少年だった。いや、少女だろうか。病的なまでに白い。繊細で中性的なその顔からははっきりと性別を推し図る事が出来ない。人間ではない――のだろう。その後頭に戴く象牙色の角は、人間のものであるとは思えない。
 その背後に控える巨躯は、その瑠璃色の鱗に僅かな光をうけて静かに佇んでいる。そして、双方共に、琥珀にも似た美しい金の色の瞳。それは、ハルドの王女アルベルティーナのそれにも似た、現実離れした不思議な煌めき。
 暫く、一行は口を開けなかった。眼前に佇むものの正体を図りかねるように、ただ互いに視線を交わす。
「――何者だと、聞いているんだ」
 不意に、凛とした中性的な声。僅かな苛立ちを含むそれに、リカルダがびくりと身を震わせる。
 背の大剣に手を伸ばしていたジークムントがそれを引き抜こうとする気配を感じ、ライヒアルトは片手で制する。訝しげに眉を顰める傭兵に僅かに顔を向け、ライヒアルトは小さく首を横に振った。その碧眼に宿る真摯ないろに、ジークムントは僅かに目を見開く。
「……戦っても仕方がないよ。話を聞かなくちゃ。そうでしょ?」
「だがよ、こいつは……」
「まだ何者かも、分からないよ」
 低い声で言い募る傭兵を制し、ライヒアルトはその碧眼を真っ直ぐ《角の人》へと向けた。その人は僅かに目を見開き、眼前の青年を警戒するようにじっと見据える。
「俺の名は、ライヒアルト=ローデンヴァルト。……あなたは?」
 僅かに低いその声。いつもの無邪気な声音は影をひそめている。今あるのは、不安を気取られまいとするやや強張った響き。
「……おまえは誰だ。何のためにここに来た?」
「俺は魔力剣を求めて旅をしています。此処へ来たのは、竜の姿が見えたからだ。それだけです」ライヒアルトはなおも低い声のまま続けた。「……俺は答えました。あなたは、一体?」
 再度、問う。《角の人》は一歩下がった。警戒の色を宿したその眼差しは変わらぬまま、暫く口篭る。
「……おまえは、竜を、殺しに来たのか?」
「そういうわけじゃあ……」
「そうでなければ、魔力剣を探す必要は無い。竜を見つけたからと言って追う必要も無い。そうじゃ、ないのか」
 中性的なその声は、僅かに震えている。埒のあかない会話に、ジークムントが舌打ちした。がぢゃり、と背の大剣を引き抜く。瞬間、《角の人》は身を竦ませた。背後の竜が身をもたげる。ライヒアルトは焦りの滲む表情で振り向いた。
「――ジーク! だめだよ。剣をしまって。お願いだ」
「こいつは一方的にこっちを悪者扱いしてんじゃねえか」傭兵は苛立たしげに眉間に皺を寄せる。「話し合う気がねえなら、刃を交えるのみ、だ」
「だめだよ、まだ話を聞いてないッ! ……お願いだよ、ジーク、お願いだ……」
 祈るような、懇願するようなその声音。ジークムントは渋々、構えていたその切先を地に向けた。精一杯の譲歩なのだろう。
「……甘い事言うんじゃねえぞ。あいつらに変な様子があったら、俺はあいつに剣を向ける」
「そうならないことを祈るよ。……ありがとう」
 ライヒアルトは視線を《角の人》へと戻した。眼前のその人の表情は強張っている。すっかり警戒しているようだ。背後の竜は暫し様子を窺った後、再びその場に体を落ち着けた。
「……俺は、あなたや竜に危害を加えようとしてる訳じゃないんだ。ただ、身を守るために魔力剣が欲しい。精霊達に襲われても、俺は自分の身を守れないから」
「精霊達はただ、自然のままに生きている。悪いのは、お前達人間だ。お前達が、人間が全て、捻じ曲げたんだ。……すべて」
「人間達って、」ライヒアルトはふっと眼前の人の頭に戴く角に目をやる。「あなたは、それじゃあ、人間では……」
 《角の人》は自嘲気味に笑う。
「――見れば、わかるだろ?」
 その人は、その少女のような繊細な面をふっと下に向けた。その頭に戴く象牙色の角が、すっと天を指す。
「馬鹿正直だね。お前に敬意を表して、僕も自己紹介しよう。僕は、トゥーレ」その人は、顔を上げた。「――竜人だよ」
 竜人。
 聞き慣れぬその言葉に、何と答えていいかも分からずに、ライヒアルトは口籠ったまま目を瞬かせた。
「おい、竜人とやら。お前は、竜使い、じゃあないのか」
 傭兵の低い声に一瞬はっとしたように視線だけをそちらに向けたトゥーレは、またすぐに視線を落とした。
「僕は確かに竜使いの民の血を引いている。それに、竜族の血もだ」
「それじゃ、君にも人間の血が――」
「だから何だって言うんだ。人間は嫌いだ。……どうせ力を持てばお前達もその力を以て殺戮を繰り返すんだろう。御大層な名義を並べて、実際にお前たち人間が行うのは、いつだって――排斥と、略奪と、殺戮なんだ。……もうたくさんだ。たくさんなんだよ、お前たちに関わるのは」
 吐き棄てるようなその口調。傭兵が苛立たしげに舌打ちする。
「だから、何だっつうんだよ。お前ら竜族だって人間を屠ったろうが。お陰で人間サマは数が随分と減っちまった。俺の故郷も滅ぼされた。それも、みんな、全部、てめえらの仕掛けた事だろうが。何を悲劇のヒロインぶってんだよッ!」
「何を、言って」竜人はその白い面を上げた。憎しみを宿す瞳。「――全部、全部お前たち人間が仕掛けた事じゃないかッ!」
 その射るような鋭い眼差しに、ライヒアルトは身を竦ませる。
――人間が、仕掛けた。
「……ちょっと、待ってください。トゥーレさん。今、人間が仕掛けたって、……それじゃあ、戦争は」
「そうだよ。人間が仕掛けたんだ。今更何を言ってるんだ? それとも人間は歴史まで歪めようと言うのか。お前たちは、自分の都合の良いように他を扱う。……お前たちなんて嫌いだ。お前たちなんて滅んでしまえばいい。人間がいなければ、世界はこんなことにはならなかったんだ。地図が悪用される事も、竜族の領域を侵そうとする事も、人間兵器の《エヴァたち》を持ち出す事も、そうだよ、戦争が起きる事だって、――全部、全部全部全部全部、ぜんぶッ!」
 激する声。
 その広間に、しん、と静寂がおりる。
 人間の間に伝えられていた物語は、捻じ曲げられていた。本当に、そういう事だったというのか。
 思い出されるのは、懐かしい故郷で養父と語り合った事。大戦の真実。本当に竜が人間を襲ったのか、ということ。そして――《エヴァ》。
 この竜人は――真実を知っている。
素直な目で、耳で、心でしか、この世界に散見する真実は見出せない
 竜使いの本をライヒアルトに託した老魔女。その言葉が、脳裏に響く。訊かなければならない。知らなくてはならないのだ。真実を――今。
「……トゥーレさん、お願いです。俺は、何も知らない」
 真っ直ぐに見つめる碧眼。竜人は鼻白んだように目を見開いた。ライヒアルトは低い声で、問う。
「戦争はどうして起きたのか、本当に悪いのは誰なのか。――教えてください」




 ――はじまりは、一枚の地図だった。
 ぽつり、ぽつりと語り出す竜人の横顔が、差し込む外光に縁取られる。光に透けて消えてしまいそうなその人の様子を窺うように、瑠璃色の竜がそっと鼻先を押し付けている。その鼻先をそっと撫で、竜人は語る。
「僕は、竜と人間の間に生まれた。今から、八十年も昔の話だ」
 その言葉に、リカルダが僅かに目を見開く。とても八十を数える年には見えない。「八十歳……」と小さく呟く少女に、竜人はちらりと視線をやった。
「竜の血を引いているせいかな、人間よりも老化が遅いんだ。
……僕の存在は、奇異そのものだった。成長するにつれて角が生えた。尾も伸びた。僕のその姿を見て、竜の民たちは僕を忌避したんだ。崇拝する竜族の血を引く人間なんて、そりゃ扱いかねるだろうね。……どうせ分かり合えない存在なんだ。僕は、人間が嫌いだった。お互い様だったろうけどね」
 人間といるよりも、竜と一緒に空を翔ける方が好きだった。それでも成長するにつれ、友達が出来た。その人のおかげで、自分は夢を持った。そう語る竜人は、ふっと視線を落とす。
「――君は、地図を持っているかい?」
 ライヒアルトが頷き、背嚢から地図を取り出した。差し出された竜人は、自嘲混じりにふっと笑いながらそれを眺め、地図の左下の文字列をそのしろく長い指で示す。
「読んでご覧」
「……第三稿、世界地図。……トゥーレ?」
 読み上げるライヒアルトの声に、竜人は頷いた。
「それを描いたのは、僕だ」
 一行は思わず瞠目した。しかし竜人は、視線を落としたまま。
「世界地図を描くこと。それは僕の夢だった。竜の背に乗り天を駆ける竜使いが減りつつあった竜使いの民の村で、僕は数少ない竜の乗り手だった。竜達は僕の友達だったんだ。竜の背に乗って世界を駆けて、いつしかそれを描きたいと思った。――そうして、他の連中を見返してやればいいじゃないかと、僕のたったひとりの人間の友達が言った。だから、僕は描いたんだ」
 ふっと、目を伏せる。長い睫毛が、頬に繊細な影を落とした。
 瞼の裏に過去の記憶を描いているのだろうか。その横顔を眺めるリカルダは、まるで目がまわるような思いだった。どこにでもある、世界地図。それが、目の前の竜人が描いたものだなんて。世界が狭いと言うべきなのか、自分たちが凄い世界に足を踏み入れてしまったのか。その境が、分からない。ただひとつ言えるのは、――この竜人は、悪い人ではないのだろう。もしただ人間を憎んでいるだけなのならば、その竜をけしかけて自分たちを殺せばいい。それでもそれをしないということは、きっと――戦いを望むようなひとでは無いのだ。希望的観測かもしれないその考えを、少女は直感と共に受け入れていた。
 少女の胸中など知らぬまま、語る竜人はちらりとライヒアルトの顔を見上げた。
「その地図が招いたものが、君には分かるかい?」
「……、各地の交流の発展、とか。きっと、世界に発展がもたらされるんじゃないかなって、思うけど」
「僕もそうなると思ってたんだよ。まだ、若かったんだ」
 竜人は再び視線を落とす。
「人間達は、よく戦争をしていた。人間達の間の、くだらない陣地争いだ。やれここは自分の土地だの、やれそこは自分の土地だったのだから返せだの、……くだらない。くだらないよ」
 首を振る。どこか疲れの滲むような、ゆっくりとした動き。
「……僕の地図はね、戦争の道具にされたんだ」視線は落としたまま、言葉を選ぶようにゆっくりと告げる。「それぞれの所有する土地が正確に明確に表された地図っていうのは、世界でも初めてだったんだと思うよ。それを手にするや否や、人間同士の領地争いは熾烈を極めた。……人間達の間だけでやっているなら、よかったんだ。別に、僕は。……だけど」
 人間の戦いは続いた。そして、やがて、人間達は平和的な講和の末に、戦争を終わらせた。その後始まったのは――人間以外の種族が住まう土地への侵略行為。
 それを聞いたライヒアルトは、目を見開く。
生物は本来、境界を越えたりはせん。あるべき場所で、あるべき形で生きている。そこに、何らかの思惑が絡まぬ限りはな
 脳裏に、養父の言葉が響く。人間も、他の種族も、世界の中で住み分けが出来ていた筈だったのだ。その境界を越えてきた他種族に、きっと何か理由があるのだろうとライヒアルトは考えた。しかし――境界を越えたのは、人間だったというのか?
「海も、山も、空も、きっと全部自分たちのものにしたかったんだろうね。傲慢な生き物だ。……だけど、人間なんて力の無い種族、竜族やエルフ達、自然と共に生きる力ある種族たちが相手にする筈もなかったんだ。それでも――戦いは起きた」
「《エヴァ》――のせいですか?」
 先程竜人は、人間兵器《エヴァ》≠ニ言った。ずっと求めていた言葉。それが何かは分からぬまま、ライヒアルトは問う。竜人は苦々しげな表情で頷いた。
「あれは――化け物だ。邪神の落とし子。災厄の化身だった。あんな者を担ぎ出すなんて、人間達はどうかしてる……」
「俺は、その、《エヴァ》について知りたかったんです。五十年前、恐らく各地に《エヴァ》の召集がかかった。その書簡を見つけたんです」 
「どうせうまく扱えもしないものを武器にしようとするなんて、なんて馬鹿な生き物なんだろう」
 乾いた笑み。トゥーレは嘲笑うように、しかし忌々しげな表情でそう吐き棄てた。
「――教えてあげるよ。《エヴァ》っていうのは、強大な魔力を持った人間達の総称なんだ。《エヴァ》たちは、一様に紅い眼を持っていた。鮮血のように鮮やかな、不気味な色をしてた」
 醒めた瞳で、竜人は淡々と語る。戦場に現れた《エヴァ》は、血の色の瞳を煌めかせ、虚ろな表情で敵を薙ぎ払ったということ。そして、ふとしたきっかけで魔力を暴走させ、敵味方問わずに打ち滅ぼした恐ろしい存在だったということ。
「だけど、一番恐ろしかったのは、《エヴァ》の筆頭――黒蝶姫≠ニ人間達に呼ばれていた、黒い女だったんだ。他の連中なんて、雑魚同然だった。本当に恐ろしいのは――あいつだけだ」
 ――黒蝶姫=Bかつて物語で何度も目にしたその名前。黄金竜と戦い、命を落とした人間の英雄=B
 不意に竜人から語られたその名に、ライヒアルトはびくりと身を震わせた。
 紅の瞳。鮮血のように鮮やかな眼をした、黒い女。脳裏に浮かぶのは、旅立ってまずはじめに訪れた帝都レーベの古書店に飾られていた絵姿。美しい、英雄。
「黒蝶姫は、……人間の、英雄だったはずじゃ、ないんですか。俺の知ってる歴史は……俺の知ってる、話は」
「歪んでるんだよ。人間の歴史なんて、紛い物だ。お前の話を聞いて、改めて理解したよ。人間は、嘘つきだ。望む侭に他を蹂躙し、都合が悪くなれば事実さえ捻じ曲げる。ああ、そうさ。嘘を吐き続ければ、いずれ子孫はその嘘だけを信じて生きていく。……同情するよ。お前たちは、その嘘を信じて生きてきた。血塗られた自分たちの種族を清いものだと信じて生きていくための、薄汚い嘘をね」
 醒めた瞳と、吐き棄てるような口調。その声には侮蔑と怒りが滲んでいた。しかし、竜人のその冷たい声音よりも、語られた言葉の方がライヒアルトにとっては衝撃だった。嘘だと、言い切られた。俺たちの信じてきた歴史は、一体何だった? いや、そもそも俺達は――歴史なんて、知らなかった。語られていたのは、物語だけだ。伝えられてきた物語を、どうして俺は、史実だと信じた?
「確かに、俺が話して聞かされた物語の中に黒蝶姫の話はあって、それが本当かどうか、半信半疑だった、けど――」
 ライヒアルトはそれだけ言って、口籠る。存在するか否か、分からなかったのはそれだけだと思っていた。しかし、その話それ自体が後世の人間を騙す為の嘘だったとしたら。黒蝶姫が本当は英雄などではなく唯の殺戮者であったこと、人間が本当は侵略者であり、返り討ちに遭って滅びかけているのだということを隠す為の嘘だったとしたら。――そこまで考えて、ライヒアルトは身を震わせた。恐ろしかった。無邪気に信じていた物語≠ニいうものが孕む危険性。全くそれを疑問視した事も無かった己の甘さ。
 もし竜人の話が真実だとすれば――人間は、なんて狡いんだ。
 傍らのリカルダが、目を見開き、ちらりと心配そうにライヒアルトの顔を見上げてくる。ライヒアルトには、視線を返す余裕が無かった。なんて、馬鹿だったんだろう。物語に嘘が入っているなどと考えた事も無かった。そうやって知らぬ間に操作されていたとしたら、俺の中に一体いくつの嘘が息衝いているんだろう。俺は何の罪も犯していないような顔をして此処に立っている事を許されるのだろうか?
 衝撃を受けた様子のライヒアルトを一瞥し、竜人は皮肉げに笑う。
「何が黒蝶姫≠セ。奴の現れた場に居合わせた者は、皆あいつを違う名前で呼んだ。本質を示す名で」
 竜人はそっと目を伏せる。
「戦場を焼き尽くす冥府の使者。死神。――殺戮姫<Jミラ。あいつは、そう呼ばれていた」