよ。な、みんな、楽しくやろう!」
 申し訳なさげなライヒアルトに、スヴェンは明るく返した。拳を振り上げてかけた号令に、少年たちが「おう!」と口々に返す。その表情は、一様に明るい。
「アルトさん、リカルダさん。日が暮れはじめたら、またここに来てください。それまで一度戻って、準備!」
「おう!」
 スヴェンの号令のもと、少年たちは次々に立ち上がった。そして、警戒するように扉から外を窺う。傭兵がまだ付近に居る事を恐れたのだろうか、暫く確認した後に少年たちは意気揚々と出て行った。まるでちょっとした魔物扱いである。ライヒアルトは苦笑した。
 ――残されたのは、ライヒアルトとリカルダ、そして翼の少女だけだった。ジナイーダは気遣わしげに、俯いたままの少女の傍にしゃがみ込む。
「リカちゃん、元気出して?」
 ジナイーダの声に、リカルダはようやっと僅かに顔を上げた。僅かに瞳は潤んでいるが、涙は出ていない。堪えているのか人前で涙が出ないのかは分からないが、リカルダは力無い眼差しで僅かに眼前の少女に視線を向けた。その若草色の瞳は、不安定に揺れる。ジナイーダは、痛ましい様子の少女に眉尻を下げた。
「リカちゃんが落ち込んでると、アルトさんが困っちゃうよ」そして、自身もまだ赤い目をしているにも関わらず、向日葵のように笑う。「……ね、今日はいっぱい食べて、お喋りしましょう? リカちゃんのふるさとの話、聞きたいな」
「……ジナイーダ、さん」
「だめ。ジナって呼んで。長いでしょ」
 ふわりと笑う翼の少女。リカルダの若草色の瞳が揺れた。そしてゆっくりと俯き、顔を覆う。震える声は、泣いているのか、否か。
「ごめんね……、心配かけて、ごめんね……弱くて、ごめんね……」
「謝っちゃダメ。こういうとき、ありがとうって言うんだよ」少女はふわりと笑い、立ち上がった。翼を広げ、くるり回る。「スヴェンがね、前に私に言ってくれたの!」
 リカルダは一瞬口篭る。そして、ようやく笑ってみせた。
「うん……ありがとう、ジナちゃん。……夜、楽しみにしてるね」
 ジナイーダはふふっと笑った。ライヒアルトも胸を撫で下ろして微笑む。翼の少女の気遣いが、有難かった。きっと自分の言葉より、翼の少女の言葉はリカルダに届いたのだろう。彼女の力になれない歯痒さは確かにあった。けれど、それでも彼女が落ち込んでいるより、ずっといい。
 陽は既に高く昇っている。
 先程まで張り詰めていた空気が嘘のように、集会所にようやく穏やかな空気が戻ったように思えた。