「え、うそ。送ってくれるの?」
「ちょうどハルドまで買い付けに行こうと思ってたとこだったし」
 少年はそのあどけない顔に満面の笑みを浮かべ、快活な声で請け負った。
 ――続いた宴の夜も、次第に人がばらけはじめ、静かに終わっていった。岬から海へと飛び込んだライヒアルトをリカルダが叱りつけるというひと悶着もあったが、無事に各々は帰宅の途に就き、ライヒアルトらも集会所に身を寄せて夜を明かしたのだった。
 結局ジークムントは気まずさの為か姿を現さなかったが、心配する事も無いだろう。ライヒアルトらよりも数多く経験を積んでいる傭兵である、危険に巻き込まれたとは考えられない。
 送迎を申し出たスヴェンは、既に二頭の馬に引かせた幌馬車を集会所の外につけていた。ぶるる、と鳴きながら前肢で石畳を掻く馬を、傍らの翼の少女ジナイーダが撫でる。
「あ、でも、アイゼンシュタットでしたっけ。ハルドからだと少し離れてますけど、ハルドで大丈夫ですか?」
 問うスヴェンに、ライヒアルトは「うーん」と呻って首を傾げた。困ったような視線がリカルダに向けられる。傭兵がいないのに勝手に進路を決めるのは忍びないと思ったのだろうが、リカルダにも答えようがない。唇をへの字に曲げ、杖をきゅっと両手で握りしめながら首をことりと傾げてみせた。勝手に判断したらまた何か言われてしまいそうだ。
「――ああ、それでいい。助かるぜ」
 不意に聴こえた重低音に、一同は声の主を振り返り、目を見開く。
「ジーク!」
 貝殻の皿を片手に仁王立ちするがたいのいい山吹色の頭の傭兵。不貞腐れた風にも見える顔をしていた男は、ライヒアルトが上げた声に「よう」とにやり不敵な笑みを返した。スヴェンが身構える。
「おっと、少年。昨日は悪かったな、ちいと気が立ってたんだよ。おい、そこの羽根の嬢ちゃんも隠れなくていい」ジナイーダがびくりとする。「素性は気になる所だが、害を与える気はないらしいのはよく分かったからな、許しといてやるよ」
「ジーク、許しといてやるよーじゃなくて、ごめんなさい、でしょ?」
 呆れたように僅かにその整った眉を寄せ、幼馴染のライヒアルトはやわらかなテノールの声をやや低くしてそう窘める。ジークムントは顎をしゃくり、かっかっと笑う。
「へいへい、悪かったよ。――あんな下らねぇ話でわーきゃー盛り上がれるんだからよ、女っつうのは人間も有翼人も変わんねえらしいな。単純な生き物だ」
 男の言葉に一瞬むっとする。昨日あんな風に謝ってたのに、またそんなことを言って。――しかし、男が片手に持つ貝殻の皿から骨付き肉を口に放り込むのを見、目を丸くした。
「ジークさん、それ……」
「あぁ、お前が取り分けといたんだろうがよ」貝殻の皿を示し、男は不敵に笑ってみせた。「所帯染みてるよな。ま、有難く頂くが」
「わ、わたしが取り分けたって、どうして知ってるんですか?」
「あぁ、あの時近くにいたのよ。気付かなかったのか?」
 え、と引き攣った声を思わず上げる。自分の表情が強張るのが分かった。ぎこちなく、翼の少女に視線を向ける。翼の少女もそのちいさな両手で己の頬を包み込み、ぎこちなくリカルダに視線を返す。まさか、その、くだらない話というのは。
「散々怖いとか殺されるとか言ってくれやがってよ」
 少女ふたりがびくりとした。ライヒアルトとスヴェンが、状況を飲みこめない様子で少女たちとジークムントとに視線を彷徨わせる。
「その上、惚れたはれたの」
「っきゃああぁぁああぁあああぁぁぁああぁあぁっっ!?」
「おわッ!?」
 翼の少女の絶叫が傭兵の言葉を掻き消した。男たちはびくりとする。傭兵が、手にしていた皿をがらんと取り落した。翼の少女の顔は熟した林檎のように紅い。もの言いたげな、しかし言葉も見つからないままの様子でぱくぱくとしている口許も、救いを求めるように彷徨う翡翠の瞳も、彼女の戸惑いを示している。リカルダも思わず口をぽかんと開けた。聞いてた。聞いてた。このひと、聞いてた。
「――っんだよ、うるっせえんだよこれだから女はッ! きいきい言うんじゃねえッ!」両手で耳を抑えてジークムントが喚く。「料理落としちまったじゃねーか、このやろうがッ」
「だだだだだだだってえぇええっっ!!」
 ジナイーダは、勢いよくしゃがみ込んだ。向日葵いろの着衣が、ふわり。翼に身を隠し、少女は小さく呻き始めた。ジナイーダがスヴェンへの想いを語ったあの言葉も、アルトくんが好きだのなんだのいう話になったのも、全部聞かれていた。そういう事らしい。あんな浮ついた話を、よりにもよってこのひとに。遅まきながら、リカルダも顔を赤らめた。ぽうっとして、熱い。
「ジ、ジナ、どうしたんだ? 何かあったのかい?」
「なななななんでもないのスヴェンなんでもないのっっ!」
 近寄るスヴェンに、ジナイーダの翼の守りが固くなる。まるでただの羽毛の塊である。戸惑うスヴェン。少女の悲鳴に、馬が警戒したようにぶるると鳴いた。ライヒアルトも、困ったように頬を掻く。
「えーっと……リカ、どういうこと?」
「何でもないの! アルトくんも知らなくていいの! アルトくんのばかっ!」
 杖をライヒアルトに突き付ける。ライヒアルトは両手を前に上げて降伏の構えで「えー……」と呻いた。二の句は継がせない。
「ったくよ、だからめんどくせぇんだよ、ちくしょう……」
 不機嫌そうに後ろ頭を掻く傭兵。口調こそ不機嫌そうだが、昨日ほどの底暗い苛立ちは感じなかった。彼は気を取り直したように、慌てふためくリカルダたちからスヴェンの方へと視線をうつす。
「――ところで少年、ハルドまで送ってくれるっつうのは本当か?」
「え、あ。ああ……そうですね、幌馬車で良ければ」
「おう、上等だ。恩に着る」
 ジークムントはにやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。どこか凄味のあるその笑みにはまだ慣れぬ様子で、少年は僅かにたじろぐ。
 傭兵はライヒアルトに向かって、顎をしゃくってみせた。
「おい、アルト。アイゼンシュタットに行くのは変わらねえが、その前にハルド王国に寄るぞ。ハルドは知ってるか?」
 ライヒアルトは首を横に振り、「ううん、知らない」と答える。
 話が変わった事に安堵しながら、まだ熱い頬を無視してリカルダは荷物から地図を取り出した。しかしすぐさま傭兵に奪い取られ、あ、と口を丸くする。傭兵はそれを露ほども意に介さず地図を開くと、地図を指し示してとんとんと軽く叩いた。釈然としない。
「おい、見てな。此処がリヴェーラだ。で――」西大陸の右端を指す。そのまますっと左に指を滑らせ、山の麓で指を止めた。「ここが、アイゼンシュタットだ。だが、今此処に直行しても食糧が足りねぇ。万全を期すために、一旦その南のハルドに寄るぞ。いいな」
「うーん、ジークがそれで行くっていうんなら俺はいいけど。リカは? 良い?」
「う、うん。わたしも旅のことは詳しくないから、アルトくんやジークさんに任せるわ」
 こくりと頷くと、ジークムントは「よし」と満足げに頷いた。
「えーと、じゃあ、ハルドまでで大丈夫ですね? ――ジナは? もう行けそう?」
 スヴェンの問いかけに、道端で羽毛の塊と化していたジナイーダの翼の守りがゆるゆると解け、頬を手で覆ったままの少女が顔を出した。少女はこくこくと頷き、また頭を垂れた。まだ顔が赤い。
「何かの役に立つのか、こいつ」
「そういう言い方はやめてください」スヴェンはむっとしたように言い、それから後ろ頭を掻いた。「ジナは俺が遠出する時に空から周辺の様子を見ててくれるんですよ。例えば魔物の群れがいそうなときとかは、道を逸れたり出来るんです。助かってるんですよ」
「ほう。そりゃ、悪くねえな」
 スヴェンの褒め言葉に、翼の少女の顔がぽっと赤くなった。リカルダは目を細めてそれを眺める。微笑ましいくらい分かりやすい。
 ジークムントはぱしりと手を叩いた。にやりと笑う。
「――さあて、出立と行こうか。頼むぜぇ、少年!」
「任せてくださいよ!」
 傭兵の言葉に、スヴェンは胸を叩いてみせた。




 馬車は進む。
 海都を経って一日と数刻。今日も一段と爽やかな青空だった。
 がたん、ごとんと揺れる馬車の音。既に波の音は遥か遠く、続く緑の大地の上を馬車はゆく。その緑の大地からすっかり人間の往来の無くなったことが如実に感じられる。足場も悪く、時折がたん、がたんと大きく馬車は揺れる。開けた大地も、人の営みが消えると共に森に侵食されつつあるように見えた。
 既に二日目を迎えた幌馬車の中、ジークムントは藁をベッド代わりに眠っており、幼馴染の少女リカルダは幌の外から入る光を頼りに養母から授かった呪文書に目を通している。話す相手がいない。ライヒアルトは、御者席のスヴェンの方へ近づいた。
「そういえば、スヴェンはハルドに何しに行くの? 買い付けって言ってたけど」
「あぁ、資材とかですよ。あとは、ハルドで俺の伯父さんが商店やってるので、少し香辛料とかも分けて貰いに」
 へえ、と頷く。彼はそれからも身の上話をしてくれた。スヴェンが幼い頃にリヴェーラは滅び、その生き残りたちは海辺の洞窟に暮らしているのだということ。スヴェンの父もかつては商人としてハルドや海都を行き来していたということ。この幌馬車はその頃のもので、馬は農耕馬を買い付け用に借りているということ。
「馬車、あると便利だろうねー。……そういえば、ハルドってどんなところなの? ききそびれたけど」
「あぁ、賑やかな所ですよ。何でも風の精霊に護られてるとかで、平和に過ごしてるそうですよ」
「風の精霊? 精霊が護ってくれてるんだ?」
 スヴェンは頷いてみせた。精霊と言われて浮かぶのは、帝都レーベを襲撃していたあの小人のような姿しか浮かばない。人間を護っているだなんて、そんなことがあるのだろうか。
「親父はそう言ってました。でも、最近城下のまわりに魔物が増えた気がするって伯父さんが言ってたし、今の世の中ちょっとわかりませんね」
 そっか、とライヒアルトは頷く。まだ、自分の知らない形が世界には無数にあるのだろう。自分の世界はまだ狭い。これから知りゆくであろうものに不安を抱く反面、やはり希望の方が大きかった。
 ――不意に、「あっ」とリカルダが小さな声を上げた。ライヒアルトは幌の中を振り向く。
「アルトくん見て、あれ」
 ライヒアルトは四つん這いの形でリカルダの傍まで移動した。少女の指し示す方に目を遣る。流れていく景色の中、木々の隙間から建物の残骸のようなものが見えた。すべてが崩れ果てている様子のその中で、鐘楼のようなものだけがひっそりと取り残されている。
「――村の跡、かな」
 当然ながら、人々の影は無い。吹く風が梢を揺らす。鐘楼の鐘が、からん、ともの悲しい音を立てた。
 馬車はゆく。徐々に遠ざかっていくその残骸。きっとこの村も、故郷近くのメーディス村と同じように木々に囲まれた穏やかな村だったのだろう。人の営みの気配も消えうせた村は、僅かに緑に侵食されているように見えた。やがて、鐘楼も緑に蝕まれて消えてゆくのだろう。からん、からんと風にあそぶ孤独な鐘の音。確かに存在を示すその音も、暫くして完全に聴こえなくなった。馬車はゆく。
「わたし、ずっと森の中だったから、こんなもの悲しい世界を想像したことなんてなかったの」
 リカルダは遠く過ぎ去った鐘楼をぼんやりと眺めている。
「こんなに大地は広いのに、さっきから過ぎていくのは廃墟だけだわ。ひとの気配なんて、ひとつもない。本当に、わたしは生きてるのかなって思っちゃう。……なんだか、現実味がないわ」
「俺も、変な感じだよ」
 景色を見渡す。抜けるような碧い空と、緑。それだけだ。がらんどうの世界。どこか物寂しく思えるのは、自分も同じだ。
「……穴倉や、村が、あんな風になるの、……いやだな。そうやって、人間が世界から消えてくって思ったら、わたし……」
 少女は僅かに視線を落とした。想像してしまったのだろう、慣れ親しんで愛した故郷から人が消えて、残骸になってしまうのを。
「そうならない為に、俺は何かしたいんだ」
「……できるかな」
「出来ないって言ったら、何も出来ないよ」ライヒアルトは笑ってみせた。「ね。やってみよう?」
 少女はじっと視線を落としたまま、暫く何も言わなかった。
 暫くして、膝に乗せていた呪文書を、ぱたりと閉じた。そして、ふわりと笑う。
「出来るとこまでがんばろっか。わたし、お手伝いするわ。アルトくんがやってみる≠フをお手伝いする。一緒に、やってみよ」
「うんうん、そんなかんじ。そんな感じで行こう。ね?」
「もう、アルトくんったら、適当なんだから」
 ふふ、と笑うリカルダ。ライヒアルトも笑ってみせた。
 大丈夫、灯火は消えない。ライヒアルトはそっと胸元に手を当てる。俺の心の中で、俺の見たい世界が呼び声を上げてる。進むための力は、この胸の中にある。
 スヴェンの演説と、あの熱気を思い出す。ライヒアルトは心を打たれていた。新しい時代を望む若芽が、ここにもいる。そして、きっと他の所にも。みんなで力を合わせたら、きっと何かが出来る。そんな予感に、胸が躍る。
「――アルトさん、リカルダさん、陽が落ちるまでにはハルドに着くと思いますよー」
 御者席から、スヴェンの声。ライヒアルトが「疲れたらいつでも休憩しながら行こう、スヴェン」と声を掛けるが、スヴェンは「まだまだ」と笑う。

 確かにここに根付く希望の芽。
 何とはなしに嬉しくなる。ライヒアルトは揺れる幌から足を投げ出し、からりと晴れた空を仰いだ。