「私はハルド王家第一の姫、第三王位継承権者。――アルベルティーナ・ウリカ=セーデルルンド」
 外套の裾をふわりつまんで、一礼。琥珀色の猫の瞳の少女は、転んで立てないそのままで精一杯上品にそう挨拶してみせた。傭兵ジークムントは、ぱんぱんとやる気無さげに手を叩く。
「ほれ、次」
 傭兵に挨拶を促され、ライヒアルトは慌ててその場に跪いた。王女が興味深げにじろじろとこちらを観察してくる。視線が痛い。
「俺はライヒアルト=ローデンヴァルトと言います。あの――」
 先程転んだ彼女が足を捻ったように思えたのは気のせいだったろうか。しかし、おずおずと顔を覗き込む彼の言葉を最後まで聞かず、王女はにこりと笑って手を打ち合わせた。
「ライヒアルト様っておっしゃるの? すてきね。ジークムント様はちょっと怖いけど、あなたはとっても優しそうでいらっしゃるわ」
「おい、姫さん。俺がなんだって?」
 ジークムントが眉間に皺を寄せて王女に凄む。ああ、ジーク、王女様にまでその物言いなんだ、と内心思うライヒアルトをよそに、アルベルティーナも応戦するように仔猫の瞳で傭兵を睨む。
「まあ、そうやってすぐにむっとしておしまいになる。だから怖がられてしまうのだわ。お年を召す頃には、きっともう皺がついて戻らなくなってしまっていると思うわ」王女は自らの眉間に人差し指を当て、くっと軽く上げてみせた。そして、にこり笑う。「でも、大丈夫よ。アルベルティーナ、ジークムント様がお優しいこと、ちゃあんと知っているもの」
 へいへい、と毒づき、傭兵は不貞腐れたように黙り込んだ。そんな彼を見、満足そうにふふんと笑った王女は、そのまま顔をくるりとリカルダに向け、「あなたは?」と小首を傾げた。
「わ、わたしはリカルダ=ロサスといいます」急に矛先を向けられ、
戸惑ったように少女は名乗った。ややあって、おずおずと王女の傍にぺたりと屈み込む。「さっき……、足を挫いていませんでしたか?」
「まあ。よくご存知ね」王女は目を丸くして、素直に頷く。「そう、足をくじいてしまったの。立てないわ。困っていたの。気付いてくれるなんて、ジークムント様のお友達なのにお優しいのね。」
 しれっとそう答える王女に、傭兵が顔を顰めた。
「ったく、ひでえ言い様だな。――おい、小姑。看てやんな」
「は、はいっ」
 リカルダは杖を握り、この数日間で聞き慣れた治癒魔法を詠唱した。杖の先からにじんだ光輝が王女を包む。数秒して、王女はそのまますくっと立ち上がった。そして、足の動きを確かめるとその場でくるりまわり踊る。ジークムントに牙を剥いていた姿はまるでいたずらな仔猫を思わせたが、今の様子は愛らしい小鳥のようで。彼女は嬉しそうにぱちりと手を合わせると、にっこりと微笑んだ。
「まあ、ありがとう、リカルダ様。すっかり大丈夫みたい」
「いえ、あの、お役にたてたようなら……よかった」
 リカルダも立ち上がり、僅かに照れくさそうに杖を抱きしめて微笑んだ。それも束の間、王女の表情がふと真顔になった。おや、と思い眺めていると、興味津々と言った様子でその琥珀いろの瞳がまるくなる。王女の突然の表情の変化に、リカルダがふと怯えたように杖をきゅっと握りしめた。王女は意に介さず、ふうん、と声をもらしながらリカルダの周りをくるりとまわると、にこり微笑んだ。
「まあ、リカルダ様はとってもちいさいのね。お年は? アルベルティーナよりも上なの?」
 噴き出す傭兵。衝撃を受けたようにぽかんと口をあけるリカルダ。ライヒアルトの胸中でちいさな警鐘が鳴る。背の低さも童顔も、リカルダがまともに気にしている事だった。ライヒアルトも時折からかったりはするが、それが冗談であることは彼女も経験で分かっている。彼女が一番嫌うのは、赤の他人にそう言われることだった。そこには、信頼の情からくるふざけ合いを超えた、厳然たる事実しかないのだ。恐る恐る幼馴染の少女の顔を覗き見ると、引き攣った笑いまま、「じゅうはち、です……」と答えている。笑顔のアルベルティーナ。小柄な彼女も、リカルダよりも五センチは高いだろうか。
「お年が上なのに大変だわ。アルベルティーナは十五歳よ。アルベルティーナもちいさいけれど、リカルダ様は特別ね。そうだわ、この靴を履くとずいぶん大きくみえるの。リカルダ様もいかが?」
 王女は裾を持ち上げて、くるりと回ってみせた。背後の傭兵が堪え切れずに笑い始めた。リカルダはふるふる震えて黙り込んでいた。どうしよう。ライヒアルトは思案する。どう言ってみたら、彼女はそのショックから抜け出せるだろう。答えは出ない。口を噤んで困り果てているライヒアルトに、王女がことりと小首を傾げた。
「リカルダ様、黙ってしまったわ。ねえ、ライヒアルト様、アルベルティーナは何か失礼なことを言ったかしら?」
「うん、ちょっと、言っちゃいけなかったかなー……」
 あはは、とライヒアルトは困ったように笑った。




「とりあえず姫さんは城に送り届けるからな」
「ジークムント様は倦怠という名の病をご存知ないのだわ」
「知らん知らん」
 小鳥のように囀る王女は、むっと顔をしかめてくちびるを突き出す。傭兵は面倒臭げにひらひらと手を振って王女を追いやった。
 穏やかに風が吊り看板を揺らすハルド城下の大通りを抜けて、王城へ向かう石畳を歩く。王女は再びフードを目深に被り傭兵ジークムントの後ろを歩いていた。傭兵は振り返らず、歩みを揃えてやる様子さえ無い。彼の尊大さは身分に左右されるものでは無いらしい。
「ねえ、お城には寄らないの、ジークムント様? お父様が貴方の武勇伝を聞きたがっていたわ」
「別に大した話はねえよ。また何かあったら雇いな。俺は語り部じゃねえ」
「まあ。フレードリクお兄様もお会いしたがっていたのよ。ベルンハルドお兄様はそうでもないけれど」
「俺に用事はねえよ」
「つれないのね。アルベルティーナだって、もう少しくらいお話ししたかったわ。一体いつぶりだと思っているの?」
 傭兵はひらひらと手を振り取り合わない。傭兵に囀るのに飽きた様子の王女は、くるりと向きを変えてライヒアルトの顔を見上げた。見上げる琥珀の瞳は、仔猫によく似ている。
「ねえ、ジークムント様とはどういうご関係なの?」
「んー、ジークは俺が魔力剣を探す手伝いをしてくれてるんだ」
「まあ、それじゃアイゼンシュタットへ?」
「うん、一応はね。けど、ドワーフ族も探してるところだよ」
「ドワーフ族? 剣を探しているだけなのに、どうして?」
「鍛冶の腕が凄いらしいから、作ってもらえたらいいねって」
 王女は、ふうん、と頷くと少し考え込むように下を向く。そしてそのまま、呟くように口をひらく。
「ドワーフ族は決してひとの前に姿を現さないって聞くわ」
「うーん。そうらしいね」
 その問いに、ライヒアルトは頬を掻いた。ドワーフ族を本当に見付けられるかどうか、自信はなかった。成り行き任せに進んでいる感が否めない自覚はある。本当は、夢物語のようなその話に向かって自分が行動しているのは、すこし愚かしくも思っている。それでも、旅立ってからずっと予想外の出来事が続いているのだ。転移装置に、有翼人。滅んだ海都の若者たちに、街角で出会った王女。希望をかけてみるのもいいのではないかと思い始めている。誰に強要されたわけでも、急ぐ旅でもないのだ。やれるだけやってみても良いだろう。そんな楽観的な思いのままにこり笑ってみせると、王女も悪戯げに笑う。
「ずいぶん夢見がちなのね」
「よく言われるよ。ね」
 傍らの幼馴染の少女リカルダに向かって肩を竦めてみせると、彼女はただ半眼を返してきた。思わず、う、と口を噤む。無理もない。彼女はいつもライヒアルトに頭を悩ませていたのだ。察したように、アルベルティーナはくすくすと笑った。
「まあ、リカルダ様にずいぶん苦労をさせているのね。困ったさんだわ」そして、ふとその琥珀の瞳がライヒアルトの瞳を真っ直ぐに見据える。「でも素敵だわ。ひとは自分が知らない世界だから≠ニいう理由だけで、その世界を排除してしまうもの。知らなくても受け入れることのできるライヒアルト様みたいな方、アルベルティーナは好きよ」
 どこか含みのある響きに、ライヒアルトは一瞬、圧されたように口篭った。くちびるに軽く人差し指を当てて王女は笑い、くるりと身を翻した。そのままジークムントの傍までぱたぱたと駆ける。
「ライヒアルト様はアイヒベルガー団長によく似ていると思わない? ジークムント様もそう思うでしょう?」
「――あぁ、確かに似てるかもしれねえな」傭兵は肩越しに振り返り、ライヒアルトをしげしげと眺める。「よく考えりゃ、アイヒベルガーの奴も北方の出だったな。それに、剣の構えも似てるしよ。案外、兄弟かもな」
「アイヒ――ベルガー?」
 どこかで聞いたことのある響きだった。傭兵と王女が目を丸くしてこちらを見詰めているのを感じながらも、記憶の片隅を探すように視線を落とす。アイヒベルガー。どこか懐かしい響き。よく知っている気がするのに、思い出せない。ふと、脇腹を突かれて振り向く。傍らで、幼馴染の少女が戸惑うようにこちらを見上げている。
「アルトくん。……もしかして、ディートお兄ちゃんのこと?」
 その瞬間、すべての糸が繋がったような感覚。ディートマル。ディートマル=C=アイヒベルガー。アイヒベルガー団長。
 思わず目を見開く。思い出したその名に僅かに体が震えた。
 懐かしいひとの名。同郷の出の兄貴分。ライヒアルトに剣を教えてくれた、やさしい年上の幼馴染。
「ディート、兄ちゃん……を、知ってるの?」
「――おいおい、もしかして本当に兄弟なのかよ。……そうだ、思い出した。あの転移装置の洞窟でディートっつう名前出してたよな。俺ぁ、聞き覚えがあったんだ、その響きに」偶然を気味悪がるように、ぽり、と後ろ頭を掻いて傭兵は眉を顰めた。「……騎士家出身のディート。お前に剣を教えたそいつが、アイヒベルガーの奴で、お前の兄貴だってのかよ。くそ、偶然にも程があるだろ……」
「ディート兄ちゃんがこのハルドにいるの? 今、何してるの!?」
 もう随分前に手紙の途絶えた兄弟分の痕跡を、逃すわけにはいかなかった。ジークムントに掴みかかる勢いで問うライヒアルトに答えたのは、しかし彼ではなかった。
「――ハルド第三王位継承権者アルベルティーナ王女付の、ハルド王立第三騎士団長。……それが、ディートマル=C=アイヒベルガー」
 すらすらと答えた王女アルベルティーナの凛とした声に、ライヒアルトは一瞬、言葉を失った。




 ディートマル=C=アイヒベルガーは、静謐な霧の夜を思わせる深い紫苑いろのやさしい瞳が印象的な男だった。
 いつでもぴんと伸びた背中を、ライヒアルトは追っていた。呼べばいつも優雅ささえ感じさせる洗練された動きで穏やかに振り向き、どうした、アルト、と微笑む。十二も年上の、優しい兄弟分。
 《魔法使いの穴倉》にライヒアルトが引き取られた時、養父母と、少年がひとり。その少年はヴィッセン帝國帝都レーベの騎士家の生まれだった、と聞いた。幼かったライヒアルトの面倒をよく見、そして父母の死をきちんと伝えてくれたのも彼だった。そのことを知った時、もうこんな思いをしたくないと思った。もし穴倉が襲われたとしても護れるくらい強くなりたいと願った幼いライヒアルトに剣術を仕込んだのも、このやさしい兄だった。
「今の俺と同じくらいの年の頃に、兄ちゃんは家を出たんだ。血が繋がってなかったけど、それでも俺の大好きな兄ちゃんだった」
 語るライヒアルトに、王女は興味深げに小首を傾げた。
「アイヒベルガー団長はどうして旅に出ようと思われたの?」
「騎士になりたかったんだと思うよ。……旅立ってすぐは手紙をくれたけど、じきにそれもなくなっちゃったんだ。きっと、精霊の森を越えた先のハルドにいったからなんだ。……騎士団長、かぁ」
 ずっと消息の分からなかった兄貴分の存在が、近くにある。それはとても現実味がなかった。ふわふわと、どこか夢見心地に感じる。
 ハルド王立第三騎士団長。その肩書きは、ライヒアルトの知る兄貴分の名前と並べるには随分と厳めしく、反面、あの優雅で穏やかなディートマルには恐ろしいほどしっくりくるものだと感じた。
 ライヒアルトは、王女の琥珀の瞳を真っ直ぐに見据える。
「……会う事は、出来る? ディート兄ちゃんに」
「ごめんなさい、今は駄目」王女はあっさりと首を振ってみせた。「アイヒベルガー団長は今、南の関所の警護にあたっておいでよ」
「だけど、アルベルティーナ姫付の騎士団だって」
 食い下がるライヒアルトに、王女は今度はゆっくりと言い含めるように頭を横に振ってみせる。
「ハルド王立騎士団は交代でその任務に就くの。平和なハルドで、アルベルティーナの護衛の為に指揮官を国に縛り付けておくことは出来ない。他国の侵略の可能性のある関所に有象無象を配置しても意味がないの。そこに、指揮官がいなくては。……残念だけれど、団長にお会いになりたいのなら、あと十日は待っていただかなくてはならないわ」
 十五の少女から出てくる言葉とは思えない厳めしい単語をすらすらと述べる王女に、思わず俯く。
「そっ、か……」
 今会わなければ、またその消息が失われてしまいそうな気がした。くちびるを噛んだライヒアルトの肩を、ぱしり、と傭兵が叩く。
「何もアイヒベルガーは消え去ったわけじゃあ、ねえんだ。ハルドに来ればいるんだ。――それだけ分かってりゃあ、上等じゃねえか」
「……そうだね」そのまま、暫く口篭る。しかし、確かにその通りだ。地位のある人間が、どうして消え去ってしまうだなどと思ったのだろう。気を取り直し、顔を上げてにこりと笑う。「うん、そうだ。無事が分かっただけでも、上等だ」
「だけど、ジークさんまでディートお兄ちゃんのこと知ってるだなんて、びっくり。お兄ちゃん、すごい人なのね」
 感心したように頷くリカルダに傭兵は頷く。
「奴ほど騎士団長面した奴もいねえぜ。傭兵としてハルドに出入りしているうちに顔馴染みになったんだが、確かにアルトの剣の型はあいつに似てる。あの、無意味に綺麗な型がよ」
「まあ、アルベルティーナ、団長の剣捌きは好きよ。きれいだもの」
「かーっ、綺麗とかそういう問題じゃねえだろ。要は強さだ」
「あら、団長はお強いわ。フレードリクお兄様が憧れるくらい」
 わかったわかった、と手を振る傭兵。ライヒアルトは思わず笑う。
「まさか兄ちゃんが姫様付きの騎士団長になってるだなんてなー。まるっきり、英雄譚の世界みたい」
 それを聞いたアルベルティーナは、ふふ、と笑って人差し指をくちびるにあてた。
「アイヒベルガー団長……いえ、ディートマル様は優れた騎士様よ。物語に出てくる騎士様にだって引けを取らないわ」
「そんな気がするよ。兄ちゃん、英雄譚のひとつやふたつ、持っててもおかしくなさそうだもん」
「そうね。……ディートマル様が帰ってきたら、アルベルティーナ、ライヒアルト様たちのことをお話しておくわ。きっと喜ぶ筈よ」
「ありがとう、アルベルティーナ姫」
 ライヒアルトは笑って軽く会釈した。これでひとつ、故郷の養父母にいい土産話が出来た。きっと兄はとても立派になっているのだろう。無事だったことだけでも、嬉しかったのに。
 琥珀の瞳を悪戯げに輝かせる王女。ライヒアルトはふと、真顔になった。この少女は、王族だ。彼女ならば知っていることが、あるかもしれない。ライヒアルトは、懐から一通の書簡を取り出した。
「アルベルティーナ姫。……この紋章のこと、何か知ってる?」
 差し出したのは、帝都の古書店から譲り受けた珊瑚色の封筒。その封蝋に描かれた花にも似た紋様を示すと、アルベルティーナは小首を傾げて考え込んだ。
「……その書簡、どうなさったの? 確かに、見たことあるけれど」
「知ってるの!?」
「確か、西方の国の紋章よ。きれいな形だったからその紋章をよく覚えているの。ただ、それをきれいだと言ったらお父様に怒られてしまったけれど。こんな紋章の事は忘れなさいって」
 その答えに、ライヒアルトとリカルダは目を見合わせる。
「それも、ちいさな頃の話よ。よく覚えていないわ」
「……、じゃあ、《エヴァ》の召集って、何か知ってる?」
「《エヴァ》?」王女は目を見開き、暫く考え込むように口を噤んだ。「……いいえ、心当たりがないわ。ごめんなさい。許してくださる?」
 ことりと小首を傾げ、僅かに眉根を寄せる仔猫の瞳の少女。
「無理もないよ、五十年前の書簡なんだ。……ありがとう」
 ライヒアルトは笑った。それでもすっきりしない様子の顔で考え込んでいた王女だったが、やがて諦めたように顔を上げて笑った。
「また、遊びに来てくださる? その時までに、紋章のことも、エヴァのことも、きっと調べておくわ。――それに、アルベルティーナのお父様は、ヴィッセン帝國皇帝の実弟なの。今度来る時は、ディートマル様を訪ねるついでにお父様を訪ねてみるといいわ。きっと何かを知っているはずよ」
「王様って……、なんかこれもお伽噺みたいだね。お姫様に、王様。それに騎士様ときたら、俺はなんだろうね」
 笑うライヒアルトにつられたように、アルベルティーナは笑う。
「きっとライヒアルト様も、素敵な騎士様になれるわ。……きっと、また来てね。その時は、アルベルティーナが口添えしてあげる」
 くちびるに人差し指を当て、悪戯な仔猫はそう言って笑ってみせた。