ハルド王国は、今日も祭りじみた喧噪だ。
 はるばるアイゼンシュタットを訪ねて竜人と出会ってから早数日である。補給の為に再びハルドを訪れ宿を借りた一行は、窓辺にその喧噪を聞きながら、しかしそれに耳を傾けるわけでもなく、作戦会議さながらの様子で備え付けの木机の上に広げた地図を覗き込んでいた。議長気取りのジークムントがひとつ咳払いすると、青年と少女がぴしりと姿勢を正す。傭兵は重々しく口を開いた。
「――まず、あの野郎の地図を信じるとして、だ」とん、と地図を人差し指で叩く。その指の示す現在地点は、ハルド。「目的の、ドワーフ共の集落まで相当な日数が掛かる。そこまではいいな?」
 地図を覗き込むライヒアルトとリカルダは、神妙に頷いた。
 竜人トゥーレの記したドワーフの居住地=Bハルド王国のある北方の大陸と、南方の大陸を繋ぐくびれのような形の細い陸地に、ハルド王家の設置した関所がある。そこを越えて南大陸へ進み、そのまま東へずっと真っ直ぐ進めば、竜人の記した印の示す土地に出る。長い、長い道程だ。その道程の間、集落は殆ど無い。問題となるのは、食糧だった。
「議長」ライヒアルトが、神妙な顔つきで挙手した。「多分この距離だと、食糧腐りますよね」
「いい質問だ」議長――ジークムントが、鷹揚に頷く。「腐るな」
 端的なその返答に、ライヒアルトが難しげな顔をする。すっかり重要議題に頭を悩ませる議会ごっこに馴染むライヒアルトだったが、それを始めた傭兵は早々に飽きたらしく、どかりと椅子に背を預けて腕組みをした。そのまま、薄汚れた天井を仰ぐ。
「――まぁ、腐るのなんのは保存食で過ごしゃいい話だわな。問題なのは水なんだよ。み、ず」
「でも、海沿いを歩くんでしょ? 水なら――」
 首を傾げるライヒアルトに、ジークムントは半眼を寄越す。
「ばッか、死ぬぞ。海水を飲んだ旅人は渇きの呪いで死ぬ、っつうだろ。お前の大好きな本には無かったのかよ」
「え、そうなの? あちゃー、知らなかったよ。俺、海の話は管轄外だからさ」
 目を丸くするライヒアルトに、ジークムントは呆れたように肩を竦めた。傍らのリカルダも、小さなため息をひとつ。
「アルトくん、適当な返事しないの」
「適当じゃないってば。俺、空飛んだりする方が好きなんだ」
 本の内容の話をしているらしい。至って真面目な顔をしてそう答えるライヒアルトに、ジークムントとリカルダは深く嘆息した。
 暫くそうして話し合っていたが、結論は出なかった。魔法の氷を溶かして飲もうだの何だのと色々意見は出ていたが、結局は多めに飲料水を用意して節約しながら行こうという話になった。幸い、地図上で見るに関所から目的地の中間付近に河口の村らしきものがある。例え村が滅んでいたとしても、河があるならそこで飲料水の問題は凌げるだろう。今は、それをあてにするしか無かった。
「まだディート兄ちゃんはお城に戻ってないかな」
 買い出し中、ライヒアルトがふっと街の奥に聳える尖った細い青屋根を見上げてそう呟いた。ハルドの王城。跳ね橋は上がっていない。アルベルティーナ姫も今日は大人しく城に収まっているらしい。穴倉の兄弟分ディートマルがいるならば、姫のいる今が狙い目であろうが、どうなのだろう。
「十数日待てっつってたろ、姫さんは」傭兵は興味もなさげにそう返す。「まだそれだけの日数経ってないじゃねえか。ま、これから関所に向かうわけだから、そっちで会えるんじゃねえか?」
「そっか、そうだよね」
 ライヒアルトの碧眼が、ぱっと大きく見開かれた。期待に満ちた眼差しは、まるで玩具を買ってもらう約束をしたばかりの子供にも似ている。傭兵はふっと笑った。
「多分、そろそろ関所警備兵の為の兵糧をのせた荷車が出る時期だと思うんだが。散々買い込んだ上に歩くのも面倒だし、乗せてもらおうぜ。渡りに舟っつうやつだな」
「え、軍の荷車……って、乗せてもらえるものなんですか?」
 リカルダはやや心配そうに小首を傾げた。身分を保証するものなど何もない自分たちがそんなお願いをしたところで、食糧目当ての盗賊か何かだと思われてしまうのではないかと不安だった。しかし、傭兵はひらひらと片手を振ってみせる。
「甘く見んなよ小姑。傭兵ジークムント様の顔の広さ、なめんな」
「ぐ、軍にも顔が効くんですか?」
「阿呆。王サマのお気に入りだぜ、俺は」少女の顔を見もせずに、事も無げに傭兵は答える。「ま、例え駄目だとしても、だ。乗せてもらえるように交渉すりゃいい話だ」
 交渉、とリカルダは鸚鵡返しに呟く。あまり、彼女の辞書にはない文字だ。そういえば幼馴染のライヒアルトも、帝都の露店で値切っていた。そういう交渉事は、みんな普通にやるものなのかしら?
 不思議そうに小首を傾げる彼女に、傭兵は人差し指を突き付けた。リカルダは、う、と気圧されたように仰け反る。
「いいか、小姑。与えられてるモンを享受してるだけじゃあいけねえのよ。重要なのは、意志よ。交渉する気がなきゃあ、交渉っつうのは始まらねえんだ。こないだアルトがあの竜人にしたのだって、そうだ。はなっから諦めてちゃ、道は拓けねえ」もっともらしげにそう言い切ると、傭兵はライヒアルトの背を叩いた。「……ま、お前みてえな奴なら向こうから世話焼いてくれるかもしんねえけどな」
 首を傾げて「なんで?」と問うライヒアルトに、傭兵は笑う。
「俺が訊きてえよ。何なんだよ、お前のその世話焼かれ力は」
「うーん、リカに鍛えてもらったのかもしれないね。俺、甘やかされ力は高いからねー。抜群に」
 ライヒアルトは悪戯っぽく笑った。リカルダの肩ががくりと落ちる。数瞬眉根を寄せて悩んだ後、彼女は片手を腰に当てた。
「あのねえ……お世話焼かれるの、当たり前みたいな顔しないで? しっかりしなくっちゃ。それ、鍛えられたって言わないんだから」
「とか言ってよ、どうせ最後には甘やかすんだろ? お前が」
 間髪入れずに飛んできた傭兵の言葉に、少女は、う、と呻って両手で杖を握りしめた。図星である。本当に何なのだろう、彼は。なんだかんだ言っても、最後にはつい許してしまうのだ。
「ったくお前は、得な性格だよな、んっとに」
 僅かに肩を竦めてそう言うジークムント。「そお?」とにこり微笑むライヒアルト。先が思いやられて、少女は再び、肩を落とした。




「ねぇ、ジーク。関所はもうすぐかなー」
 馬車の上、食糧の詰まれた荷台の後方で揺られていたライヒアルトは、あまり変わらぬ景色に飽いたように声を上げた。
「そのうち着くんじゃねえの。まあ景色でも見とけよ」
 荷台の前方で寝転がっていたジークムントが、そう言って手だけひらひら振ってみせる。明確な答えが返らず、ライヒアルトは、うー、と小さく唸って景色に視線を戻した。
 街を発って早数時間。ジークムントの手引きで二頭立ての軍用荷馬車に乗り込むことになった一行は、荷台の上で各々の時間を過ごしていた。もとより、景色以外に見る物は無い。
「リカ、暇じゃない?」
「んー、わたしは何にもすることのない時間って、ありがたいな。おばあちゃんの呪文書読む時間、欲しかったから」
 リカルダは養母から授かった呪文書を顔の近くまで持ち上げてみせ、にこりと笑った。いいな、とぼやいてライヒアルトは空を仰いだ。俺も何か本があれば、暇つぶしになるんだけど。
 そんな事を考えても、やることが無いということに変わりはない。変化を求めて、馬車の往く先を振り返り、目を凝らしてみる。草原が続き、ずっと遠くに小さく建物が見える。あれが関所だろうか。あれほど広がっていた平原も徐々に陸地が細くなっていっているのを感じる。海も近い。
「……でも、この分だとそんなに時間もかからなそうだね。リヴェーラの馬車よりも速いや。景色がくるくる変わる」
 軍用馬の二頭立てだからな、と眠たげに言葉を返していたジークムントだったが、暫くして、返ってくるのは鼾だけになった。
 ぼんやりとがたつく揺れに身を任せながら、ライヒアルトは腰掛けた荷台の端から足をぶらつかせた。地面が流れていくのを見るのも、面白いかもしれない。そうしてぼんやりと眺めているうち、馬車の通る草原の中の轍が目に付いた。青々と横たわる草原と、その上に出来た道。ふと、不思議な感覚にとらわれる。
「……何か面白いものでもあった?」
 珍しく黙り込んでじっとしていたライヒアルトを心配したのか、リカルダが小首を傾げて顔を覗き込んできた。思わず、笑う。
「人が通る所に道が出来るんだなーと思って」言い、指で指し示す。「ここ、馬車がよく通るからかな、草のとこに轍が出来てるでしょ」
 リカルダも移ろいゆく地面を覗き込んだ。平原は、少女の瞳の色にも似た鮮やかな若草色の草に覆われている。その草原に、しっかりとした轍が長く長く続いている。それはハルドへ、そして振り向くと目的地である関所へ。ひとのゆくべき道を、確かに示している。
「ほんとだ。そっか、轍を通った方が走りやすいもんね。ここを通る馬車は、大体この轍の上を走るのね」
「そ。……最初にここを通った人は、その轍を皆が踏んで進んでいくなんてきっと考えなかったろうなあって思ったら、不思議じゃない? 知らないうちに、歩いてきた道が皆の通る道になる」
 ライヒアルトは顔を上げる。つられて顔を上げたリカルダににこりと微笑むと、彼女は「そうだね」と笑う。
「もしかしたら、俺も、同じ事が出来るかもって思っちゃうよね」
 何を言おうとしているのか図りかねたらしく、少女は不思議そうに小首を傾げる。
「例えばさ、俺が道の無い道を行くでしょ。そしたら、もしかして俺の歩いた跡を進もうとする人がいるかもしれないんだよ。それって、すごいよね」
「そんなに上手く行くかなぁ」少女が噴き出した。口元に手を当て、くすくすと笑う。「アルトくんの頑張り次第だね」
ライヒアルトは少女に振り向き、眉根を寄せて笑った。
「頑張るってば。足掛かり、残さないとね。ちびたちのためにも」
 ライヒアルトは、背にした積荷にぼふりと背を預け、空を仰いだ。風が頬を撫でる。快晴だ。こんな日には、何でもうまくいきそうな気がしてくる。そのまま、んー、と伸びをひとつ。そんな彼を、ふふ、と笑って眺めていたリカルダが、ふっと真顔になる。
「……ちびちゃんたち、元気かな」少女の視線は、遥か遠くへ。轍の向こう、更にずっとその先。故郷に続く道。「わたしたち、うんと遠くに来たのね」
「きっと、元気にしてるよ。じいちゃんもばあちゃんも、ちびたちも。……ディート兄ちゃんもね」
 仰いだ空の、冴えるような碧さ。どんなに遠く離れても、この視界にうつる空は変わらない。空の下に続く同じ世界に生きているのだと思うと、遠く離れていても繋がりを感じる。兄貴分のディートマルも、空を見上げて同じように思っただろうか?
「ディートお兄ちゃんに、会えるといいね」
「ね。でも、あんまり期待しないようにしなくっちゃね。すれ違いってこともあるからねー」
「予防線? ふふ」
 馬鹿にされたような気がして口を尖らせると、リカルダは可笑しそうにまた笑った。




 ほう、ほうと梟が鳴く。
 夜闇にこぼれる星屑に、寄せては返す波の音。かがりに燃える火の揺らめきとはぜる音。夜の静寂の中にざわめく無数の音に、耳を澄ませた。ほんのりと初春の残り香を思わせる涼しい風は、決して不快なものではなく。けむるようなはしばみ色の髪をふわりとさらうその夜風に、ライヒアルトはただ身を任せていた。腰掛けた大地。足元に揺れる花の色は見えず、今はただ夜の闇のなかに抱かれている。春の花だろうか。季節はうつろう。
 時を遡ること、数刻前。関所に辿り着いた頃には、すっかり陽は落ちていた。荷馬車の御者が詰所の騎士に積荷を引き渡すのを手伝う傍ら、ライヒアルトは関所に詰める騎士団の団長の名を問うた。騎士は積荷を受け取りながら、答える。
「アイヒベルガー団長の事かな。君は知り合いかな?」
「そうなんです。俺の、えっと、幼友達っていうか……」
 自分達の関係をどう説明していいものやら戸惑っていると、騎士は積荷の検査をしながら笑った。
「団長の幼友達にしては若いね。君は僕より年下だろう。今日は積荷の護衛に同行してくれたのかい? ジークムント氏と一緒にいるくらいだから、力はあるんだろうな。若いのに羨ましいよ」
「いえ、俺は……、その、旅の途中に乗せていただいただけなんです。けど、その、アイヒベルガー団長とはもうずっと昔に生き別れたきりで。このハルドにいるって聞いたもので、もし会えればって」
「ああ、そうか……」
 どこか浮かない響きのその言葉に、ライヒアルトは顔を上げた。騎士は申し訳なさそうに頭を掻き、積荷リストに視線を落とす。
「いや、少しタイミングが悪かったね。アイヒベルガー団長率いる第三騎士団は、詰所勤務の期間を終えて数日前に国に帰ったんだ」
「で、でも、あなたも第三騎士団だって……」
「僕は、なんていうか、引き継ぎ役だね。後続部隊が来るまでは僕はじめ数人が残らなくちゃいけないんだよ」
 完全にすれ違いだったらしい。期待しないようにしてはいたものの、それでもやはり心のどこかでは会えると信じていた。溜息を抑えるように、ライヒアルトはくちびるを噛む。青年の失意を感じ取ったらしい騎士は、申し訳なさそうに笑った。
「残念だったね。……ただ、これから暫くは団長もハルドにいる筈だよ。次にハルドに向かう用事があったら、訪ねてごらん。家の場所が分からなくても、門兵に訊けば面会を希望している旨くらいは伝えてくれるはずだから」
 ぎこちなく笑って、礼を述べる。今度はハルドで会おうと笑う騎士に別れを告げ、ライヒアルトは関所の砦を抜け出し――ジークムントの顔は思った以上に広く、通行証など持っていないライヒアルトらも通行を自由に許可されていた――近くの浜辺までふらりと足をのばしたのだった。そうして数刻、陽はすっかり落ちている。
 腰を落ち着けてみても、落胆した憂鬱な気持ちは変わらなかった。ディートマルと会えなかったのも、仕方の無い事ではある。しかし、これから向かう先はハルドではなくドワーフの集落だ。そしてその先、自分はハルドに戻るのだろうか。戻ったとして、その時もまたすれ違ってしまったらと考えると、気分が浮かない。彼と会えるかどうかよりもまず先に、自分はこれから、どこへ行くのだろうと考えると気が重かった。前に進むしか道はないと、仲間たちと話したばかりだった。それでも、「これから」を考えると漠然とした不安にかられてしまう。きっと、ディートマルに会いたかったのはその不安を打ち明けたかったからなのかもしれない。リカルダは年下で、彼女に迷惑はかけられない。ジークムントは年上で頼りになるが、弱音を吐けば軽蔑されるのではないかと考えてしまう。だからこそ、かつて慕っていたディートマルと再会するのを楽しみにしていたのだ。ほんの小さな頃の記憶しかないが、彼は強く、包容力のある兄弟分だった。きっと、彼なら道を示してくれる。
 ぼんやりと夜の海を眺めながら、ライヒアルトは小さく嘆息した。また俺は、人の手を借りようとしている。そうして他人の手を借りることに抵抗は無かった。けれど、このままでいいのかという疑問がふと胸に滲み出す。俺がはじめた事を、俺が誰かに託された事を、俺は他人の手に委ねようというのだろうか。俺はもしかしたら、責任を誰かに押し付けたいだけなんじゃないのか。そんな風に考えて、嘆息する。答えの出ない問いだ。吹く風が、やわらかな髪をなぶる。
「……アルトくん、どうしたの? アルトくんらしくないわ」
 不意に聞こえた声に、思わずびくりと体が跳ね上がる。見上げると、かがりに照らされる見慣れた幼馴染の少女の姿。リカルダはくすくすと笑うと、隣にふわりとしゃがみ込んだ。
「リカ、……あはは、ちょっとかっこ悪いとこ見せちゃったね」
「かっこ悪い? って、ため息ついてたこと? ……それなら、わたしなんていっつもかっこ悪くなっちゃうじゃない」
 彼女は少しむくれたように唇を尖らせ、そしてすぐに笑った。そのちいさな手を口許によせて、くすくすと笑う彼女のいつもの笑い方。思わず、ライヒアルトも肩の力が抜けたように笑う。
「ディートお兄ちゃんと会えなかったの、残念だったね」
「うん、そうだね。……残念だったな」
 いつも通りに答えたつもりだったのに、出てくる声は驚く程消沈した響きで。まずい、と思うよりも先にリカルダの表情がさっと曇る。取り繕う間もなく心配そうに覗き込んでくる少女の顔から、そっと目を逸らした。
「……アルトくん、どうしたの? 疲れてる?」
「うーん……そう、かも。旅も続いてるから疲れが溜まってるのかな。黒蝶姫の話が嘘だったー、ってのも結構ショックだったし、ディート兄ちゃんに会えなくて残念だったってのもあるしね」
 あはは、と笑う声が力無い。明るい声は、力を入れなければ出ないのだろうか。いつもの陽気な調子ではない自分の声は、どこか虚ろだった。これではまた、彼女を心配させてしまうのに。
「……うそ。アルトくん、何かあったでしょ。そんなに元気ないの、おかしいもん」案の定、彼女はやや不安まじりの心配そうな顔でこちらを覗き込んでくる。「わたしで良かったら、聞くわ」
「心配しなくても大丈夫だよ。明日になれば、元気になってる」
 でも、と沈んだ声で言い募る彼女に、ふっと笑ってみせる。本当に、心配性なんだから。それとも自分は、そんなにひどい顔をしているのだろうか。
「……わたしじゃ、悩み事、話せない?」
 ぽつりとそう言った彼女の顔は、どこか傷付いているようにも見えて思わずはっとする。
「そういうわけじゃないよ。だって、何でもないんだよ?」
「だって、そんな風に見えないわ。……アルトくん、わたし、しっかりしてとか言いすぎたかもしれない。 わたしの言葉、負担になってる? だったら、言って。わたし、アルトくんを励ましたかっただけで……でも、なんて言ったらいいか、よく分からなくて」
「リカはへんな事なんにも言ってないよ。確かに俺はそろそろしっかりしなきゃだし、これ以上リカにも迷惑かけらんないよね」
 小さく頷いて、笑う。けれどリカルダは納得してくれないようだった。彼女はくちびるを噛んで、俯くだけ。そんな彼女になんと声を掛けていいか分からなかった。傷付けてしまったのだろうか?
 彼女は暫く黙り込んでいた。ライヒアルトも、何と言っていいか分からずに困ったまま、俯いた彼女のつむじに視線に落とす。
「……でも」暫くして、彼女は口をひらく。「わたし、力に、なりたい……アルトくんが落ち込んでるのに、何にも出来ないなんて」
「だから、何でもないったら。それに、こうして俺のこと心配してくれるじゃない。俺、それだけで嬉しいよ。ありがと」
「そうじゃ、なくて、……そうじゃ……なく、て」
 彼女はまた、肩を落とす。彼女が何を言いたいのか、よく分からなかった。旅を続ける中で、彼女が思ったよりもずっと脆い存在なのだということを知った。これ以上、そんな彼女に迷惑をかけたくない。頑張ってついてきてくれて、治癒魔法で助けてくれる。それだけでどれだけ助かっているか、何度彼女に伝えたら分かってもらえるのだろう。口篭っていると、リカルダが小さな声で続ける。
「ジークさんになら、話せた? あの人がわたしよりずっと頼りになるって、わたしも知ってる、けど。……でも、もう少しだけ、わたしのことも、頼っていいんだよ。いつも頼ってたのに、急に強がるなんて、アルトくん変だわ」
「……リカだって、なんか変だよ。どうしたの?」
「変じゃないよ。だって、わたし、アルトくんを護るためにここまで来たんだよ。心配しちゃ、だめ?」
 むくれるようにそう言って、彼女はちらりとこちらを見上げた。若草色の瞳は、かがりの炎で色もよく見えない。翳る表情がひどく傷付いたように見えて、思わず戸惑う。自分の悩みどころではない。
「……だって、俺は年上だもん。もっとしっかりしなくちゃ。リカだってしっかりしなきゃ駄目って言ってたじゃない?」
「そう、だけど」
 口籠り、彼女は俯く。まるで駄々っ子だ。ふっと笑い、彼女の頭をぽんぽんと撫でる。彼女がむきになる理由はよく分からなかったが、彼女なりに力になってくれようとしているのだろう。
「俺は大丈夫だよ。俺ね、結構強いんだよ。落ち込んでもすぐ元気出るし、かなり落ち込んでても一晩寝たらすっかり元気になるんだ。すごいでしょ。俺の特技」
 にこりと笑ってみせると、彼女は不満げに顔を上げた。子ども扱いされたのが不満だったのだろうか。そういうところは年下らしいよなあ、と思うと自然に笑いがこみ上げる。
「もう、アルトくんたら、人が心配してるのに笑わないで!」
「心配させてって言ったの、リカでしょ?」
「そそ、そうだけど!」
 割と理不尽だ。その幼げな顔に子どものように拗ねた表情を浮かべる彼女に、思わず笑いを返す。悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまった。
「俺、リカの方が心配だよ。これからドワーフの住処に向かう旅路って、結構長いって聞いてるからさ」もう一度、彼女の頭をぽふりと撫でる。「無理だけはしちゃ駄目だよ。疲れたらすぐ言ってね」
「わ、わたしは……大丈夫だもん。なんでアルトくんに心配されなきゃいけないの」
「だって、俺もジークも男だし体力あるけど、リカは女の子だし、あんまり体力使う仕事得意じゃないでしょ」
「でで、でも、アルトくんに心配される程じゃないもんっ」
 彼女はぶんぶんと首を横に振った。子ども扱いするように頭を撫でる手を振り払いたかったらしい。ライヒアルトは、あはは、と笑って手を引っ込めた。声に少し、力が戻っていた。
「……ごめんね。元気出たよ。ありがと、リカ」
「わ、わたし、何にもしてないわ」
「いいの。元気出たの」
 ライヒアルトはそう言い切って、立ち上がる。ぽんぽんと着衣の汚れを払う彼を、リカルダは座り込んだまま少し不満げに見上げた。
「明日から大変な旅になるけど、頑張ろうね。俺も頑張るからさ」
「……うん。がんばろう、ね」
 笑ってかけた言葉に、彼女は曖昧に笑って答える。吹く風が、彼女の細い髪をさらりと泳がせる。
 これから迎える、長い長い徒歩の旅。心配ごとは、山のように。
 それでも頬を撫でる涼やかな風は、束の間その不安を紛らわせてくれているように思えた。