「ジーク、こんな魔物が居るなんて聞いてないよッ!?」
「俺だって聞いてねえよッ! ッ畜生ぉッ!」
 がぎんっ、と蜥蜴頭の亜人の振り下ろす曲刀をジークムントは力任せに薙ぎ払う。亜人は刀身を逸らしてそれを受け流し、飛び退った。亜人の眼窩に嵌まった石のような瞳がぐるりと動く。その口許が、まるで笑うようにくわりと開いた。
「ああああああアルトくんっ!? 後ろ、後ろおぉっ!」
 悲鳴に近い少女リカルダの悲鳴に、ライヒアルトは咄嗟に振り向いた。眼前に迫る、灯火に似た白い光。
「うわあッ!?」
 慌てて身を落とし躱す。直後、背後で傭兵の慌てた悲鳴。
「――うおおぉおいアルトッ!! 避けてんじゃねえよ、お前の剣は飾りかッ! 戦えッ! 流せッ! この野郎ッ!!」
「ごご、ごめんってば!」
 ライヒアルトに迫っていた灯火に似た光――どうやら、精霊らしい――が、ジークムントの後方で揺れている。ライヒアルトが躱した事で、傭兵がとばっちりを受けたのだろう。怒号に肩を竦める。そうは言われても、咄嗟には動けなかった。
 ライヒアルトらを取り囲むように、いくつもの精霊が揺れ炭鉱の壁を照らす。ゆらゆら、ゆらゆら。まるで、笑うように。蜥蜴頭の亜人が、再び曲刀を振り翳した。
「馬鹿に――してんじゃ、ねえよ、こん畜生がッ!」
 蜥蜴頭が曲刀を振り下ろすより速く、傭兵は蜥蜴頭の懐に飛び込む。刹那、傍近くを漂っていた精霊の炎に似た体が眩しく煌めき、光球を打ち出す!
「――があッ!?」
 光球が目を灼かれて傭兵が思わず仰け反るのを幸いとばかりに、蜥蜴頭の曲刀が傭兵の肩に食い込む。鮮血が散った。
「――ジークさんっ!?」
「リカ、早く治療! お願い!」
「う、うんっ!」
 少女が杖を構えて呪文を唱え始めるのを背後に聞きながら、ライヒアルトは剣を構え、屈み込んだジークムントの前に躍り出た。

 ――竜の影を追いアイゼンシュタット北に位置するフォルツ鉱山。
 辿り着いた一行を出迎えたのは、未だそこに棲息する魔物の群れだった。一般にゴブリンと呼ばれる醜悪な小人族が主で、一行の姿を見るやいなや襲ってくる好戦的な魔物たちだった。坑道は狭い。たとえ集団でやってきた時であろうと、一対一で凌げた。挟み撃ちにされた時でさえ、リカルダを護るようにし前方にジークムント、後方にライヒアルトが立つことで切り抜けた。混戦になる事はなかったのだ。
 しかし長く続く坑道を無事に越え辿り着いた広間で一行を待ち構えていたのは、蜥蜴によく似た亜人と、灯火に似た精霊だった。蜥蜴頭の号令で有無を言わせず襲ってきた魔物たちに剣を抜いた一行は、思わぬ苦戦を強いられていた。
「花癒月(ルナリア・アインス)ッ!」
 少女の声と共に、ジークムントの体を淡い光輝が包む。そのままリカルダが他の呪文を唱え始めるのを聞きながら、ライヒアルトは眼前に迫る蜥蜴頭の腹を薙いだ。瞬間、蜥蜴頭は身を引き、ライヒアルトの剣の切っ先は浅く蜥蜴頭の防具を裂くに留まった。その時、背後で傷の癒えたらしいジークムントが立ち上がる。
「おら、選手交代だ、アルト!」傭兵がライヒアルトを背後に押しやる。「お前の新しい武器で精霊の奴をのしてやれッ!」
「で、でも、これ本当に斬れるの? なーんか俺、斬れる気がしないなあ――!」
「俺の親父を侮辱する気かよ、どっちにしろやってみりゃ分かる話じゃねえかッ」傭兵は剣を構えた。「行っくぜえぇええッ!」
 ライヒアルトは黙って飛び退り、傭兵の背中に背を向けた。じりじりと迫る精霊。ふと、視界の先で呪文を唱える少女を狙い、体を瞬かせる精霊の姿。
「リカ、危ない――ッ!」
「――霧氷花協奏曲(ジーヴル・コンセルト)ッ!」
 少女が高らかにそう叫んで杖を掲げた刹那、リカルダに迫っていた精霊の体が蒼く瞬きながら静止し、小さな氷柱がキンと高く澄んだ音を立てながらその精霊に突き刺さる。かつて養父の使ったその術は養父のものよりも随分か弱かったが、それでも精霊には有効だったらしい。精霊の炎のような体が揺らめき、細くなる。まるで、消えそうにか細く。それを見たらしい傭兵が、背後で口笛を吹いた。
「やるようになったじゃねえか、小姑よぉ!」
 がぎんっ、と曲刀を弾きながら、傭兵は一歩踏み込み鍔迫り合いをした。直後、傭兵は蜥蜴頭の足を払う。蜥蜴頭は身を落とし、転がって体勢を立て直した。ライヒアルトは宙を漂う目標を正視する。俺も、頑張らないと。
「――リカ、避けてッ!」
 ライヒアルトはリカルダの眼前をか細く漂う精霊に向かって走る。精霊に向かって剣を振り下ろした瞬間、精霊に感応するように刀身が煌めいた。そのまま、その炎のように揺らぐ体を剣が裂く。刹那、精霊は淡く燐光のように煌めき四散した。ライヒアルトは剣を下ろし、戸惑うように顔を上げた。精霊の姿は、其処にはもう無い。
「アルトくん、すごおい! やったね!」
 少女が歓声を上げる。ライヒアルトは戸惑うような表情のまま軽く頬を掻いた。身を翻しながら、不満げにぽつり呟く。
「――だめだこれ、斬った気全くしない。ちょー戦いにくい」
「文句言わないの!」
 リカルダが檄を飛ばす。ライヒアルトは、「うう、ごめん」と呻くように言い、再び戦いの場へ身を躍らせた。




「――つ、疲れた……」
 ライヒアルトは呟き、がくりと膝をついた。
「リカ、頑張ったねえ」
「アルトくんも、頑張った、ね」
 傍らで、少女も深いため息をつきながらしゃがみ込んでいる。
 リカルダが攻撃魔法を放ったのは初めてだった。その威力の程はライヒアルトには分からなかったが、ヴィッセン帝國の帝都レーベで戦った時よりも自分達には戦う能力が身に付いたという事だ。それは喜ばしい事なのだろう――が、今は兎に角疲れ切っていた。
「おいおい、功労者は誰だ? 俺だろうが」
 疲れ果てた二人とは裏腹に、傭兵が悠々と歩いてくる。付近に放置されていた荷車から布切れを拾い上げ、剣を拭う。まるで乙女が花畑で花でも摘んでいるように優雅で軽快な動作だが、拭い去っているのは今しがた切り結んでいた魔物の返り血である。リカルダがそっと目を逸らした。その表情はやや気分悪げだ。無理もない。
 蜥蜴頭との戦いの幕切れをもたらしたのは、傭兵ジークムントだった。傭兵が蜥蜴頭の攻撃を防いでいる間に、ライヒアルトとリカルダは協力して精霊を全て滅ぼした。そして邪魔者がいなくなったところで、リカルダの氷魔法で動きの鈍った蜥蜴頭の首に向かって、傭兵が剣を横に薙いだ。弾け飛ぶ首。ライヒアルトとリカルダは悲鳴を上げ、後退りして顔を背けた。傭兵は悠々と落ちた首を蹴り飛ばした。凍っていた為か鮮血が噴き出る事も無く、傭兵は口笛など吹きながら「こりゃあいい」と上機嫌に呟いた。――おおよそ、こんなところである。その凄惨な光景は、穏和なふたり、特にリカルダには刺激的だったことだろう。彼女は鶏の首を落とすことすら出来ないのだ。視線を明後日の方向へ彷徨わせつつ蹲っている少女に、ライヒアルトは同情の目を向けた。
「――ったく、何だってこんな魔物が居たんだ? ゴブリンどもみてえな格下連中とつるんでるわけでもあるめえに」
 道中何度も斬り結んだゴブリン達は一般的には雑魚扱いされている。蜥蜴頭たちは戦略的な戦いを得意とする所謂格上≠フ存在なのだ。共に行動する事は考えられない、と傭兵は言いたいのだろう。
 ライヒアルトは、うーん、と僅かに首を傾げた。
「あの蜥蜴頭が鉱山の主だったんじゃない? アイゼンシュタットの鉱山を占領した魔物がいたんでしょ?」
「まあ、そうなんだろうけどよ。だが、滅んで一年にもなるっつうのに、何で居たんだ? さっさと撤退すりゃあいいだろうが」
「まあ、魔物の考えることは俺にはよく分からないけど――」
 ライヒアルトは極力地面に転がる首を直視しない様に立ち上がりつつ、砂埃で汚れた肩を軽く払う。
「……もしかして、鉱山にはまだ誰かいて、それを探してた、とか? それこそ、さっき見た《竜使い》とかをさ」
「――なるほどな」ジークムントの眉間の皺が深くなる。そして、ちらりと広間の奥の壁に目をやった。「もしかすっと、この壁の奥に潜んでやがるんじゃねえか。それこそ、リヴェーラの塔みてえになんかの仕掛けがあるのかもしれねえ。んで、魔物達のちいせえ頭じゃあ進み方が分からなかったんだ」
 その可能性はある。しかし、とライヒアルトは眉を顰めた。そうまでして竜使いがここに身を隠す理由も分からないし、そもそも数年前までは普通に人の手が入っていたこの鉱山にリヴェーラの塔のような大それた仕掛けがされているというのもいまいちぴんとこなかった。傭兵は考え込むライヒアルトを一瞥したが、すぐに視線を近くで蹲っている少女にうつす。
「おい、小姑。いつまで蹲ってんだ。さっさと起きろ。調べモンだ」
「……ううう、まず、その、あの、く、首を」少女は目を下方に落としきったまま、へこむどころかひしゃげたような声で少女は呻いた。「わたしの、視界から、あの」
 即座に「あぁ?」と傭兵に眼を飛ばされ、リカルダは沈黙した。ライヒアルトは困ったように頬を掻く。この傭兵と彼女とでは違いすぎるのだ。この優しい幼馴染の少女に、傭兵の感覚に合わせろなどというのはどだい無理な話だ。正直、彼の魔物に対する無神経な振る舞いにはライヒアルトも少し戸惑っていた。が、気を取り直して首を振る。
「ねえ、ジーク。この広間って何かな? 荷車が放置されてるところ見ると、ここも鉱山として掘ろうとしてたみたいだけど……行き止まりだよね。何か掘るのを止めた理由でもあるのかな」
「ああ、そういや俺が街に居た頃、妖怪が出るから近寄れねえっつって封鎖された道があったとか聞いたな……」ジークムントはこともなげに答え、頭を掻いた。「そうか、わかった。妖怪っつうのはこの精霊だったのかもしんねえな。確かに妖怪くせえ」
「な、なるほど」
 一応納得出来そうな理由ではある。そうなると、占領される前から魔物が居座っていた事になるが、今は考えても何も分かるまい。ライヒアルトは頷き、傍らで蹲る少女に視線を落とした。彼女は顔を上げない。じっと固まっている。転げ落ちている蜥蜴頭の首をなんとかしないことには、梃子でも動かない構えらしい。
「ジーク、ええと……その、前に帝都で使ってた奴でもなんでもいいんだけど、この魔物の首を燃やす……とか、出来ないかな」ライヒアルトは肩を竦めた。「リカが固まっちゃって動けない」
「あぁ? ったく、めんどくせえ女だな、畜生」ジークムントは心底うっとおしそうに醒めた目で少女を一瞥すると、諦めたように腰から剣の護符を取り出した。そして暫く考え込み、唸る。暫くして、口をひらいた。「……駄目だ。使える奴ねえわ。諦めな」
「どどどどどおして、どおしてですか!? い、いじわる、しないでください……」
 少女が頭を抱えて、涙混じりかと思える程に震えるか細い声を上げた。傭兵がなんとかしてくれるのをじっと黙って待っていたらしい。そんな少女に傭兵は一瞥をくれ、冷たく答えた。
「燃やしてやってもいいが、酸欠になっても俺は責任取らねえぞ」
 ライヒアルトは合点がいったように「あー」と声を上げる。確かに、酸素に限りのある坑道の奥で炎を燃やすのは危険かもしれない。青年は、うう、と呻った。このままではリカルダが立ち上がれない。
「どうしてもっつうんなら、お前の視界から消してやってもいいが」
「ほ、ほんとう、ですか……?」
 震える声。ちらりと少女が顔を上げる。瞬間、こともなげに傭兵の足がふいっと上がった。少女の視界の先で、何かが弧を描いてぽうんと飛んでいく。
 あまりに自然で何の文句もつけようのない滑らかな動作だった。当たり前のように飛んでいくモノに、一瞬何の違和感も抱かなかった。少女もそうだったらしい。一瞬ぼんやりと虚空を見詰め、そして視界の先で動いたものを無意識に目で追う。ぽうん、と遥か遠くで僅かに跳ね上がりながら落ちたそれを認識するまで、少女は数秒の時を要した。そして。
「きゃああぁあぁああぁあぁぁあああぁぁああッッ!?」
 少女がまた頭を抱えて絶叫した。傭兵が耳を塞ぎ、半眼をくれる。
「折角視界から消してやろうとしたのに、何で見るかね?」
「いや、見るでしょ、普通」
 ライヒアルトは困ったように引きつった笑みを浮かべて肩を竦める。見ていて気持ちのいいものではない。傭兵に蹴り飛ばされて転がった首の方から、彼もすっと視線を外した。