落ちる陽が地平線の境界をぼんやり照らすのみになった頃、その陽に代わってたゆたう水面を照らすように月が冴える。時は、夜へと移り変わる頃。
 ざわざわと篝火に揺れる長い無数の影。ライヒアルトらを歓迎する宴には、朝に出会ったスヴェン率いる少年たちや翼の少女の他にも何人もの少年少女が加わっていた。入り江の岬の宴は始まったばかりだった。煌々と燃え上がる緋色の篝火が、パチパチと止まぬ音を立てながら薄青い宵闇に踊る。篝火を囲むように、ラタン編みの敷物の上に色とりどりの大きな貝殻を皿にして食べ物がたっぷりと盛り重ねられていた。焼き魚や新鮮な野菜のサラダ、スープなどが見受けられる。それほど珍しいものはないにせよ、篝火を取り囲むようにしてめいめい楽しむ少年少女達の喧騒も相俟って、宴の様子は一層目に賑やかに映った。
 ライヒアルトは不思議そうに首を傾げる。先程見た覚えのない者たちも加わっていたためだ。傍らに座っていたスヴェンに訊ねると、復興計画には参加していない海都生き残りの少年少女にも声をかけたのだと言う。皆退屈しているから、と少年スヴェンはそのあどけない顔に嫌みのない爽やかな笑みを浮かべて、快活な声で答えた。彼はそのまま、ふむ、と考え込むようにちらりと目だけで天を仰ぐ。
「そういえば、料理に夢中で肝心のアルトさん達を紹介してなかったな。――おーい、皆、注目!」
 ぱんっ、ぱんっ、と少年の叩く手の音に、料理に夢中になっていた少年少女達の目が集まった。スヴェンはその場に勢いよく立ち上がり、「アルトさんたちも!」と促してくる。戸惑うように僅かに肩を竦めるも、少年の笑顔から無言の圧力を感じて渋々立ち上がる。
 立ち上がると、僅かに少女達の歓声が上がった。その声に戸惑いながら、ライヒアルトは傍らにお行儀よく座る幼馴染の少女リカルダに視線を落とした。紹介されるのは自分だけでは無い筈だ。しかし、リカルダは全力でぶんぶんと首を振り、ライヒアルトから目を背けた。紹介されるのが恥ずかしいらしい。うう、俺も嫌なのに。
「海都に珍しくお客さんが来てくれたんだ。アルトさんと、リカルダさん。……えっと、じゃ、アルトさん、ご挨拶お願いします!」
「え、お、俺? 挨拶するの?」頬を掻く。「えーっと……俺はライヒアルト=ローデンヴァルト。今日は、皆さんもてなしてくれてありがとう」
 篝火に集う少女達が何事か囁き合うのを視界の隅に留めながら、ライヒアルトは落ち着かない様子で傍らの少女を足で軽くつつく。リカばっかりずるい。しかし間髪入れず脛を叩き返され、呻いた。この人波に一人で立ち向かわなくてはならないのは些か辛い。物怖じしない方ではあるが、あまり大勢を相手にしたことはないのだ。
「そういえば聞いてなかったけど、アルトさんはどうして旅を?」
 訊ねるスヴェンに、ライヒアルトはこれまでの経緯を説明した。大戦について知る為に旅を始めたこと、魔法剣を探していること。
「――俺の本当の故郷も、襲撃されてここと同じように滅んだらしいんだ。それで今の育て親に引き取られたんだけど、その家の近くにも襲撃があってね。あぁ、これはまずいぞって」
 語るライヒアルトに、少年少女達は頷く。見れば、翼の少女も熱心に耳を傾けていた。青年は続ける。
「戦いを終わらせられるとは思わないけど、その足掛かりだけでも見つけられたらなって思ってさ。……そういえば、スヴェン達はどうして復興を始めようと思ったの?」
 話を振られて、少年は僅かに目を見開いた。少し考え込む。
「……うーん、と。まあ、簡単に言うと、あんな洞窟の中で一生を終えたくなかったんです。――リヴェーラはいつも俺たちと共にある。俺たちのいる場所こそ、リヴェーラだ。だけど、敵の目から逃れてあんな小さな洞窟の中にいるのは、すごくつまらなかったんだ」
 照れたように笑い、少年は頬を掻いた。そして、さっと少年達を指し示すように右手を差し出した。
「俺たちの愛する海を臨むリヴェーラに、親父やお袋を連れて、もう一度住みたい。理由なんて、それだけです。……それに賛同してくれたのが、皆なんだ。暇つぶしみたいなもんですけどね。それでも、子供の俺たちでも出来る事はあるんだ。俺たちはリヴェーラを、俺たちの手に取り戻す。それが、俺の夢なんです」
 いいぞ、スヴェン、と少年たちの間から歓声が上がる。翼の少女ジナイーダも、すぐ近くで嬉しそうに小さく手を叩いた。スヴェンは調子に乗ったように、拳をもう片方の手でぱしっと受け止め、オリーブ色の瞳を輝かせる。炎を宿した瞳は、希望さえ宿したように。
「そりゃ、元通りとはいかないですよ。家も燃えちまったし、瓦礫だらけ。何も無いです。親父たちも、途方に暮れちまってる。毎日ぼやいて、お袋を困らせる。リヴェーラに戻りたい、戻りたいって言いながら、でも何もしない」
 彼の演説を聴き入る少年少女の瞳にも、炎が踊る。ライヒアルトもリカルダも、同じように聴き入る。まるで熱に浮かされたように。
「――だけど、俺たち、生きてるから。何も無くなっちまったなら、またそこから始めたらいい。親父たちはたくさんのものを失った。でも、俺たちは何も持ってない。俺たちは後ろを振り向かずに歩ける、若さっていう力がある。何かを始めるのはきっと、俺たちみたいな若い連中の仕事なんだ! なあ、皆、そう思わないかい?」
 聴き入っていた少年たちが、そうだ、そうだと腕を突き上げて歓声を上げた。スヴェンの熱っぽい声に負けない、熱気のある空気が場を取り巻く。ライヒアルトも思わず、手を叩いた。それに気付いたスヴェンが、やめてください、と照れたように頭を掻く。
「いつかまた、そう遠くない未来に……俺の両親も、みんなの親も、みんなみんな、海と一緒に暮らせるように。俺、頑張りますよ!」
 熱っぽいスヴェンの言葉に、割れんばかりの拍手喝采。ライヒアルトは熱に浮かされたように、波音にも似たその音を聴いていた。
 ――この少年が志す道は、恐らく自分と似ている。ただ脅かされているということに飽いて、新しい道を踏み出そうとしている。若さに任せて、行動を起こそうとしている。自分よりももっと年若いこの少年の作り上げた渦は、海都リヴェーラの子どもたちの心に確かに響いていた。自分だけじゃない。新しい世界を求める希望の芽が、此処にある。
 ライヒアルトは伏せていた顔を上げ、目を細めて笑った。そして、手を差し出す。
「それじゃあ、リヴェーラが生まれ変わったら、俺はまた絶対遊びに来るよ。また歓迎してくれる?」
「もちろん、任せてくださいよ!」
 スヴェンは差し出された手を両手で握り、ぶんぶんと振り回した。笑いが、さざめく。
「俺も頑張るよ。俺たちにしか出来ない何かが、きっとあるから」
「そうですよ!」
 力強い言葉に、ライヒアルトは嬉しげに目を細め、笑ってみせた。




 夜も更ける頃、それでも篝火はやまない。篝火を僅かに離れたちいさな岬の先端で、少年たちの声が賑やかにさざめく。
 ライヒアルトの姿は無い。少年達に囲まれて岬の方へ引っ張られて行ってしまった。取り残されたリカルダは、貝殻の皿に残された料理をさらい、一つの皿にまとめていた。
 やにわに、ばさり、ばさりと羽ばたく音。その音にはよく覚えがある。リカルダは髪を掬いながら、天を仰いだ。
「リカちゃん、ここにいた」ふわりと地に足を着け、翼の少女ジナイーダは向日葵の笑みを浮かべる。「てっきりアルトさんと一緒に男の子たちの方に行ってるんだと思ってた」
「えへへ……、……わたし、人見知りするから、あんまり人の多いところ得意じゃなくて」
 少し気まずげに小首を傾げてみせるリカルダに、翼の少女は一瞬きょとんとしたように口を噤んだ。大きな翡翠の瞳が見開かれたが、暫くするとその表情を解き、興味津々といった様子ですとんとしゃがみ込み、リカルダの手元を眺め、何をしてるの、と訊ねた。
「皆食べ終わったみたいだし、ジークさんの分をとっておこうかなー、って。食べてないと思うし」
「あの怖いひとのぶん?」
 ジークムントの名に、翼の少女は恐れるようにその細い体を震わせた。警戒するようにばさりと翼を広げる少女はまるで鳥のようで。有翼人という存在であるという不思議さと、ただの人間と変わらないその様子に不思議な気持ちを抱きながら、リカルダは口許に手を当てて小首を傾げ、笑った。
「ごめんね、ジークさん怖いよねぇ」
「ね、怖いよね! 私、殺されるかと思っちゃった」
 ふるふると頭を震わせる翼の少女に、リカルダは思わず噴き出す。確かに彼は剣幕だけで人を殺せそうな程の迫力がある。その気持ちはよく分かった。聞いていたら彼は怒るだろうな。
「きっとジナちゃんみたいな子が珍しかったから余計反応しちゃったんだわ」
「……そうだよね、私に驚かない方が珍しいんだよね」少女は広げていた翼をふぁさりと畳む。リカルダの傍に座り込み、膝を立てた。僅かに肩を竦めて、膝の上で手を持て余し気味に遊ばせる。「海都の大人たちも、私のこと嫌がってるの。天より来たるもの、竜の使いだ、不幸を呼ぶぞーっ、て。さっきの怖いひとと一緒」
「そうなの? でも、スヴェンさん達はジナちゃんをちゃんと守ってくれてるよね?」
「……、スヴェンは、やさしいから」
 ふと、零れ落ちそうな大きな翡翠の瞳が愁いを帯びる。それはまるで、熱に浮かされたように夢見心地で。ジナイーダは、立てた膝を抱くようにして、そこにぽふりと顔を埋めた。ちらりと視線だけは篝火の方へ。ぼうっと彼女の瞳に移り気な炎がゆれる。
「……私ね、翼を怪我して地上に留まらなくちゃいけなくなった時、本当はすごく怖かったの。私、人間も、他の種族も、世界に散らばる駒みたいに思ってた。だって、天都の皆は、地上の民達は皆愚かでちっぽけな存在だって言ってたから」
 彼女はちいさく人差し指を立て、内緒だよ、と唇に当ててみせた。
「私の故郷は、安息の地だって言われていたの。全てが満ち足りて手の中にある。もう求める事もない。求める中で誰かと争う事もない、完全なる安息を約束された地。――それが、私の故郷。幸せな世界。……そう、言われて育ってきたの。私もそう信じてた」
 遠い喧噪と翼の少女の昔語りを夢見心地に聞きながら、リカルダは無言でただ頷きを返す。夜闇の中で、炎に照らされたジナイーダの繊細な睫毛が瞬きの度に上下する。夢見るような遠い眼差しは、先程までの快活な様子とはうってかわって見えた。
「……そんな天都の暮らしは幸せだったはずなの。満ち足りてたはずなのに、気が付いたら、私、海を見に来ていたの。海を見て、陸を辿って、賑やかな人間達の街を空から眺めてたんだ。大通りの市場にたくさんお店が並んで人がたくさんたくさんいるのよ。それを見てると、とてもわくわくしたの。ああ、あんな風に賑やかな街を歩くのは楽しそうだなって。いいなぁって思ったの」そして、目を伏せる。「――その後、そんな風に思った自分は悪い子だって思ってた。最低な子だって思ってたの。……何でかわかる?」
 翼の少女は顔を膝に埋めたまま、ちらりと顔を傍らのリカルダの方に向けて、僅かに悪戯気な笑みを浮かべた。唐突な当てものごっこに、リカルダは分からずそろりと首を横に振る。翼の少女は、ふふっと笑って顔を篝火の方に戻した。
「《欲は罪悪》――なのよ」
 その言葉に、リカルダは首を傾げた。少女は、ふふっと笑う。
「有翼人にとって、何かを望む事は悪徳だったの。だって、世界は満ち足りていて、そのおかげで争いが無いのよ。何かを望んだら平穏は全てこわれてしまうわ。……そう言われて育ってきたから、私は自分のした事が本当に罪深い事だって思ってた。それなのにどうしても、胸が騒ぐのを止められなくって。……あのね、翼を怪我した時も、私、昨日リカちゃんたちがいた北の塔に居たの。それでね、緑の大地を歩いてみたくって、地上に下りて。その時に、スヴェンと出会ったの。もう、本当にびっくりしちゃった。塔の周りで人と会ったのなんて、初めてだったから」
 ジナイーダは笑って、目を伏せる。驚いて逃げようとしたが風にあおられて転倒して翼を傷めたのだと語り、自嘲気味に笑った。
「もう、どうしようかと思った。怖い怖い人間の前で、転んで怪我して、逃げられないの。その時ね、初めて私は自分を呪ったの。ああ、だから余計な事を望まないで天都に居ればよかったんだって。これはその報いなんだって」
 でもね、と囁きながら少女はそっとまぶたをひらいた。夢見るように細められたその目と、微笑みをうかべた唇。頬に差す朱は決して炎だけではなく。
「慌ててスヴェンが走ってきてね。私無理して飛んで逃げようとして、でも上手く飛べなかったの。それで慌ててたらね、スヴェンに怒られちゃった。無理したら、もう二度と飛べなくなるかもしれないんだから、無理しちゃ駄目だーって怒るの。……あんな風に一生懸命な顔で怒られるの、初めてだったなぁ」
 リカルダは、やっと少女の瞳に宿る夢見るような熱っぽい眼差しが何であるかに気付いた。この少女はきっと――
「……ジナちゃん、スヴェンさんのこと大好きなんだね」
 ふふっと笑って小首を傾げてみせると、ジナイーダは目を見開いてぴくりと僅かに身を起こした。暫くそうしていたが、やがてこくり頷き、微笑む。少女は顔を再び膝に埋めた。
「……誰かを、好きに、なることもね。私、悪い事だって思ってた。でもスヴェンが笑ってくれるのを見てたら、だめだったの。胸がきゅうってなって、苦しかった。それは悪い事だって知ってるのに、傍を離れたくないって思っちゃった」
 ずっと苦しかったなぁ、と少女は笑う。リカルダは掛ける言葉が浮かばぬまま、うん、うん、とただ頷く。語る少女のその想いに、共感できる想いを抱いたことはない。リカルダはずっと家族と共に育ち、村の大人たちに可愛がられ、穏やかな日々を過ごしていた。その日々の中に、誰かに焦がれ胸を痛めるような経験は無かった。それでも、本で読んだ淡い恋物語に惹かれなかったといえば嘘になる。その恋物語の中の乙女と、目の前の少女の姿はよく似ていた。
「どうして何も望まなければ穏やかに暮らせるのに何かを望もうとするの、望む事は怖くないの、って聞いたの。そしたらスヴェン、なんて答えたと思う?」
 首を傾げたリカルダに、ジナイーダはくすくすと笑った。
「何かを望むのに理由はいるのかい、ジナ?」スヴェンの真似らしい。そう言って、少女はまた笑う。「――私を匿うのも、海都を復興させるのも、理由はないんだって。そうしたくなっただけだよって。スヴェンの言うことは、いつもまっすぐ」
嫌だって思い続けるのは――嫌だよ
 少女の言葉に、ふとリカルダは懐かしい言葉を思い出す。まだほんの十日程前のこと。故郷で、幼馴染が口にした言葉。何の穢れもなく、真っ直ぐな眼差し。養母の言葉を借りるならば、心の灯火の示す道を真っ直ぐに見つめるひと。
「スヴェンさんって、アルトくんに似てる」リカルダはくすくすと笑った。「アルトくんもおんなじようなこと言うの。俺は知りたいんだ、って。嫌だって思いながら生きてるだけなんて嫌だよ、って」
 へええ、と僅かに面を上げて、ジナイーダがその翡翠の瞳をきらめかせた。にこにこと意味ありげに微笑む少女の笑顔の意図がいまいち掴めないまま、リカルダは小首を傾げる。
「リカちゃんも、」悪戯げな笑みを浮かべ、楽しそうに僅かに身を揺らすジナイーダ。「アルトさんのこと、大好きなんだねぇ」
 一瞬言葉が理解出来なかった。
 数秒笑顔を凍りつかせたまま考えた後に漸く言葉を理解したリカルダは、信じられないものを見るような目で、ぎぎぎ、とぎこちなく顔をジナイーダに向けた。少女は、ん、と花の咲くような笑顔を返してきた。
「なななななな何言ってるのジナちゃんっ!?」
「だって、アルトさんの事話してる時リカちゃんなんだか嬉しそうだったんだもん」
 頭に血が上る。ぽわりと熱くなる頬に、眩暈がする。とんでもない。このひと、とんでもないことを言い出した。
「アルトくんはただの幼馴染で、家族なの! アルトくんは手のかかる弟みたいなものなんだから、脱いだ服ひとつ片付けられなくて読書してるとお手伝いもしてくれないしいっつもりかーりかーって言って手がかかるしそれに無鉄砲で考えなしで!」
 混乱の余り、脇に転げておいた杖を手にして地面をがすがすと抉る。空になった貝殻の皿が勢いで割れた。ジナイーダの翼が怯えたようにへたりと力を無くし、表情が青ざめる。リカルダは夢中だった。なおも必死の形相で幼馴染をこき下ろす材料を探していた。流石にジナイーダが謝りだす。
「ごごごごめん、ごめん、じょじょ、冗談、冗談ッ!」
「なな、なんでそういうこというのッ、家族として好きだけどそういうんじゃないもん、好きが全部恋なわけじゃないんだからっ!!」
「りりりりかちゃんおちついてえええぇええぇ」
 呼吸も荒く顔を赤らめたリカルダに完全に怯えたジナイーダが、頭を抱えた。暫くリカルダは杖を握りしめたまま肩で息をしていたが、やがてはっとした表情になる。
「ごごごごめんなさいわたし! わたしったら! つい!」
「ううううん、いいよ? 大丈夫! ぜんぜん! ね!?」
 引き攣り笑いで怯える少女に、リカルダはううう、と呻いて頭を抱えた。耳が熱い。くらくらする。あの手のかかる幼馴染を異性として見たことなんて一度も無いのに、そういう風に言われてしまうと妙に恥ずかしい。別に意識した訳ではない。幼馴染がどうこうという話でもない。自分が恋などという単語と結びつけて考えられるのがとても嫌だった。居心地の悪いむず痒さに、リカルダはまた呻いた。妙に胃が痛い。
「わ、わたしは、……アルトくんのことそういう目で見た事ないし、多分これからもないと思うわ」
 翼の少女はまだ怯えたように腰の引けたまま、「ど、どうして?」と訊ねた。リカルダはふるふると首を横に振る。
「故郷の弟や妹と、おんなじなんだもん、アルトくん。手がかかるし、ふわふわしてて心配なの。護ってあげなくちゃとは思うけど、頼りたいなんて思えないし」
「でも、さっきのアルトさんを見る女の子たちの目見た? アルトさんかっこいいから、そわそわしてたよ」
「かっこいい……?」
 首を傾げるリカルダ。確かに少女たちがそわそわしている素振りは見えたが、それが何故かはいまいち掴めなかった。
「あんなにきれいな男の子この海都では見た事ないって、みんなそわそわしてたよ。声もあまーくて、おとぎ話の王子様みたいだって」
 おうじさま、とリカルダは半眼で繰り返した。どこの世界に、暇さえあれば昼寝をして部屋の隅に転がる王子様がいるというのだ。故郷ではあたたかな日差しさえあれば、いや無かったとしても気が付くと昼寝していた。いつも起こすのに苦労したものだった。そんな事があるから、未だに子どものように思えるのだ。顔立ちは整っているとは思うが幼い頃から見慣れた顔に今更何の感慨もわかない。
「みんな実態を知らないからそう思うんだわ。アルトくん、外面はすごくいいの。おうちでの姿見たら、きっと幻滅するわ」
「ええぇ、でもすごく優しかったよ?」
「確かに、アルトくんは優しいけど……」
 眉根を寄せる。この数日、誰よりも優しくしてくれたのは彼だった。しかし、優しくて恋愛感情を抱くならそれこそ村のおじさんにだって恋をする。そうならないということは、決定的な何か≠ェ違うのだ。恋するに至る何か。それを彼に見出したことは無いのだ。
「……だから、アルトくんはそういうんじゃないの! この話はおしまい!」
「えええー!? つまんないっ」
 翼の少女は不満げに唇を窄めた。リカルダはやれやれと肩を竦める。これ以上何を言っても平行線になる。
「それより、男の子たちは何してるの? 岬の方でわいわいしてるけど」
「確か海都伝統のアレ≠やるって……あああああっ」
 岬に視線を向けた翼の少女が、驚いて翼をふぁさりと広げた。岬から影がひとつ、ぽうんと海に投げ出された。続いて、ざばあんと飛沫の上がる音。
 助けなきゃ、と狼狽えて思わず立ち上がった少女たちの視線の先、海の中からざばりと少年が顔を出した。岬の上で少年たちの歓声が上がる。少女たちは胸を撫で下ろした。リカルダは訊ねる。
「もしかして、あれが伝統のアレ=H」 
「うーん、そうなのかなぁ。わかんない」ジナイーダはかぶりを振る。そして、あっと声を上げて、岬を指差した。「あれ、アルトさんじゃない?」
 目を凝らすと、他の少年達よりもすらりと背の高い影。その影がすっと手を上げ、そのまま岬から身を投げた。リカルダは息を呑んだが、あっさりと幼馴染らしき影は水面から顔を出した。少女は安堵にため息をつく。
「もう、アルトくんたら、あんな年下の男の子たちに混じって……」
 僅かに肩を竦めて、呆れたように手を腰に当てた。いくつになっても、子どもと変わりない。あのままじゃ、風邪を引いてしまう。後先考えずにこんなことばかりして、本当に子どもみたいだ。この青年を、どう恋愛感情で好きになれと言うのだ。
「お洋服濡れちゃうじゃない、乾かさなくちゃ」
「ふふふ、リカちゃんお母さんみたい」
「ちがうの、アルトくんが子どもなだけ」
 笑う少女に、リカルダは嘆息する。
 宴の夜が更けはじめても、喧騒は続く。
 リカルダは肩を竦めながらライヒアルトの着替えを探した。
 ずぶ濡れの王子様が、風邪を引いてしまわないように。