ライヒアルトがジークムントと共に村長の家に戻り、玄関に垂れた暖簾を押し上げると、寝台の上のリカルダは子どもたちにそのちいさなほっそりとした指で手遊びを教えているところだった。
 見知らぬ土地の手遊びを学ぶ子供たちの目もきらきらと輝いていて、やわらかな表情を浮かべて少女はそれに応える。彼女にとってはこの上の無く心地の良いひとときであることが傍目にも窺えた。
「リカ。ただいま」
 その安息を破ることになるということに僅かながら抵抗を抱きながらも、ライヒアルトは彼女にそう声をかけた。彼の姿に気付いていたらしい少女は、彼の呼び声にふわりと小首を傾げて微笑む。
「おかえりなさい。村を見てきたの?」
「うん、近くだけだけどね。この家を見失うところまで行って、戻れなくなったら怖いし」
「道、村の人に聞けばいいじゃない。アルトくん、得意でしょ?」
 手を口許に寄せ、くすくすと笑う。ふわりと花の綻ぶような、彼女のいつもの笑顔。
「まあ、そうなんだけどさ」
 一瞬、ほっとしたような表情を浮かべたライヒアルトだったが、この後に話さなくてはならないことを思い、ふと唇を噛む。幼馴染のその様子を、リカルダは不安げに見上げた。ややあって、視線をふわりと落とす。どこか、諦めたようにも見えるその表情に、ライヒアルトはどきりとする。
「……わたしのこと、話してたんでしょ?」
 きっと彼女は何を言われるのか薄々気付いているのだろう。唇を噛み口篭ったライヒアルトの言葉を待たず、少女は子供たちにやさしく微笑んだ。
「……ごめんね、ちびちゃんたち。お姉ちゃん、お兄さんたちとお話があるから、一旦、おしまい。また後でやろう?」
 途中で打ち切られた手遊び講習会に、子どもたちがめいめい声を上げながら口を尖らせた。わがまま言わないの、と諭すと、渋々ながらも子供たちは家を後にする。村長も今は別の仕事に出ているのだろう、部屋に残されたのは三人だけ。
 暫く、静寂が続いた。家の外で水車が回る音がからりと響く。
「……小姑。お前、これから、どうしたい?」
 静寂を破ったのは、躊躇うような響きを含んだ傭兵の声。その声音に、少女は一瞬目を見開く。そして、そっと視線を落とした。
「やっぱり、わたしは……、足手まといなんですね」
 少女は持て余し気味の両の手をきゅっと組む。
「ごめんなさい。もっと、きちんとついていけると思ったんだけど……邪魔にしかならなくて」
「リカ、違う。……君は足手まといなんかじゃないよ。でも、このまま一緒にいても、君が辛いだけだ……無理、させたくない」
 なんと言えば、彼女を傷付けずに済むだろう。言葉を選んで、ゆっくりとそう諭す。自分の声に宿る気遣わしげな響きを、繕う事が出来なかった。きっと彼女は、気を遣っていると気付いているだろう。少女は微笑み、ふわりと首を横に振る。
「同じだよ。……それを足手まといって言うんだわ。だったら、そう言ってくれたらいいの。はっきりそう言われてついていこうとするほど、わたし、我侭じゃないわ」
 少女は想いを閉じ込めるように瞼を伏せた。長い睫毛が暫くふるえる。隠せていないよ、リカ。君は、昔から繕うのが苦手だ。本当はどれだけの想いを隠しているのだろう。少女にこんな顔をさせているのが自分だと気づき、ふと辛くなる。
「わたし、何も出来ないのね。家では何でも出来てたのに、わたし、なあんにも、出来ない……」
「そんな事無いよ。君は、」
 言いかけた言葉を打ち消すように、リカルダは首を横に振った。そして、そっと瞼をひらく。
「アルトくんは優しいから、そう言ってくれるだけ。でも、わたし、わかってたの。わたし、旅に出たら何の役にも立たなかったわ。戦うのも抵抗があるし、足も遅いし、立ち回りもだめ。いつ置いて行かれるかって、少し怖かった」
 諦めたように、少女は笑う。存外、穏やかな笑顔で。
「ジークさんも、ご迷惑かけちゃって。本当に、ごめんなさい」
「……謝る必要は、ねえよ」
 いつもの不貞腐れたような表情で、傭兵は僅かに顔を傾けてそう低い声で返した。少女はまた、笑う。
「……わたしもアルトくんの旅、見届けたい。だけど、無理だわ」
「どうして、無理だと思うんだ?」
 ジークムントは低い声のまま問う。少女は僅かに目を見開いた。
「だって、わたしは足手まといだから。ジークさんもそう思ってたんでしょう?」
「誰がいつ、そんなこと言ったよ」
 不貞腐れたような声の響き。リカルダは戸惑うように、傭兵と幼馴染とに視線をやった。縋るような眼差しに、ライヒアルトは困ったように小首を傾げた。彼がどういうつもりでいるのか、図りかねた。少女を家に送り届けることを提案したのは、彼だったのに。
「でも……ジークさんは、わたしの事を怒ったわ」
「お前が俺の言い付けを守らねえからだろう。リヴェーラの塔で、言ったよな。休める時に休めって。お前は意地張って、それをしなかった。その結果、俺達を危険にさらしたんだ。だからだ」
「だけど、休めば休むほど、水は足りなくなるもの……」
 少女は困ったように俯いた。飲み水には限りがある。だからこそ、あまり休憩したいとも言い出せなかったのだ。
「そうやって何度も休む必要があって、役にも立たない。それを、足手まといって言うんだわ。そう、思ってたんでしょう?」
「だから、思ってねえっつってんだろ。そりゃ、ちいと迷惑だとは思ったが、……そんな事は、関所を発つ前から分かってたんだよ」
 リカルダは口籠った。
「……だけど」
「でも、だけど、だって、って、うるせえよ。俺が訊いてんのは、お前がついてこないための言い訳じゃねえ。お前がどうしたいかだっつってんだろ。いい加減キレんぞ」
「も、もう怒ってるじゃないですか……」
 困ったようにもごもごと口の中で抗議した少女は、そのまま戸惑うように顔を伏せた。ライヒアルトも、僅かに戸惑う。彼女を故郷に送り届けてはどうかと言ったのは傭兵だ。そして、ライヒアルト自身もそれを望んでいる。これ以上彼女を危険な目に遭わせたくなかった。彼女を思い悩ませるのも、辛かった。何を考えているのだろう、とライヒアルトはちらりとジークムントに視線を遣る。仏頂面で、それでもリカルダの方をじっと見据えている。
 もしかして、君は――彼女の意志を尊重しようとしているの?
「わたしは……」暫く口を噤んで俯いていた彼女は、そう言って僅かに顔を上げた。「もし、許されるなら、このまま一緒に旅をしたい、です。アルトくんを、一人になんて出来ないから」
 そう言った後、小さく目を見開き、俯く。
「……だけど、わたしがいなくても、ジークさんがいるから」
「俺がいたから、何だよ」
「わたしがいなくても、アルトくんは大丈夫かなあって。ご迷惑もかけちゃうし」
 そして彼女はもう一度、わたしがいなくても、と繰り返した。ゆっくりとした声音は、今にも消えてしまいそうに。
「……んだよ。お前は、そんなに自分の意志を主張するのが苦手か。お前は行きたいんだろ。それだけ言やあいい話だっつうのに、ああだ、こうだと」
 苦い顔で舌打ちする傭兵に、少女はびくりと肩を縮めた。
「だって、迷惑になりたくないです……足手まといになって、アルトくんや、ジークさんの迷惑になりたくなんて……」
 迷惑に、と繰り返して、少女は片手で口許を覆った。
「わたしがいなければ、もっとスムーズに旅が出来たわ。わたしがいたから、みんなの足を引っ張って、空気も悪くさせて、わたしが、いなければ……わたしなんて、いなければ」
 そのか細い悲痛な響きに、ライヒアルトは思わず眉根を寄せる。それはきっと、彼女自身がずっと抱え込んでいた言葉。気丈さの裏に隠そうとしていたその感情が、堰を切ったように溢れる。少女の若草色の瞳が、涙ににじむ。
「ごめんなさい……迷惑、かけて、ごめんなさい……だから、置いていって……そしたらきっと、もっと」
「……それがお前の意思なのかよ、おい。置いて行って欲しいのか。それとも、歯食いしばってついてきたいのか」
 感情の滲まぬ低い声で、傭兵は訊ねる。彼女の意志を問うように、見据える鋭い瞳が少女を射抜く。彼女はびくりと肩を震わせ、そしてふるふると首を横に振る。
「……ついて、いきたいです。わたしがお役に立てるなら、ついていきたい。こんな所で終わりたくない。だけど――」
「だぁら、だけどだけどだけどって、うっせえんだよッ!」
 怒鳴り声。業を煮やしたような傭兵の声に、少女は今一度体を震わせた。怯えるように、おずおずと顔を上げる。涙に濡れた瞳が、ゆれる。ジークムントは煩わしげに頭を掻いた。
「――いいか。俺の個人的な意見を言ってやる。お前に来る意思があるなら俺にゃあ拒む理由はねえ。第一、お前がいる状態の戦いに慣れちまったっつうのに今更抜けられても正直困るんだよ。お前が出て行きたいっつうならそれも止める理由はねえが、そうじゃねえんだろうが」
 まくしたてるような低い声。少女は大きく目を見開き、唇を噛んだ。少女の様子には目もくれず、傭兵は続ける。
「どんだけ自信ねえんだよ。大体、出来る事と出来ない事があんのは当たり前のことなんだよ。俺は戦いに向いてる、お前はそれ以外のことと、あとはちいっと、魔法に向いてる、たったそれだけのことじゃねえか。体力がある奴もいれば、ねえ奴もいる。だから何だ。お前はそんなちいせえ事を補って余りある力を持ってんだよ。そんな事も分かってねえのか。リヴェーラの塔に来た時も、あの竜人の所へ行く時も、お前がそれを突破してきたっつうこと忘れたのか。俺はな、お前のうじうじしてるところは正直嫌いだが、能力的には十分評価してんだよ。お前が居なかったら俺達は立ち往生してたし、怪我を気にして戦いにも集中出来ねえ。お前が居た方が助かるっつってんだよ。来る気があるんならつべこべ言うんじゃねえ!」
 そう言い切った傭兵の声は、いつしか最初の押し殺した声音から、激しいものになっていた。口篭って、大きく見開いた目で傭兵を凝視する少女。傭兵は我に返ったように唇を噛むと、気まずげな様子でふっと視線を逸らした。暫く、誰も口を開かないまま。――ややあって、傭兵が決まり悪げに頭を掻く。
「……だぁら、お前の意思を訊いてるんだ。ついてきたいならそう言え。それだけでいい。別にゴチャゴチャした理由は問わねえ」
 それきり、傭兵は口を真一文字に結んだまま。
 リカルダは、暫く何も言わなかった。溢れる感情を抑えるように、震える唇を噛んだまま。すい、と俯く。肩口にかかる長い白金の髪が、さらり流れ落ちる。それでも口は、開かぬまま。
 暫くして口をひらいた彼女の声は、涙に震えていた。
「わたし、ついて行ってもいいんですか? ……本当に?」
「俺にゃ異存はねえ。――アルトはどうだ」
 不貞腐れたような顔のまま、傭兵が低い声で問う。ライヒアルトは肩の力が抜けたように深いため息をついた。そして、肩を竦めて笑った。聞かれるまでもない。
「俺が、嫌なわけないでしょ。リカが行くって言ってるのに、止める理由は無いよ」
 リカルダは顔を上げた。滅多に見ることの無い、涙に震えた少女の瞳。口許を両手で覆った彼女は、またふっと俯く。
「わたし、弱いわ。体力も、ない」
「俺が護るよ。……それと、俺はすぐ怪我するから、君も俺を護って。そうじゃなきゃ、俺、戦えないよ」
「……アルトくんの、ばか。そんな風に言うから、わたし、アルトくん危なっかしくて、ひとりで行かせられない……」
 震える声で言う少女に、ライヒアルトは笑ってみせる。
「ごめんね。一緒に行こう。君が辛いのに無理してついてきてるって思ったから悩んでたけど……結局たぶん、俺は君がいなきゃだめなんだと思う」
「もお、そんなのダメだわ。しっかり、してよ」
 すこし困ったような声音。それも、震えていて。
「小姑の言う通りだっつうの。お前はもうちっと、小姑に治してもらわんでも済むように戦えよ。――ったく」
 ぼやく傭兵の声もどこか、力が抜けたように笑いが滲む。
「やっぱり難しいよ。しっかりしたかったけど、やっぱり急には無理だ。君や、ジークの力がなくちゃ。俺、まだ未熟だからさ」
 ライヒアルトは少女の傍に屈み込み、ぽふりと頭に手を置いた。彼女は戸惑うように顔を上げる。そんな彼女に、笑いかけてみせた。
「あのね、リカ。ジークも言ってたけど、君はほんとにすごいんだよ。君は大したことないと思う事でも、俺たちにとってはすごいことなんだ。だって俺は、魔法をあんな風に使えないし、魔法の言葉を読むことも出来ない。それに、美味しいごはんも作れないよ」
 にこり、と笑いかける。リカルダは赤く染まった鼻を、すん、とすすった。恥ずかしそうに顔を伏せ、ごし、とてのひらで涙を拭う。
「……でも、そんなの、なんてこと、ないもの。わたし」
「例えば、あるでしょ? 俺に出来るけど、君にできないこと」
「……ひとと、抵抗なく、話せることとか?」
「え、そんなこと? ……うん、そんなの、特別すごいことしてる訳じゃないけど、君はすごいことって思うんでしょ? だからさ、そういうものなんだって。自分を、いちいち貶す必要なんてないんだからさ。まったくもう。リカの、ばか」
「アルトくんに、言われたくないもん……」
 彼女のいじけたような声は、未だ震えている。彼女の頭をわしわし撫でると、「ううぅ」と少女は呻いた。思わず、笑う。
「ついてきてくれて、ありがと。リカも、ジークも。……俺ひとりじゃ何にも出来ないけど、ふたりのおかげで、きっと俺此処にいる」
「……だって、アルトくん、ほうって、おけるわけ、ないじゃない」
 俯いたまま、震える声で答えるリカルダ。相変わらず、素直じゃない。ジークムントも、ようやくにやりと笑ってみせた。
「ったく。ひねた答えすんなよな」
「ジ、ジークさんほどじゃ……」
「あぁ!?」
 凄むジークムントに、リカルダが小さな悲鳴を上げて竦み上がった。ライヒアルトは思わず笑う。
「まったくもう。あとはもう少し、仲良くしてよね」
 傭兵が「大きなお世話だ」と不貞腐れたようにぼやいた。